その昔、入門したてのある修行僧が、師匠にこう尋ねたそう、、
禅とは何かを教えてください!!
それに対し師は、こう尋ねた、、
ほう、その方、食事は終わったのかな?( ̄ー ̄)
はい、先ほど頂いて来ました!
そうか、ならば、茶碗を洗ってきなさい!( ̄O ̄)ノ
!!!
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このやり取りは、曹洞禅などのように、食事後の作法などがきっちりと確立される以前の、
禅の修行風景のように見受けつつも、、
私が仮に同様の質問を受けたとしたら、、禅とはベラベラ~~~、、今こことはベラベラ~~~
などと、、ここぞとばかりに語り尽くしていたであろう場面にあって、、
この禅師の鮮やか過ぎるほどのガイドの在り様には、まさに脱帽の一言に尽きます、、
禅とは何か、、に対する、この上ない見事な回答、、
即ち、、この瞬間に忠実であれ!
とでも言うように、、
食後において、、皿を洗うことと、、禅を問うこと、、どちらが自然か (忠実か) と言われれば、、
当然の如く必要とされる行為から背を向け、禅は何かなどと問いを貪り答えに執着しようとする在り様は、
ある面、、今ここにもたらされたプレゼント (皿洗い) に対する、「抵抗」 などと言うこともできるかもしれません、、
ですから、この禅の師は、、そうした修行者の 「抵抗」 に気づかせつつ、、
今ここにおいてシンプルに為す必要のある行為へと連れ戻し、、本来のあるべき自然さの流れの中へと彼を舞い戻らせたと言えるかもしれません、、
一応、言い伝えでは、、参禅間もないこの修行僧は、、この対話の直後にハッとした気づきが起きたそうです、、
今ここに出会うこと、目前に関わること、シンプルに為すべきを為すこと、、
禅は、そのダイレクトさの中にいつも息づいています、、
ちなみに、この逸話の師は、、喫茶去 (きっさこ) で有名な、趙州禅師だそうです、、
何気私が、一番会ってみたい禅僧は、この趙州さんだったりもします、、笑
※今日も読んで下さり、ありがとうございます!