防衛とは機能であると見つけたり | 悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

悟りを特別なものとして崇め、仰々しく語る時代は終わりました、、(^^)/~~~
悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v

 

私たちの個体生命の維持の一端を担う、防衛性という働き、悟り系で言うところのいわゆる、「自我」 は別段そこに良い悪いもなく、単に一機能であるわけです、、ひらめき電球

 

 

機能は、まさにその使命のために、ひたすらに 「我が身」 を守ろうと熱心に働きます、、

 

 

よって、危険に際しては真っ先に命を守るための行動をとります、、寒さに対しては暖を、暑さに対しては涼を、攻撃に対しては防御、あるいは、逃避といった反応を瞬時に模索し行動に移すといった精巧さを兼ね備えています、、拍手

 

 

しかし、実際そうした外界の 「危険」 から身を守るためにと授かった機能は複雑に見える私たちの相対世界、一般的に言うところの、「社会」 の中で、いつの頃からかより豊かな枝分かれを為すようになりました、、

 

 

防衛故の、優しさ、怒り、優越感、劣等感、正しさ、厳しさ、主張、反論、支配、従順、偽り、奔走、努力、無気力、満足、不満足、、などなど、、

 

 

その行動の頭に、、「防衛故の」 という言葉が隠れているような場合には、、そのすべてが、例え、対極に見えるような反応であったとしても、その在り様のエネルギーは、実は、「自我」 からのものであると言えるでしょう、、秘密

 

 

------------------------------------------------------------------------------------

 

 

もちろん、先にも述べた通り、「自我」 は機能以外の何かではありませんので、そこに善悪があるわけではありませんが、、こと、求道においては、この機能は、「機能であること」、あるいは、「機能が起きている」 ということをしかと見抜く必要があります、、ひらめき電球

 

 

当然と言えば当然ですが、防衛というのは、「守るための内側」 が前提としてあることで成り立つわけですから、、自我はその性質上、、「個体感覚」、「分離意識」、「枠内の感覚」 というのをどうしても (誘発的、無意識的に) 強固にする傾向があります、、バイキンくん

 

 

これが実際には、、開かれた広がり、境界なき自然なダンスといった調和性にあって、見かけの上での 「制限」 をかける結果になったりもするもので、伝統的には、「迷妄」 などといった言葉で求道における一時的な状態を指し示していたりもするものです、、

 

 

 

というわけで、自我起きていることに気づくこと、その瞬間、自我が誘発し得る分離性というものは実際のところ、解放されていると言えるでしょう、、事実、「自我に無自覚でいる」 ことは、自我自体であるために自我が意識を覆い隠しているとも言え、ある意味でそれは光を閉ざされた状態、「無明」 などと言ったもするのです、、

 

 

意識の光は、私たちの機能として常に振動する防衛性、、自我の働きをしかと見抜くことによって本来の光を取り戻し始めるとも言えるでしょう、、流れ星

 

 

 

 

 

※今日も読んで下さり、ありがとうございます!お願い