「霊魂論」エチカ詳解314(生と死145)
霊魂論の私論では思想学的・医療科学に付随する生命科学・精神学的な心理医学に基づき、「霊・魂、或いは霊魂」にとって本能は先行するように想われます。本能は其の種が属するDNAの発展型の発露だからです。本能を生命ある全てに適用するにしても、ウイルスやリケッチア等の下等生命体に適用出来る得るかどうかは、本能を意識態様の発現とした場合には適用不可能な課題に直面します。此れを認めれば有機体である組成全てには勿論、物理的化学反応にも本能を認めなければとの発言・認識論もあながち間違いでなかろうの推論を許すことになります。何れにしろ、霊魂論の本能の定義に求めるのは生態本体の生命維持活動に対する損壊への排除の意思なき反応です。人間の生殖活動で云えば精子と卵子の生産は本能には相預かりません。キリスト教における受胎告知、医学的には胎盤着床時点では認識器官の未発達から本能的反応はないと云えます。人間が本能、即ち、生命維持活動を展開する胎児期には本能としての外部からの損壊危機への本能の対応は活動すると看做されますが、未だそこでは、「霊・魂、或いは霊魂」の受肉は「新約」を除いては無いと云えます。
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