たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

鳩槃荼と件と艮の金神

止めどなく穢れた思考が涌き出て、ぐるぐるループする苦しい日々が続いた。
べつに嫌いでもない人の名が唐突に思い浮かぶと、ののしる言葉が付きまとってはそれを打ち消した。
嫌がらせや嘲りを楽しんでいる無数の人々の悪意が、澱み無くまっすぐに伝わってくる。
無理やり悪人に仕立て上げて粗探しをしては面白がる、そんな汚れた風潮を肌身にずっしり感じる。
頭痛がしたり不眠、あるいは寝すぎなど体のリズムも乱れてる。
本日は昼過ぎの2時まで寝てしまった・・・。

○いつも助かっております



夢や幻想やお伽噺はリアルに隣り合う

せいぜい一富士二鷹三茄子程度の目出度い夢なら、何も問題なかったのに。

・・・子供の頃から俺が見てきた夢があるのですが。
それは世界を闇が覆って空がうすぼんやりな視界のなかで、なにか地獄のような世界を眺めながら、なにか重たい巨大な真っ黒いものと一緒に飛んでいく、というか俺が身に背負って飛んでいくみたいな。重力が何倍にもなったような寝心地で、目覚めると軽いはずの布団がやたら重たかったりしたのです。これは幾度となく繰り返し見てきた夢でした。

あとは大量殺人をしでかす悪夢で、目覚めたら心臓がバクバク状態。実際のことなんじゃなかったのかと、途轍もない不安になったりして、夢だと分かってホッとするみたいなことは幾度もあったり。
先日も何十年も前の夢の続きのように、何故か死体がゴロゴロしている家を散策している夢を見ていました。

自分の子供の頃からの不幸な体質や病気も何故か治されもせず問題ないと言われて悪化し続ける理不尽、連日近所の中学生に罵倒嘲笑されるような出来事、誰も解決に導いてくれば不条理が成せる業なのかと、考えてたのですが。

こういうこと書いてると世間では「このひとコワーイ」「危険人物よ~」とか、好き勝手言うのだろうけど別に仕方がない。
そんなの夢なんだから別に夢でいいじゃないかとか、言われたりするかもだけど、何度も同じ夢を見続けるというのは意味があるようで、無視ができなくなっています。(べつに殺人しようとまで考えませんが)

夢というのは自らの印象的な体験や何気ない体験や願望や不安、表に現れない深層心理、世間に渦巻いている情報、さらに外的に霧のように常に漂っている怨念めいたもの、あるいは電磁波的なものが働きかけて、形作られるものだったりするのだと考えています。

無視できないのは正夢ですね。夢で見たことがリアルに起こってしまう。これは世間でいうところの予言とか、前兆現象とも考えられれはなしで、信心深い人からすると天の啓示、天啓になるようですね。

夢は天啓的な種類もふくめて、じつは「日本書紀」でもたびたび登場してたりしました。それで平安時代の頃まで、日本では重要人物の夢を元にして「夢解き・夢占い」を行って、国の政策を決定したりとか普通なことだったのは、同書物を読むと分かってくる話です。

四十八年春一月十日、天皇崇神天皇)は豊城命(とよきのみこと)、活目命(いくめのみこと)に勅して「お前たち2人の子は、どちらも同じように可愛い。何れを後嗣とするのがよいのか分からない。それぞれ夢を見なさい。夢で占うことにしよう」と。(中略)それぞれ夢を見た。
(中略)天皇は夢の占いをして、2人の子に「兄はもっぱら東に向かって武器を用いたので、東国を治めるのによいだろう。弟は四方に心を配って、稔りを考えているので、わが位を継ぐのによいだろう」といわれた。
四月十九日、活目命を立てて皇太子とされた。豊城命に東国を治めさせた。これが上毛野君・下毛野君の先祖である。

日本書紀(上)全現代語訳」宇治谷孟著p130より

盆の時期、霊魂が枕元に現れたとか言う話はよくありますね。これは幽霊が隣に居る話ではありますが。もしかすると眠りに落ちそうなまどろっこしい時間帯に、そんな夢が視覚に重なり合っているのかもしれないとすれば、それは夢と現実は区切れないものである現れだし。

正夢とか「夢は見るものじゃない、叶えるものだ」なんていう何かの歌詞を聞いて確かにそうかもしれないなんて感慨に耽ったりするではないですか。そうすると悪夢ですらも、叶うもの、それは正夢になってもおかしくないのであろうと。

その悪夢は前世と関係在るのかとか、予言とか前兆みたいなものだったのかという考えはあったのですが。
近頃ネットニュースを見ていたら、なにか鳩槃荼(くばんだ)、そしてくだん(件)の名が出てきていることに、関係するかなと。



鳩槃荼とは

むかしむかし厩戸皇子なる人がいまして、このひとがのちに「日本書紀」で聖徳太子と呼ひ表される世紀の傑物でありました。
その正体については、以前にこんな記事かいてました。

聖徳太子は東トルキスタン地域の亀茲から来たことの証明 - たっちゃんの古代史とか

遠くの国から来たのではないかと。勝手に考えてるだけですが。


聖徳太子は10人の話を聞き分けたとか、馬で空を飛んだとか、未来を予見する能力があったと言われていました。
「未来記」なる書物を書いたのですが、それは既に一部が伝えられるのみで、散逸しています。一説にはまるまる書写されたものが残っているという話も、出ていたりしますね。どこぞの先生が言ってたりしました。

この本が最初だったのではないかと。
聖徳太子「未来記」の秘予言 (プレイブックス) 新書 – 1991/9/15

この書物の中身についてにはいろんなブログに書いてあるのをかいつまむ程度ですが、黒龍の来訪、都の東方遷移などが書いてあって、これが幕末のペリーの黒船来航と東京遷都をあらわしているとかいう話です。
そして東京遷都から200年のちに、鳩槃荼が来て東京を汚し、八つ裂き状態にするみたいなことも書いてあるとか。まるで「ヨハネの黙示録」か日月神示みたいな終末予言が、飛鳥時代に残されていたのですね。

そこで災厄をもたらすのが、コイツだとか。

Kumbhanda - Wikipedia

鳩槃荼(くばんだ)は、インド神話の魔神で、仏教では護法神(鬼神)の一族である。弓槃荼・倶満拏とも書く。サンスクリットではクバンダ (Kumbhāṇḍa)、パーリ語でクバンダ (Kumbhaṇḍa)。

陰嚢のような形をしていることから陰嚢・甕形鬼・冬瓜鬼と漢訳される。また、人の睡眠を妨げて災難を引き起こすことから厭魅鬼・厭眉鬼とも呼ばれる。
鳩槃荼の形象について説く経典がないことから、鳩槃荼の形象については不明である。

胎蔵界曼荼羅最外院の南方に首から上が馬で体が人間の形をした二神がそれぞれ鼓とばつ鈸(ばつ)を持つ姿に描かれるが、これは緊那羅とする説もある。なお、奈良興福寺では八部衆の一人として一面二臂で武人形の像があり、八部衆の夜叉に当てられる。

カバ(クンバ)は「瓶」を意味し、瓶のような性器をもつとされ、男性を誑かしては精気を吸い取るといわれている。瓶そのものに変身することもできる。

元来は女性しかいないとされていたが、密教では男女の区別があるとされており、身長3mで、黒い肌をした馬頭の人間の姿をした怪物とされた。
鳩槃荼 - Wikipedia

容貌風采は、陰嚢(きんたまぶくろ)とかひどい言われようだったり、瓶とか馬頭とかに別れていました。なんか瓶に入っててそれがバケモノになるとか、試験管で培養実験されて産み出されるバケモノを連想しますが。これは聖徳太子による終末予言の種類ですが、日本の古代史の中で十七条憲法を定めて存在感ばりばりの聖徳太子が、夢のような予言を言い残していたとかは、学校じゃ教えてくれない秘密なのでした。

しかし東京になんでパンダがいるのかも、運命的なきがしました。クバンダなだけに、クパンダ・・・・。


くだんとは


件 - Wikipedia


ところでこの聖徳太子の「未来記」から1,000年のちの江戸時代の後期、八百八町の江戸を含む各地を騒がす、件(くだん)なるバケモノがが現れたとの話が、まことしやかに各地にあらわれていました。

件(くだん)は、19世紀前半ごろから日本各地で知られる妖怪。「件」(=人+牛)の文字通り、半人半牛の姿をした怪物として知られている[1][2]。

その姿は、古くは牛の体と人間の顔の怪物であるとするが、第二次世界大戦ごろから人間の体と牛の頭部を持つとする説も現れた。

幕末頃に最も広まった伝承では、牛から生まれ、人間の言葉を話すとされている。生まれて数日で死ぬが、その間に作物の豊凶や流行病、旱魃、戦争など重大なことに関して様々な予言をし、それは間違いなく起こる、とされている。また、件の絵姿は厄除招福の護符になると言う。

別の伝承では、必ず当たる予言をするが予言してたちどころに死ぬ、とする話もある。また歴史に残る大凶事の前兆として生まれ[3]、数々の予言をし、凶事が終われば死ぬ、とする説もある。

江戸時代から昭和まで、西日本を中心に日本各地で様々な目撃談がある。
件 - Wikipedia

くだんはどうやら人面牛の場合と、牛面人の場合があるようです。それで人偏と牛旁を合わせて件なのだと。
大凶事の予言を的中させてしまうので、これが登場すると恐ろしいという考えが出ますね。しかし考えようによっては人に破滅を事前に知らせているのは、生存率を高める意味であり、実はありがたい存在のように思われます。


くだんと鳩槃荼と東京

これがどうして東京の前身である江戸でも話が広まったのだろうと考えると、なにか鳩槃荼に関係しているふうに思えてなりませんでした。

ところで、地図を見ると東京都心の皇居のすぐ北側に、東京招魂社=靖国神社が鎮座しています。世界大戦などの英霊を祀っていながら、何かと問題が巻き起こってしまう劇場みたいな神社です。
「魂(たましい)を招く社」と、なにか今回のブログのテーマに沿うこの神社ですが、場所は千代田区の「九段(くだん)」と呼ばれる土地名だったりするので気になりました。神保町から靖国通りに沿っている一帯です。

ここらへんが九段というのは、靖国神社に接する九段坂上から、東の九段下駅にかけて9段の階段の坂道「九段坂」だったことに由来するとか。
それでこの九段坂のすぐ南に江戸城のお堀があり、このあたりは「牛ヶ淵」の名がありました。
偶然に、東京のくだんと牛が一緒になってたんです、かね・・・。


「牛馬(うしうま)」というのは盂蘭盆で精霊棚に備えるものだったり、「牛馬のように働かされる」とか「牛馬童子」とかなにかと一対の存在として考えられてる動物なんですね。
牛のくだんと、馬のくばんだ。名前が似てますね。アナグラムのように入れ替えているような。
災厄に関係してるバケモノという意味でも似てますね。片や災害を起こし、片や予言する役割みたいな。

並び替えると「ばくだん」・・・爆弾?

こういうのが見えてくるので、運命的な結びつきとか、人智を超越する存在はは確かにこの世界にはあるのだろうなと、考えてみたくなるのですが。

>>
くだん   牛
くばんだ  馬
九段    牛
牛ヶ淵   牛
江戸(武家)馬
厩戸皇子  馬<<

鳩槃荼による未来の崩壊を言い出した聖徳太子こと厩戸皇子は、馬小屋で生まれた伝説や、死人の蘇えり伝説が「日本書紀」なかに登場しているのであって、それは明らかにイエス・キリストを意図したものともっぱらの評価です。原始的なキリスト教の思想を守る景教徒(ネストリウス派)だったからではと。

その厩戸(馬屋)を司る聖徳太子が、馬頭の鳩槃荼が未来の東都に現ると言い放ち、日本一武家の馬が多かった江戸に馬の鳩槃荼に似た名前の牛妖怪くだんが度々現れたと話題になり、東京の九段の牛ヶ淵に東京招魂社が建立され、クバンダによく似たパンダが東京のアイドルになっていると。
それは必然的な流れだったのではないかと。


艮の金神と鳩槃荼

あと気になったのは、国常立尊(くにとこたちのみこと)と鳩槃荼やくだんとの関係でした。
ここには日月神示大峠とか、世の建て替えみたいな話も連動しているような感じだなと。

なにしろ日月神示で世の建て替えをする神さまというのが国常立尊とされていて、この神が別名はなんと呼ばれているかといえば、「艮の金神(牛寅の金神)」なのだから。
くだんとは艮の金神が送り出す予言者であり、鳩槃荼とは艮の金神が送り出す大峠の仕事人なのだろうか。知っていてもヘラヘラして何も教えてくれないイジワル人ばかりな中で、何かしら教えてくれるバケモノのほうがまだ人のためになっているような感じでした。

穢れや汚い発想が、街やメディアや作家の作品にに溢れてることに気づくだろーか。
世界はまるで敵対を奨励したかの如くに、対立を見せてるのに気づくだろーか。

それは俺の人生が何か穢れたもの汚いものと認識されたり、敵対する人が続々現れる出来事だらけなのに似ているような。
俺の悪夢というのも、この流れの中に入っているのかもしれないなと。つまり未来にある破滅的な出来事に、反応してるのかもしれないなと。勝手に納得をしているところもあります。

「この人こわーい」それでも別にいいや。

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