私は幼い頃からスポーツが好きだったが、何をやるにしても下手くそだった。

幼稚園時代、「むすんでひらいて」が出来なかった。

むすんだら、なかなか開けず、ひらいたら、なかなか握れなかった。

音楽に合わせようとすると身体が硬直してロボットみたいになった。

居残りになって先生がマンツーマンで教えたが、卒園するまでまともには出来なかった。

小学生の頃、野球が好きで少年野球スポーツ少年団に入ったが、バウンドしたボールを取れずに思いっきり鼻にボールが直撃して激痛と共に鼻血が溢れ出た。

不幸にも、翌日の練習中にも同じことが起きてしまった。

その日から、ボールが怖くなって飛んでくるたびに腰が引けてしまうようになった。

補欠だったが監督が思い出になるだろうと勝っていた試合に、9回裏でライトを守らせてくれた。

ところが誰でも取れるような簡単なフライを二度も取りこぼしたために点数が続けて入りチームは敗北してしまった。

野球には全く良い思い出がない。

サッカースポーツ少年団に入ったこともあったが、私がボールを殆どまともに蹴れないのでコーチは私にボールを触らせないようにした。

私は、サッカーがとてもつまらないものに思えて半年で辞めてしまった。

宮下正道先生が担任だった時代は、通信簿で体育が、5評価中「2」しか取れなかったので、私のスポーツ音痴は筋金入りだったのである。(当時、男子で体育2の評価は滅多に出さないと先生に言われた)

球技に懲りた私は、中学生になったら空手か柔道をやりたいと思った。

テレビドラマの『闘え ドラゴン』(倉田保昭主演)や『柔道一直線(桜木健一主演)の影響だった。

しかし、空手は喧嘩に使うだろうし、柔道は耳が潰れてずんぐりむっくりになるだろうから絶対にダメだと父が猛反対した。

私は小学時代から親しかった友人たちが、皆剣道をやると言うので、仕方なく剣道部に入った。

球技よりはマシなだけで、竹刀を振るのも下手くそだった。

親しい同級生だった松村、谷村、中村たちは、幼い頃から剣道をやっていたので防具をつけて、すぐさま本格的な稽古をやっていたが、半分くらいの部員は剣道が初めてで防具などは持っておらず、体操着でひたすら竹刀を振らされていた。

剣道の顧問である福田先生は、鹿児島の成人大会の個人戦における優勝経験者だったので、鹿児島で優勝ということは全国でもトップレベルの実力を持っていることと他ならず雲の上のような存在だった。

宮本武蔵が現代に現れたのではないかと思うほどの威厳がある師匠が顧問だったのである。

しかも、先輩たちは戦国時代からやってきたような雰囲気を漂わせる武者ばかりだった。

今振り返っても、中学生とは思えない立派な先輩たちだった。

私は、日々の稽古が厳しいし辛過ぎるので、剣道を辞めたくて仕方なかったのだが、先輩たちが怖くて辞めることも出来なかった。

半年も続けると、私はなんとか安い防具を親に買ってもらって、それなりに竹刀も振れるようになり少しは剣道部員らしくなっていった。

稽古は、毎日 最後に三本勝負が行われて、強い順番に並ばされた。

30人弱 部員がいたが、その中で私は勝負は負けることが多くて常にビリッケツかビリから2〜3番をウロウロしているような弱っちいレベルだった。

しかし、顧問の福田先生や主将である立園先輩の電光石火のような剣さばきに次第に憧れるようになっていった。

むすんでひらいてがまともに出来なかったくらいだから、私には剣道の素質は殆ど無い。

しかも、剣道を幼い頃からやっている連中には追いつけるはずもない。

みんなと一緒に稽古をしても自分だけが上達することなどあり得ない。

いつまでたっても上達しない私に衝撃的な事件が起きた。

いや事件なんて大げさだが、私の人生にとっては事件だったのだ。

それは、シルベスター・スタローンの映画『ロッキー』を目撃したことである。

この映画は私に『努力』という言葉をプレゼントしてくれた。

『ロッキー』は努力することの大切さを実感させてくれた私の人生にとってかけがえのない映画となった。

シルベスター・スタローンは売れない役者だった。

銀行預金も底をついて俳優人生も終わりかと思われた時に、彼はモハメッドアリと無名のボクサーの試合を偶然目撃する。

世界チャンプのアリが圧倒的な強さで挑戦者をすぐに倒すと予想されていたのだが、無名のボクサーは判定負けはするものの、最終ラウンドまで懸命に闘い抜く。

スタローンはこの試合を見て心底感動した。

家に帰ると彼はその興奮が冷めやらぬうちに自らの人生をボクシングに投影してシナリオを書き始めた。

三日三晩かけて書き上げたシナリオが『ロッキー』である。

このシナリオを、映画会社ユナイテッド アーティスツにスタローンが、持ってゆくとプロデューサーはその素晴らしいストーリーに感激してすぐさま映画化を約束した。

ただし、それは当時のアメリカのスーパースターを主役として起用する計画であり、スタローンはあくまでも脚本家としてのデビューに過ぎなかった。

帰り道、スタローンは悩み苦しんだ。

あのシナリオは、自分が主演をやるために書いたものである。

自分の人生をかけて書いた最初で最後のシナリオである。

スタローンは映画会社に舞い戻った。

「このシナリオは俺が主役をやるために書いたものだ。俺が主演でないのならこのシナリオはこの場で破り捨てる」

スタローンの覚悟にプロデューサーたちは、たじろぎスタローンの意志を尊重した。

結果として、『ロッキー』は超低予算の映画制作になった。

主演者たちは無名どころかスタローンの友人俳優や家族、そして愛犬まで駆り出された。

スタッフも殆どが無名ばかりである。

音楽もステレオ収録ですら無かった。

どう考えても、ヒットする見込みの無い映画として扱われた。

だから、完成はしても単館ロードショーという最低の興行となった。

それでも、試写会の時にスタローンは「お母さん、俺はついにやったぞー」とスクリーンの前に立って叫んだと言う。

まるで、自己満足の映画制作のように思えた映画『ロッキー』だったが、単館ロードショーがやがてロングランとなり全米公開、そしてついに全世界でのロードショーに発展してゆくのだ。

しかも、『ベンハー』以来のアカデミー10部門以上の賞を総ナメして空前のヒットとなり、まさにアメリカン・ドリームを実現した映画史に残る偉大な功績を残したのである。

スタローンは子供の頃に『ベンハー』を見て俺もあんな素晴らしい映画を作りたいと憧れたそうだが、その『ベンハー』と並ぶ作品を作りあげて、しかも主演を果たしたのである。

映画『ロッキー』の物語は、すでに齢30迎えようとしている落ちこぼれの3回戦ボクサーが主人公だった。

仕事は、金貸しを生業とするヤクザの親分の取り立てを手伝っている。

優しずきて取り立てもまともに出来ない冴えない男でもあった。

その一方で実らない恋をしていた。

親友ポーリーの妹エイドリアンが大好きだった。

別にペットを飼うのが趣味というわけではないのに、エイドリアンが務めるペットショップに毎日通い餌やペット商品を買いに行くのだった。

アパートにいる亀や金魚たちも、おそらくはエイドリアンゆえに、やむなく買ったものなのだろう。しかし、今は彼らも家族のように大切にしていた。

エイドリアンも、ロッキーのことを嫌いではないようだが、何しろ彼女は内気で殆ど会話も出来ないために二人は何の発展も無く時は過ぎていた。

物語はロッキーがエイドリアンをデートに初めて誘った頃から急展開してゆく。

ヘビーボクサーの世界チャンピオンのアポロ・クリードが予定していた対戦相手の突然のキャンセルにより、新たな挑戦者を探すことになった。

イタリアの種馬というリングネームを持つ無名のしかも三回戦ボクサー、「ロッキー」に白羽の矢が立ったのである。

建国200年記念祭でもあるタイトルマッチで、ロッキーにアメリカンドリームを与えるとアポロは言うのだ。

しかも、アポロはすぐにロッキーをKOすると豪語した。

世界チャンピオンと三回戦ボーイの差なら、すぐにKOされてしまうことは、明白である闘いにスタローンは本気で挑むことを決意するのだった。

スタローンはまるで人が変わったかのように死にものぐるいで凄まじいトレーニングを開始する。

夜明けと共に走り、ミットを打ち、バーベルを上げ、腹を鍛え、スパーリングを繰り返すそんな姿は『努力』そのものだった。

彼はアポロに勝つことよりも、自分の弱さと闘っていたのである。

アポロに負かされるのは当然かもしれないが、どんなに倒されても立ち上がり最終ラウンドまでリングに立っていたなら、その時はロッキーは自分には打ち勝ったことになる。

その信念で彼はひたすら己を信じて努力し続けた。

こうしてロッキーは試合に挑んでゆくのだった。(まだ観ていない方々のため、ストーリーはこの辺で終わりにしたい)

私は、この映画を見ながら何度も泣いた。

そして、自分も努力すれば剣道も上達するかもしれないと思った。

私は翌朝から、5時に起床して中学校のグランドに行って走り、腕立て伏せなど筋力トレーニングに励み、竹刀を振った。

数ヶ月後、その成果が少しずつ現れてきた。

三本勝負で以前より勝つことが出来るようになった。

そして、初の試合となる新人戦における剣道団体戦の選手に選ばれた。

選ばれたというのはあまりにも意外で、福田先生から名前を呼ばれた時、それは間違いではないかと思った。

しかし、貼り出された選手表には、確かに私の名前が三番手の中堅のところに出ている。

私よりも強い剣道部員は他に何人もいたので選手表を見ながら冷や汗をかいたことを今も良く覚えている。

この新人戦以降も、私は常に選手に選ばれて試合に出場し続けた。

それは、私自身が敗北したとしても選ばれたので、私は一層の努力を重ねた。

早朝だけでなく、時には夜に稽古したり、昼休みも稽古したりした。

怠けたい気持ちも常にあったが、私はそんな弱い自分に勝ちたかった。

負けそうになるとロッキーのテーマを聞いて奮起した。

自分自身の弱さに立ち向かうことの大切さ、そして努力することの素晴らしさを教えてくれた映画『ロッキー』に、そしてシルベスター・スタローンに心から感謝したい。

ところで、なぜ大して強くもない自分が選手に選ばれたのか・・・。

私にとって その衝撃的な真実は、2年後に知ることになる。

以下次回。



[この度のブログは映画ロッキーの素晴らしさを多くの人々に伝えるために書かれたものです。『ロッキー』は全国のレンタルショップでご覧になれます]



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