「エイリアン、故郷に帰る」の巻(41) | 35歳年上の夫は師匠でエイリアン! 

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【夫】台湾人 × 【妻】日本人

国際結婚? いえ、惑際結婚ですから!

気がつけば2男1女。

あの男を見ていると、とても同じ人類だとは思えない。
漢方薬を水なしで飲めるなんて
一体どんな味覚をしてるんだ、あのおっさんは。

「エイリアン、故郷に帰る」の巻(40)

 

 

 

 

ICU前の廊下の先は、

待合所になっている。

 

 

そこに設置されたテーブルを囲んで、

白衣を着た医師らしき男性と

義姉、スーイエン、

バオメイが座っている。

 

 

 

 

私は、たまたまその場を

通りかかっただけだったが、

 

テーブルを囲んでいるメンバーからして

先生の話だろうと思い、

立ち止まって話を聞くことにした。

 

 

 

どうやら、篤志家から

お金を貸してもらう件について

話し合っているようだった。

 

 

 

 

 

 

「私たちには、お金がないから。」

 

 

 

 

 

 

義姉は、私に言ったのと

同じセリフを同じ表情で

白衣の男性に伝えている。

 

 

不安でたまらないといった風に。

 

 

 

 

 

私は中国語が

ほとんど理解できないから

話の全容は分からなかったが、

一部分だけは、私にも分かった。

 

 

 

兎にも角にも。

もう。

 

お金のことが心配で心配で、

他のことは眼中にないという

様子の義姉を見て、

スーイエンが苦笑した場面だ。

 

 

 

 

 

 

「そんな。 お金、お金って... 

お金のことばかり言ってる場合じゃないでしょ?」

 

 

 

 

 

 

スーイエンの

この発言に対し、

 

 

 

 

 

 

「いいえ。お金は大切よ!」

 

 

 

 

 

 

義姉は半ば怒ったように、

真剣な面持ちで

強くこう言い放った。

 

 

 

 

 

 

 

そうよね。

命よりも大切よね。

 

 

 

 

 

 

これこそが正に

この人の信条であり

人生哲学なのだろう。

 

 

 

 

そこまで大切なものなら、

今際の際には、有り金

すべてを抱いて死ね。

 

一元たりともこぼさず

火葬場まで握り締めて

持って行って、

一緒に灰にしてもらえ。

 

 

 

手に手を取って

あの世へ行けばいい。

 

全財産を引きずって

三途の川を渡ればいい。

 

重すぎて溺れなきゃ

いいけどね。

 

 

 

 

命懸けで

愛したんだから。

 

きっと。

 

あの世で、お金というお金が

こぞって義姉を褒め称え、

我先にと恩返しをするに違いない。

 

 

 

 

 

 

若い頃に観た映画。

 

「グラディエーター」

 

 

 

 

ラッセル・クロウ扮する

将軍マキシマスは、

すったもんだの末

奴隷として捕えられ

剣闘士となり、

 

コロッセウムで、他の剣闘士と

殺し合いを繰り広げる。

 

 

コロッセウムの

観客席を埋め尽くす

民衆の娯楽のために。

 

 

 

 

 

 

 

あの時。

 

私は、この映画を

思い出していた。

 

 

 

コロッセウムの

観客席いっぱいに

集まったのは、お金。

 

 

その観客たちが

見下す先にあるのは、

 

 

 

 

 

 

「お金!お金!」

 

 

 

 

 

 

コロッセウムの真ん中で、

紙や鉱物相手に

右往左往する私たち。

 

 

 

 

 

一体。

 

お金は、私たちのことを

どう思いながら眺めるんだろう。

 

 

 

 

便利なはずだと、

人間が作ったものなのに。

 

その便利な道具に

まんまと振り回されている。

 

 

まるで。

 

首に紐をつけられて、

舞台の上でクルクルと

芝居をさせられている

猿のように。

 

 

 

 

 

 

以前。

ある本で読んだ件。

 

 

 

 

 

 

“お金には意思がある。

世の中に流通して、人々の役に

立っているという自負がある。”

 

 

 

 

 

 

ずっと、心に残っている一節だ。

 

 

 

 

 

 

“お金には意志がある。

世の中に流通して、人々を

支配しているという自負がある。”

 

 

 

 

 

 

こう書かれていなかったことに

救われた気がした。

 

 

 

 

 

 

私は、今日も

固く信じている。

 

 

 

たとえ、あの時。

 

どれだけお金に

滑稽な生き物だと

思われたとしても。

 

 

 

お金と人間とは、本来。

対等なパートナーだと。

 

この世を渡っていくための

大切な仲間だと。

 

 

どちらかが、どちらかの

奴隷であるはずがない。

 

 

そんな人生、

耐えられるか。

 

お金にも失礼だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は、あの日の義姉の

セリフと表情を一生忘れない。

 

 

 

ただ。

そうであっても。

 

義姉には感謝しなければならないし、

謝らなければならないとも思う。

 

 

 

くどいようだが。

 

私は中国語が

ほとんど分からない。

 

だから。

 

私の代わりに、義弟や義妹、義姉が

師匠に関する込み入った話を

ドクターや看護師から聞くという場面は、

何度もあったんじゃないだろうか。

 

 

 

あの日の、テーブルでの

話し合いのように。

 

 

 

私が師匠の連れ合いとして、

それ相応に頼りになる存在だったら、

 

高齢の義姉の負担を

軽くできたのかもしれない。

 

 

 

人は年齢を重ねるほど、

気と共に、気持ちも弱くなっていく

ものなんじゃないだろうか。

 

人間も自然の一部である以上、

季節のように移ろうものなのだろう。

 

心も体も。

きっと。 

 

 

 

 

 

 

私が、夫の一大事に、

もっと役に立つ人間

だったらよかったのだ。

 

 

 だから。

 

そのことは、

申し訳なく思う。

 

 

 

 

 

まあ。

 

それでも。

やっぱり。

 

義姉の一連の発言は、

度も一線も大きく越えていたと、

今でも思う。

 

思い返すと腹も立つ。

 

あれだけは、

水に流せないでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

面会時間が来て、

ICUの先生の元へ向かう。

 

 

師匠を担当している

若いドクターと話をした。

 

 

 

 

 

 

「今度、休暇を取ります。

僕の代わりに、他のドクターがつきますから。」

 

 

「休暇ですか? いいですね。

どこかに行くんですか?」

 

 

「日本に行きます。」

 

 

「日本のどこですか?」

 

 

「京都と大阪です。」

 

 

 

 

 

 

 

表情に、まだどこか

あどけなさを残した

このドクター。

 

 

私は、ふと思った。

 

日本で楽しい休暇を過ごして

ほしいと思ったのと同時に。

 

 

 

 

 

 

この人は、どんな人生観を

持っているんだろう...

 

 

 

 

 

 

このドクターも若かったが、

ICUで働いていたナースの

皆さんも若かった。

 

 

心も体も元気そうな、

20代や30代であろう彼らは、

 

ICUのベッドで横たわる患者さんたちに、

日々どんな思いで接しているんだろう。

 

何が脳裏をよぎるんだろう。

 

 

 

口からチューブを差し込んだまま、

延々と昏睡状態が続いている

私の師匠を毎日診ながら。

 

その横で張り付いている

私を見ながら。

 

 

 

彼らも、人生について

何かを思うのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ICUで先生との面会を終え、

ホテルに帰る道すがら。

 

台北駅前でバスを降りて、

駅地下のコンコースへと下り、

 

左右に延々と連なるお店と

すれ違うたくさんの人たちを

横目で流して歩きながら。

 

 

私は強く想像してみた。

 

 

先生の意識が回復して、

ベッドから起き上がる場面を。

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫。もう大丈夫だよ。」

 

 

 

 

 

 

先生が私の目を見て、

はっきりと、こう言う場面を。

 

 

 

 

そうすると、

涙が溢れた。

 

 

喉の辺りが、ぎゅうっと詰まるような。

内側から締め付けられるような。

何かに蓋をされるような。

 

そんな感覚を覚えて熱く疼き、

息ができなくなった。

 

 

圧せられた熱いものが

逃げ道を探すように

すぐさま上へとこみ上げてきて、

もっと涙が溢れた。

 

 

 

 

 

 

あの時。

 

行き交う人の狭間で

コンコースを歩きながら、

私は声を上げて泣いていた。

 

 

誰に見られていようが、

誰にどう思われようが、

構わなかった。

 

 

 

人生には、ある。

 

人目など、どうでも

よくなる瞬間が。

 

 

それでこそ、人生だ。

 

 

 

 

 

 

あのコンコースを

歩いている時。

 

確かに、私は生きていた。

 

ICUにいる先生でも。

日本にいる子供たちでも。

 

他の誰のためでもなく。

 

ただ、ただ。

自分のためだけに。

 

 

 

 

 

 

時間にして、ほんの

数分だっただろうか。

 

私は、今でも

懐かしく思い出す。

 

 

 

 

何かに行き詰った時。

 

どうしたらいいのか

分からなくなった時。

 

世の中と折り合いをつけるのが

難しいと感じた時。

 

挙句に、

泣きたくなった時。

 

実際に泣いた時。

 

 

 

 

思い出すのは、決まって

こういう瞬間だ。

 

 

 

 

 

きっと。

私にとって。

 

あの時の私は、マリオの

スター状態だったのだろう。

 

 

最強で。

無敵で。

 

 

いわば。


自分の窮地を救いたくて、

自分で生み出した

束の間のヒーローだった。

 

 

どんな敵も寄せ付けず、

跳ね飛ばすための。

 

 

 

 


 

私は、あの数分間以上に

自分の人生を生きることに

集中したことはない。

 

 

あの時だけは。

 

誰も何も怖くなかった。

恐れる気がしなかった。

 

 

 

 

 

涙でぐちゃぐちゃの

悲しい記憶ではあるけれど。

 

 

でも。

忘れ難い宝物だ。

 

 

事あるごとに

私を励ましてくれる。

 

 

 

 

 

なにより。

 

思い出すたび

キラキラしている。

 

 

スターをゲットした

マリオみたいに。

 

 

 

 

 

 

 

 

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