DX(デジタルトランスフォーメーション)の後には、何も残らない。その対極にあるものをめざせ。 | ”秋山なお”の美粒ブログ

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 With コロナの時代は、DX化を目指したらいい。しかし、With コロナも、どこかで終わる。今の為政者たちは、そのころには、この世にいないだろう。為政者とは、自分が生きていられる時間軸の中で、どうしたら、多くの人がこの世をいかにして豊かに楽しく生きられるかを、考案し実践すべき人。それを実現した人が、後世に素晴らしい指導者だったと評価される。世の中をよくするもひどくするのも、大体、いつの世でも、権力者にすり寄る側近の力量しだいで決まるもの。指導者が素晴らしい人なら、取り巻きも大体いい人たちが集まり、指導者が悪徳なら、取り巻きも、腹黒く、己の利益しか見ない人が集うことになる。

 

 

 人生、昇り竜ならそれでいい。その時は、自我が絶対であり、人生はどこまでも連続して続くものだと夢見ることができる。まず、人の意見など、聞くことはない。分からないのなら、それは聞く。しかし、自分の自我に対して、何かしら、否定的なことを言われない限り、むっとはしない。当然、否定されたら、むっとする。その当人にとって、自我は絶対であり、それを否定されたら、誰でも面白くはない。それが正当な意見だろうが、論理が正しくても、まず、受け入れない。立場上、聞かなければならないのなら、聞き流そうとする。それでも、鬱陶しいければ、反発する。それ以上やれば、パワハラになる。いくら、若者に、それはちがうといっても、本人がそうおもっていなければ、まず、変わらない。もし、変わるのなら、本人が迷っていて、本人もそれは違うかなと感じている場合だけである。だから、コロナが増えているから自粛といっても、まず、聞かない。自分が、コロナに感染して、そこで後遺症がのこって、初めて、そうかと理解する。

 

 

 粋のいい、お兄ちゃんは、大体、芯がぶれない。だから、接した人の記憶に残りやすい。すこし小生意気なところがある会社員なら、社内では、同じような小生意気な上司がいなければいいが、いれば、やっかみが入る。しかし、対外的な受けがいいから、それなりの営業実績をあげる。外部の取引先からの信用も得やすい。自我が絶対と考えるから、自分の世界をよりいいものに構築しようとする。当然に、まわりからみれば、勉強家、努力家ということになる。商品知識と実践で学んだ経験が生きてくるようになる。大体、30歳から35歳の我のつよいお兄ちゃんは、小生意気だが、それでも、前を向いて生きようとする。

 

 

 大学で学ぶことなど、基礎の基礎、仮に、大学院にいって、修士、博士を取ったとしても、それは、知識だけのはなし、その知識は、その大学のその研究室かゼミにいれば、転がっている知識。そのキャリアを、社会に生かせるかといえば、即戦力としてはまず活かせない。活かせるには、魑魅魍魎とした社会の中で、もまれないとだめである。企業で、5年、10年、20年といろんな実践と経験を積んで、そのうちの数%だけの人が、価値あるものを作り上げられる。結果がすべてであるから、結果を出せなければ、それでおしまい。定年がきたら、働き口はない。普通は、高等専門学校卒業の人の方が、大学院で修士や博士を取った人よりも、よりいいものを作り出すことができる。実践で得るものの方がはるかに、価値があるからである。

 

 

 Withコロナ時代、DX企業への模索やチャレンジという。それも大企業だけの話だから、全体からみれば、0.3%ぐらい。後の99%は、中小零細企業だから、そんなことはできない。当然に収益が落ちるから、リストラか、雇止めしかない。何かあれば、ZOOMでテレワーク、それでできる職種ならいい。もともと、会社に来てデスクに座って、パソコンできる仕事、それは、在宅でもできる。しかし、世の中には粋のいい、お兄ちゃんがいる。彼らの利点は、はったりの良さにある。それは、体面でしかその効力は発揮しない。体面で、あるから、今晩、どうですか、と接待誘発できる。酒をのませれば、情報がでてくる。商社にとっては情報が命でもある。ちょっと、温泉でもいって、ぱっとやりましょうといって、地元の置屋のおばさんに、今夜、綺麗どころをお願いしますと頼んでおけば、大きな商売も転がり込んでくる。そういうときは、資材の発注権者とその担当部署の人も一緒ということになる。大体、どこも、それなりの人は、すけべなエロおやじであるから、そのハイレベルの接待をうけたら、いちころである。仮に、数百万の経費が掛かろうが、それで億単位の利益がでたら、企業にとってはそれは黙認である。そういうハイレベルな接待を計画できる人、まちがいなく、上にいく。DX化だろうが、トップ近くまでいく。

 

 

 このようなやり方は、すべてが濃厚接触である。つばを3密状態でペッペッと飛ばしながら力説するから効果がある。大抵は、談合は密をもってことをなすのが基本であるから、コロナの時代では、どうにもならない。DX化とは、結局そういった日本的なアナログシステムをデジタル化しようとする仕組みでもある。ZOOMで録音されている所で、今晩、一杯どうでっか、濃厚接触できるお店、いいところありまっせ、と言えるわけがない。明らかに、昭和の企業の営業方法の崩壊でもある。

 

 

 DX化、それができるところは、明らかに、無駄が充満する分野である。集約して、機能化して、情報を共有化すれば、すばやく対応できる。それは、いわば、誰でもできる仕事ということである。仕事をしないおじさんから、仕事を奪う方法でもある。普通は、情報を抱えるから、情報共有ができないとみる。しかし、だいたいは、そういう情報はつまらないものである。なぜ、隠すか、隠すことでしか、自分の価値をアピールできないからである。今の時代、情報などあまり価値はないし、経験、それ自体も価値はない。検索すれば、いろんな情報がでてくる。重要なのは、そこに、新しい付加価値を提案できるか、創造できるかなのである。その源泉こそが、その人の経験と実績、その人がそれまで生きてきた生き様そのものなのである。その感覚があれば、逆に、DX化の時代だから、重宝される。70歳、80歳まで、現役として活躍できる。

 

 

 それは、結局、職人文化、アナログ的な芸術家感覚、それを実践して、何かしらのものを世に残せる人が勝つことを意味する。評論家は不要なのである。DX化が進めば、その対極にある職人文化、芸術、アナログ文化がクローズアップされる。そこは、誰もができるものではない。DX化しても、わからない世界、さらに、ブラックボックス化が浮き出てくる複雑系の世界が現れる。1+1=2の世界、ロジックがわかる世界は、もう、そこに付加価値はない。効率化、コスト削減化しか、道はない。それがDX化である。世の中は、たまねぎとおなじ、めくってもめくっても、わけのわからない世界しかでてこない。今、現在、コロナ感染がどのくらいかはわからない。今見ているのは、2週間前の世界、今の状態は2週間たたなければわからない。それこそが、不確定性の時代、そのものである。これからはそれと同じことがまっている。ロジックではわかりえない世界、それをどう読んで今をどう生きていくかなのである。

 

 

 粋のいい、お兄ちゃんもおねいちゃんも、ずっと昇り竜の人生など歩けない。どこかで必ず人生の分水嶺を迎える。絶対だと感じていた自我も、それもどこかで消滅するものだと実感しだす。それを乗り越えて、この世の終わりまでどうやって生きていくのか、そうなると、最後までこの世と何らかの関わりをもって、頑張りたいと思うようになる。その時に、自分に何がのこっているか、何が最後にできるのか、それが、最終的な人生の目標である。それを最後において、それに向かうには、今、何をしなければならないのか、なのである。DX化を推進しながら、それと同時的に、相反する世界を自分の中で構築すべきなのである。