今から生きる。 | ”秋山なお”の美粒ブログ

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 今を生きるという言葉と今から生きるという言葉では意味が違う。今を生きるというのは、いかにも禅的な発想である。この今を精一杯生きるという意味では素晴らしい言葉である。しかし、それは、未来がある人にとって、有効な言葉となる。未来とは可能性である。使われていない未来、たとえ、明日、事故で亡くなろうが、その一瞬までは、その人の未来は可能性に満ちている。

 

 

 人の半生は、重たい荷物をもって、長い坂道を歩むがごとくである。しかし、どこかで、峠にさしかかる。そこから、すこしづつ、重たい荷物を降ろしながら、坂道を下りていくことになる。どこか終点かわからない。坂道を下っていけば、視界が良好になるとはかぎらない。だんだんと風景も霧のようなものに包まれる。ぼけが始まって、記憶が薄れていくからである。自己組織化で、まとまっていた己も、だんだんと崩れていき、そうして、消滅する。そのあとのことは、わからない。どこかで、目が覚めて、新たな人生が生まれればいいと思うが、それは定かではない。

 

 

 今を生きるとは、その峠に到着する前の時点での話である。峠から消滅するまでの間では、その意味合いは異なってくる。自分を鼓舞するには、今から生きるという意識が必要になる。人生、順風満帆で生きていける人などいない。天下を掌握しても、病には勝てない。人生、坂道を下りていけば、どうしても無常を感じるのは必然である。峠の前までは、可能性があるから頑張れるのである。どん底の人生でも、生きられる時間があれば、逆転満塁サヨナラホームランは打てる可能性がある。峠を越えれば、一年一年、生きられる時間は確実にその分減る。一年たったら、自分の死に一年近づいたのである。

 

 

 今から生きるのである。過去がどうであろうと、今がどうであろうと、今から生きるのである。過去はもう消せない。体はポンコツになっているだろうが、それを新品にはできない。今から生きる。そういう意識をもって、生きていくことが必要になる。若い人は、今をいきたらいい。大事なのは、やはり、今なのである。いろんなことをやったらいい。いろんなことにトライしたらいい。経験である。それが、直接仕事に役立つとは限らないが、面白いと思ったら、トライしたほうがいい。多くの勤め人は、どこかで、定年を迎える。これからは、年金も十分ではないから、一生、働かなければならない時代となるだろう。その時、自分に何ができるのか、看板がなくなり、自分ひとりで、何をもって生計を維持できるのかを考えた方がいい。コロナの時代である。3密がアウトの時代である。この状況でも、生きていけるものは、何なのかである。大変苦しい時代である。

 

 

 人生、一寸先は闇かもしれない。あれだけ、一強といわれた安倍首相も病で退陣する。自己免疫疾患である。自分を自分で壊すことである。病が収束して、平穏を取り戻す日々もくるだろう。しかし、もう、権力のトップに返り咲くことはない。静かに、病が収束した後、生きることになるだろう。安倍首相のカリスマ性で維持できていた自民党の組織、それがなくなれば、実力のない議員は、消滅していく。

 

 

 今から生きるなら、今から生き直さなければならない。それは、この今をすべて受け入れることからスタートしなければならない。すべてを受け入れた後、どうするのか。結局、自力でできる範囲をこつこつと組み立てていくしかないだろう。