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アフリカ・プロモーター、ンボテ★飯村がお送りする100%アフリカ仏族ぶらぶらトーク!

二つのコンゴをつなぐ橋(1)〜♪エザイ・ンボカ・モコ(もともと一つの街)

2018-11-16 09:00:00 | アフリカ情勢
少し前になるが11月7日、二つのコンゴ、つまりコンゴ民主共和国とコンゴ共和国の間で一つの文書に署名が行われた。両国の首都、キンシャサとブラザヴィルをつなぐ、コンゴ川をわたる橋梁の建設を進めようという合意である。

世界で最も近い隣り合った二つの首都。もともとは同じ地域、同じ部族。同じものを食べ、同じ言葉を話す人々が行き来していた。だが列強のアフリカ進出と植民地化の歴史の中で、この川が両国の歴史を決定的に隔てることとなった。

(キンシャサ側から見たブラザヴィル、2006年)


両岸の移動は現在、連絡船や高速ボート(canoë rapide)によって行われている。渡ればものの10分。しかし出入国ではンボテもその昔、かなりひどい目にあった。最近でこそましになったと聞くが、当時は出国に2時間、入国に1時間半。まさに「渡河作戦」といった装いであった。
星に願いを~コンゴ川・七夕ストーリー(1)


この二つのコンゴをつないで、地域を一つにしようという試みは、古くから議論されてきた。アフリカ開発銀行や世界銀行医などもその支援の可能性を幾度と検討してきたが、実現には至らなかった。しかし11月7日、アフリカ開発銀行がヨハネスブルグで開催したアフリカ投資フォーラムの中で、「夢の橋」の建設に向けた基本的な合意が両国でなされたのだ。

コミュニケによれば、橋は全長1,575m、車道、歩道、鉄道の併用橋で、総額5.5億ドル(625億円)が見込まれる、まさに巨大なプロジェクトだ。橋の効果について、経済界からの期待、また文化や人々の交流などの面からも、ざまざまな関心が寄せられる。


離れた二つの首都。近くて遠い二つの街。1987年、コンゴ・ルンバのル・ンガンチィ・ストレヴォ・ニアルコ(LE NGANTSHIE STERVOS NIARCOS)は、'Kinshasa – Brazza'という曲の中で、 'Kinshasa – Brazza ezali mboka moko. Kaka ébalé ekabola biso'(キンシャサとブラザヴィルは一つの街、コンゴ川が二つを分け隔てているだけ)と歌った。

(YouTubeページへ)



2009年にはキンシャサが生んだアフリカンドリームバンド、スタッフ・ベンダ・ビリリが対岸に住む妹を想う「マルゲリータ」という曲の中で、「この忌々しい川が二人を隔てる」と綴った。
星に願いを~コンゴ川・七夕ストーリー(2)

コンゴ・ブラザヴィル橋ができれば、それこそ念願の夢の実現である。


・・・・というほど事情は簡単ではない。。
というのもこの橋、完成した暁には、ポジティブにもネガティブにも響く、特別な地政学的事情があるのだ。そしてある種の人々にとって、この橋はありがたくない橋、できてほしくない橋。極めて政治的意義をも含んでいる。そういったことで、この計画は何度も中断されてきた。そしてこれからもその力学が働いていく可能性がある。

いったいどんな事情があるのだろうか。コンゴの歴史を紐解くと、その危惧が見えてくる。インフラの有効性は経済効率や利便性だけでは語れない。

(つづく)


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