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【一会】『乙嫁語り 11』……いざ復路の旅へ

      2018/12/30

乙嫁語り 11巻 (ビームコミックス(ハルタ))

 姉さん女房なアミルとカルルクという若夫婦を筆頭に、中央アジアの諸地域における人々の結婚と生活を描いている『乙嫁語り』。最新刊の11巻も読みましたので、色々と書き記したいと思います。
 今巻はほぼ全編、スミスさんのお話。中央アジアの文化に興味を抱き、イギリスからやって来たこのフィールドワーカーも、ただの観察者というわけにはいかなくなってきました。

 冒頭の「寒中歌」は、アミルたちの冬の暮らしを描いたもの。彼女たちの出番は今巻ここだけだったりします。
 各ページ1枚画に少しのネームという、絵本のようなバンド・デシネ(欧州の漫画表現)のような形式は、この漫画でたびたび登場するものですが、ここでは冬の暮らしの楽しみを詠った詩のように思われます。2巻でも、アミルやカルルクが馬に乗りながら即興で作る歌のしりとりみたいな遊びをしていましたが、この時代・この地域では、季節や景色を歌にするというのは割と普通のことだったのでしょう。

紛うことなき婚約

 そんなプロローグを経て、スミスの話は始まります。
 前巻ラストにて、スミスを忘れられず、はるばるアンカラまでやってきた女性・タラス。結婚と夫の死を繰り返し、孤独に沈んでいた彼女にとって、スミスがどんな風に見えたのか。辿ってきたここまでの経緯とともに、それが語られます。
 切々と描かれたタラスの心情が沁みるのはもちろんですが、紹介で結婚し、彼女のアンカラ行きをフォローしてくれた旦那さんの人の良さがまた胸に迫ります。赤の他人やお客に尽くそうとする精神が、彼らの文化圏ではとても重要だったようですが、それにしてもこの旦那さんの徳の高さは別格という気がします。
 かくも焦がれる想いでスミスとの再会を果たしたタラス。スミスを連れ戻そうとしている、彼の年上の友人ホーキンズには一時誤解されてしまいますが、まぁタイミング的に仕方なかったですかね。
 どうやら誤解も解け、元いた場所も捨ててきたタラスはスミスに同行することに。タラスは「身に過ぎます」と云いますが、スミスからもお願いする形で、2人は将来を共にする約束を交わします。
 お茶の一杯もない無骨な部屋で、仲人も結納金もなしの、ただの口約束ですが、スミスが渡した印章指輪は、紛うことなきエンゲージの証でしょう。
 唯一タラスが心配するのは、残してきた義理の母のこと。今は、晴れて一緒に暮らせるようになる日が来ることを祈っておきます。

 さて、ホーキンズに問われ、スミスは今後の予定をまとめます。前巻で写真機――カメラを手に入れたスミスは、これで各地の写真を撮りながら、これまでのルートを逆行、アミルとカルルクの暮らすブハラまで戻るつもりのよう。もちろんタラスも一緒です。アリの概算によれば、4か月から半年の旅程になりそうですが、ロシアが進出しつつある情勢下なので、なるべく急がなければなりません。
 これからのスミスの旅の必携品となったカメラですが、アリは写真を撮って残すことに何の意味があるのかと訝しみます。「役に立ちます」とスミスは簡単に応えていますが、スミスのような人がいたからこそ、21世紀の日本でこういう漫画が描かれる可能性が保持されたんですよね。名も知れぬ過去の人々に感謝です。
 スミスの説得は諦め投げやりな様子のホーキンズですが、やっぱり根は気のいい人なんでしょう、カメラの使い方については懇切丁寧に教えてくれます。というか、当時の湿板写真は複雑そのもので、しっかりと事前に勉強しておかなければ、撮影はともかく原板作りや現像はとても行なえそうもありません。その主因は現像に用いる薬品類のようで、そのつど調合しなければならないというのが何とも不便。カメラを見たことはあるらしいアリが、持ち前の要領の良さで撮影助手になってくれそうではありますが。
 一通りカメラと写真についての講習会が終わり、何か試しに撮ってみようということに。最初の被写体は他ならぬタラスです。ホーキンズの云うとおり、スミスにとって何とも「やる気の出る被写体」ですね。初回は上手くいかず、試行錯誤の末、ようやく現像に成功しました。タラス本人は、初めてはっきりと自分を認識したよう。この時代、そういう人の方が多かったことでしょう。

 撮影の練習を積むスミスの傍ら、ホーキンズは必要なものを手配し、アリも物資の調達を進めます。ちょっと身も蓋もない物言いをするので取っつきにくく感じられそうではありますが、アリは有能なガイドです。
 ホーキンズとニコロフスキの関係もここで説明されていますが、そのニコロフスキが、途中のテヘランまでではあるものの、スミス達への同行を申し出てくれます。知り合いが居るということが何より助けになるこの地方では、彼のように旅する土地に縁深い人が一緒にいると、心強いことこの上なしです。
 暇とあらば臨時雇いでお金を稼ぐアリの一幕もありつつ、出発はもう目前。いよいよ明日出発という時、スミスの部屋をノックする者がありました。タラスです。
 このところの彼女は、部屋でずっと刺繍をしていたのですが、それは縫った布を市場に売り、路銀の足しにしてもらうためだったようです。そしてもう1つ、スミスが身につけるためのお守りも、彼女は作っていました。
 3巻で語られた通り、彼女は幾人もの夫の死に接してきたのでした。それを知っているスミスは、絶対に死んだりできないですよね。

初めて見せた、その顔に

 夜が明け、旅立ちの時が来ました。別れ際まで心配そうなホーキンズに再会を約して、スミス、タラス、アリ、ニコロフスキは出発。一行は、まずはアンカラから南下し、地中海沿岸の町、アンタリヤを目指します。この町は現在も同じ名前で存在し、トルコのリゾート地として知られているようです。
 ひたすら移動の初日、宿泊地として落ち着いたのは、とある小屋。特に誰か持ち主が居るわけでもなく、旅人が一夜の宿とするために整備されているもののようです。タラスの手料理と屋根の下での睡眠で体力を回復した一行は、翌朝出立。まだ旅は始まったばかりです。

 ここで挿入されるのは、3巻ラストでスミスが砂漠に放った、あの時計をめぐる数奇なエピソードです。まるでアラビアンナイトの1節のような物語ですが、いわく付きとされる世の品々は、こうして生成される、という感じでしょうか。

 やがてスミスたちは首尾良くアンタリヤに到着。地中海に面した港町ということで、随分と栄えているようです。
 次の出立まで少し間があるので、スミスとタラスは港町を見て回ります。これは、いわゆる初デートというものでしょうか。スミスのいかにも地域研究者っぽい話も、タラスは興味深く聞いてくれます。
 歩くうち、ふと見かけたのはブランコ。目を輝かせたタラスを誘い、乗ってみたスミスですが、そのブランコは我々が知っているものとだいぶ違うものでした。巻末の「あとがきちゃんちゃらマンガ」によれば「ちょっとラブいアイテム」ということで、確かに子どものように楽しそうなタラスは、普段とはちょっと違う魅力に溢れていてスミス同様どきっとしました。
 そういえば、むかしテレビで見たドキュメンタリーで、中国内陸部のとある民族の文化でもブランコがあったように思います。それは、家の敷地内でしか暮らせない女子が、少しでも高さを稼いで外を見るために遊ぶもののようでしたが、タラスの呟いた「鳥みたいに/どこへでも飛んでいけそうで」という言葉を思うと、あながち無関係とも思えません。漢語では「鞦韆」とか「半仙戯」などの呼び方もありますし、アジアとブランコというのは、なかなか興味深いテーマです。
 モロッコから来た「美しいものを集めている」というベルベル人の奥様に、タラスが自分の着ている服を売る挿話が挟まれ、今巻はここまで。一行の旅は、次巻へと続きます。

 そういえば、スミスというありふれた名前には「どこかの誰かさん」的な意味があると聞いたことがあります。アミルやカルルクたちの暮らしに興味を持って歩き回り、聞き書きするスミスとは、この漫画を読む読者であり、森先生自身ということなのかもしれません。そのスミスがタラスと結婚し、各地で写真を撮って、いずれ本国へ帰っていくというのは、もしかしたら、作品の完結を暗示するものではありますまいか。
 とはいえ、まだまだ旅は続くでしょう。次なる12巻の刊行見込みは、単純計算で来秋10月ごろかと。「あとがきちゃんちゃらマンガ 恋はやさし 野辺の花よ」で森先生の旅事情や中央アジア豆知識も押さえつつ、楽しみに待ちたいと思います。

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