こんにちはニコニコ



昨日6月6日(木)は、娘の誕生日でしたが



今日6月7日(金)は、「母親大会記念日」だそうです。



母親大会記念日 1955年のこの、東京・豊島公会堂で第1回母親大会が開催された。 1954年、ビキニ環礁での水爆実験実施をうけ、日本婦人団体連合会は国際民主婦人連盟に原水爆禁止を提案し、世界母親大会がスイスで開かれることになった。 これに先立ち第1回日本母親大会が開催された。
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母親になって変わったことある?

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母親になって変わったことある?


って、「すべて」において変わりましたよ爆笑


そんなの当たり前ですよね?(^^;


それまでは、両親にとっては「子ども」


夫にとっては「妻」と言う存在。


それが、「母親」になったのですから、


自分と言う「存在」自体が「別物」になったのです。


結婚右矢印妊娠右矢印出産


自分の体の中で育てていた小さな「命」が


「外」に出て来たことで


「人間」として育て上げ、


「社会」の中で「生きて」行けるようにと


どれだけの「気を遣って」大事に育てたことでしょう。


自分自身が、「母親」になったことで


同時に、自分自身が「母親」にどれだけの愛情をもって


「育ててもらった」と言う「現実」を知ることが出来ました。


五体満足だったから育ててくれたのでもなく


将来役に立つから育ててくれたのでもなく


ただ、「母性愛」によって育ててくれたんだなぁ照れ


子どもに対する「母親」の「深い愛」は、


「宇宙一」と言えるものだと想いました。


母の手を離れるまでは


それがずっと続くのです。


そして、手を離れた時から


「一つの宇宙」として「自転」しながら


「公転」していくのですね?人間って。


それが、「宇宙の法則」に則った人間の生き方。


そして、「宇宙」は、一つではなく


「無限」と思えるほどの数えきれない存在。


その「無限の存在」のうちの


「たった一つ」しかない「貴重な存在」であることを


「意識して生き抜く」ことで


「生きている」意味を知り


「存在の証」を遺していく。


それが、「生き甲斐」になるのかも知れませんね?


昨夜午後10:00-11:00にNHKBSプレミアムで放送されていた


コズミック フロント☆NEXT


「ザ・プラネッツ  ひとときの楽園 水星・金星」


録画していた番組を、今日の午前中に見ました☆


太陽系にある「惑星」達がどのように誕生して


どのように老化して終わっていくのかを見ると


まるでわたしたち「人間」達の一生とそっくりでした。


太陽の周りのチリがぶつかり合って融合して岩となり


その岩同士が磁石のように引き付け合って融合し


それを繰り返しながら「惑星」になっていく。


誕生した「惑星」達は、それぞれ「影響」し合いながら


「母なる太陽」の周りの、「近く」や「遠く」を回りながら


「光」や「熱」をもらいながら「成長」していくのです。


太陽に一番近い「水星」は、太陽の光や熱を


一番たくさん受けているのですが、


水星の直径は、小さくて、「核」の部分が80%以上と


他の惑星に比べて核の周りの地層が薄いのだそうです。


しかも、表面温度は、太陽に一番近いにも関わらず


金星よりも少し低いのだそうです。


他の惑星の核は、その直径の40~50%位なのに


水星だけ直径に比べて核が大きいことと


太陽から一番近いのに金星より温度が低いのは何故か?


推測するところによると、水星は、最初に出来た時には


金星よりも遠い火星の近くにあったのに


何かが、例えば彗星のようなものがぶつかってきて


水星の表面が削れたうえに、太陽方向へ押されて


現在の場所に落ち着いたのではないかと


考えられるのだそうです。


40億年と言う人間の感覚を遥かに超えた


長い長い「時間」をかけて営まれている


壮大な「宇宙」の一生のうちの


太陽系の惑星達の誕生から終わりまでが、


「人間」の一生の「1億倍」と考えたら


「太陽」も少しずつ「進化」?「老化」?して


80億歳位で「巨大赤星」になって終わるのだそうです。


そして、母なる太陽が終わるときに


近くの水星や金星は巻き込まれて


運命を共にするのだそうです。


その時に地球やその他の惑星は、生き延びたとしても


それでも「太陽」がなくなることで


「生命活動」は、維持できなくなりますから


遅かれ早かれ「命」には、終わりが来ます。


宇宙に限りがあるように


「すべてのもの」には、「限り」がありますよね?


だからと言ってショボくれる必要はありませんウインク


「運命を受け入れて」


「運命に従って」


「限りある命」を楽しむ味わうことが出来るのも


わたしたち「人間」なのですからニコニコ


「妻が願った最後の七日間」と言う詞を読みました。


みなさんは、もう読まれましたか?


奥さんが68歳の時がんが見つかり


開腹手術をした時には、すでに広がっていて


なす術もなくそのまま閉じて


「余命の平均は2年」と告知されたそうです。


抗がん剤治療で一時は元気を取り戻した時に


愛犬と共に夫婦で近間を旅行をして思い出を写真に残したそうです。


その後、体調を崩して入退院を繰り返した後の


クリスマス頃に、いよいよ帰れない覚悟で入院


病室で夫婦で穏やかに会話した時に


奥さんが、「神様がいたとしたら七日間の元気をください」


と、願ったそうです。


一日目には台所に立って、料理をいっぱい作りたい。


あなたが好きな餃子や肉味噌、カレーやシチューも冷凍しておくわ。


二日目には、趣味の手作り…


のように、元気な間にやりたいことを


七日分、話されたのだそうです。


もうすでにペンも持てない病状だったので


旦那さんが代筆をしたそうです。


そして、その願いを叶えることなく旅立たれたそうです。


残された旦那さんは、愛する奥さんの存在が、


世間から日々忘れ去られていくのが寂しくて


新聞社に投稿したのだそうです。


それが取り上げられて新聞に載り


ネットでも拡散されて、同時に


奥さんの知り合いだった歌手の方にお願いして


歌手のクミコさんにこの詞を歌にしてもらったのだそうです。


偶然にもクミコさんもこの記事を新聞で読んでいて


「良い詞だなぁ」と思っていたので快諾したのだそうです。


そして、歌のお披露目会があって


ご主人は、その時に初めて


クミコさんの生歌を聴いて涙されていました。


「七日間だけでも元気に過ごせる日」を切望する。


「顔つきの悪い乳がん」と告知された経験を振り替えると


その気持ちが痛いほどわかります。


「いつまで生きられるのだろうか?」


「せめて元気なうちにやれること」


「やってあげられること」


その時の優先順位は、やはり「家族」のことでした。


「自分が居なくなったら困る人」


それを優先に考えていました。


自分自身は居なくなって困りません。


ただ、居なくなるだけなのですから。


ですけども、わたしには子ども達を


一人前にする責任だけでなく


「愛していく」責任があると想ったのです。


だから急には死ねなかった。


だから出来るだけのことをする必要があった。


「出来ること」を「出来る範囲で」地道に行う


これは、生まれてこのかたずっと続けて来たことです。


その延長に「今」があります。


そして、この先もずっとそうなのだと想います。


死の間際に「思い残すこと」が無いように「生きる」


それで良いのだと想います照れ


「これがわたしの生きる道」


「死ぬまで生きる」


帯津良一先生が、日々エネルギーを高めているのは、


「死にたくないから」ではなく


むしろ、死後の世界に突入するために


「死ぬ時が最高」になるように


エネルギーを高めているのだそうです。


それって凄い!!と思いました爆笑


わたしもそうしようっと(*≧∀≦*)


医療気功の師匠の永木先生もそうでした。


エネルギーが最高潮に達したから


あんなに突然この世を旅立たれたのですね?




母なる太陽


太陽のようなお母さん


そして子どもたち


太陽から「元氣」をもらってスクスクと♪


すべてに感謝しますキラキラ


ありがとう


愛してます









「七日間」の詞の全文