琵琶湖の景色と堅田の歴史<233日目 かつて明るい廃墟と呼ばれた地(3)> | ゲイムマンの日本縦断紀行 + ご当地ゲーム制作・配信

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ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

現在このブログ上でゲーム『香川県からの脱出』を制作・配信中。

堅田(かたた)('19.12.16)

 

引き続き、満月寺浮御堂(うきみどう)から景色を眺める。

 

琵琶湖マリオットホテルの奥に、まさに「山」という字の形をした山が見える。
近江八幡の長命寺山だろうか?
左側に、ピエリ守山も見える。

 

その右側の建物群。
真ん中の2つの建物は、佐川急便(SGホールディングス)の関連施設らしい。
右端に2つある三角屋根の建物は、たぶん佐川美術館。
平山郁夫、佐藤忠良、そして楽直入氏の作品を多く所蔵する。

 

浮御堂の突端から、正面に三上山がある。

 

お堂のこちら側にも扉があった。
というより、どうやらこちらの方が浮御堂の正面っぽい。
四角い厨子と、御前立の仏様。そしてその周りを小さな阿弥陀様の立像が囲む。

 

右側の湖上に、何か浮かんでいる。

 

屋根のある建物だ。
さっき電車の窓から見えて、浮御堂だと勘違いしたのはこれか。

 

(※琵琶湖の水質などを調査している、「雄琴沖総合自動観測所」らしい)

 

浮御堂から見た満月寺の境内。

 

境内には、松尾芭蕉の句をはじめ、いくつかの句碑が建つ。(ほとんど読めないが)
この句碑は、
「鎖(じょう)あけて 月さし入れよ 浮御堂」

 

そりゃあ一句二句詠みたくなるよと思うくらいの素晴らしい景色。
さざ波の音と水鳥の声。
月曜なので参拝客は少ないが、ゼロではない。ちょうどいい。

 

源信ゆかりのお寺というのもいい。
NHK「歴史秘話ヒストリア」の、極楽と地獄の回が好きだったので。
源信が書いた「往生要集」は、平安時代の貴族によく読まれ、日本人の極楽・地獄のイメージに、大きな影響を与えた。

 

満月寺を後にし、続いては、湖族の郷資料館へ(入館料¥200)。
古い家の中に、堅田の歴史と、ゆかりの人々に関する解説が展示されている。

 

堅田は琵琶湖の最も細い所に位置するため、水運の拠点として発展した。

 

1090年(寛治4年)、下鴨神社の御厨(みくりや・神饌の調達場所)が設置される。
堅田の人々は下鴨神社に魚を献上し、代わりに漁業権などの特権を得た。
また延暦寺の荘園にもなった。
堅田は殿原衆(侍)、全人(まろうど)衆(商人・農民)を中心とした、自治的な町になっていった。

 

1468年(応仁2年)、堅田大責(かたたのおおぜめ)。
延暦寺から「仏敵」とされて逃亡した蓮如が、堅田で勢力を築いたことなどがきっかけとなり、室町幕府の命で、延暦寺が堅田を焼き討ちする。堅田はほぼ全滅した。
しかしその2年後(文明2年)に町は再建された。

 

豊臣秀吉には特権を保障され、江戸幕府は堅田を天領とした。
水運の中心は大津へ移ったが、以後堅田の産業は漁業中心となる。

 

湖族の郷資料館

 

びわ湖大津観光協会  びわこビジターズビューロー(滋賀県)
JRおでかけネット(JR西日本)  京阪電気鉄道

 

※旅のマップはこちら

 

※これ以前の「日本縦断ゲーセン紀行」はこちら。
第233回 かつて明るい廃墟と呼ばれた地(堅田→ピエリ守山)
第232回 マサルさん助けてください!(坂本比叡山口、比叡山坂本→堅田)
第231回以前


大津(第224回~)
八日市、野洲~草津(第222回~)
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