辛くて堪らなかった買い物 | ぶーぶーとダディ



昨日、振り返り機能で四年前の記事をみて少しびっくり。ダディが亡くなってもうすぐ一年というこの時期、何を思ってか、ダディが好きだったパンを焼いたんだなと。同じ日、ちょうどパンを焼こうと思い立っていたので、その小さな偶然に、思わず「あっ」と声が出ました^^


ダディがなくなった当時は、出来なくなった事や、行けなくなった場所、行くのがとてつもなく辛くなってしまった場所がたくさんありました。特に直後から最初の一年は、一緒に通った道も、二人でよく通ったスーパーマーケットも、ダディが好きだったカフェも、車椅子を借りていたショッピングモールのカウンターも、家の玄関までの階段でさえも、全部避けれるだけ避けていました。目をつぶって通ったり、顔を背けたり。どうしても避けられない時は、泣きながらだったり、涙をこらえながら。平気になるまでに一年かかった場所、2年かかった場所、中に入るまでに四年かかったお店、未だに、気持が揺さぶられて、どうしても近づけない場所・・・思い出があちこちに散らばっています。


お墓を建てる時は、自分がしたくてする事なんだけど、相当辛かったのを思い出します。絶対にちゃんとしてあげたい、最後にしてあげられる事だから、心を込めてお墓を建てようと決めていました。誰も相談にのってもらえる人もいませんでした。何度か義家族にも声をかけたものの、興味を示してくれる人もいなくて、まだまだ小さかったぶーぶーを連れて、一人で何度も墓石屋さんに通いました。本当なら、まだまだ、旦那さんの誕生日や記念日のプレゼントとか楽しく選んでいるものだろうに、なんで私は、こんなにも想いを込めて墓石を選び、墓石に刻む言葉や写真をたった一人で考えているんだろう・・・と、涙がポロポロこぼれて仕方なかった。お墓って、こうやって一人で買いに行くものなんだろうか?知らない土地で、一人で旦那さんのお墓を選んでる人が他にいるんだろうか・・・と、ものすごく孤独で悲しかったことを覚えています。もちろん、そういう状況にある人は、世間にもたくさんではないと言え、少なからずいるだろうけど、実際に私の周りには一人もいなかったので、なんだか骨身にしみて辛かった。今、あれから四年の時が経って、あの頃の自分を褒めてあげたいと、甘ちゃんの私は思います。電話の一本でもかけれるのなら、大丈夫だよ、きっと大丈夫になるよと声をかけてあげたい。当時の私の様な気持ちで、この記事を読んで下さっている人にも。根拠はなくても、そうやって、肩を抱いて声をかけてもらえていたら、どんなに心強かっただろうと思うから。

黄色い花黄色い花黄色い花


ぶーぶーのリクエストに応えて、ソーセージのパンを焼きました。モッツァレラチーズとハムのパンも。体には良くなさそうだけど、お友達も一緒に、めっちゃもりもり食べてくれました (*´∀`*)