「信州つわもの列伝」(仮称)出版の暁の際、「渡辺金太夫照(てらす)」伝の記事の中で姉川古戦場のいい写真が欲しいと思い立って、いざ!出陣。
金太夫照は、徳川から武田の家臣となり、信州の伊那高遠城攻防戦で憤死したもののふ。
出版などというものの、筆がのろくて…いったいいつ出版出来るのか…暗澹。
ともかく出陣!
だがどういうわけか、姉川の古戦場へ行くといつも雨模様・曇り模様。
ったく、もう。
金太夫は徳川陣の最前線に陣を構え、合戦が始まるとものすごい活躍をみせた。
しかもその出で立ちがど派手。
「真っ赤な唐傘を高くかかげ、金色の短冊を何枚もぶらさげている。短冊が日光にキラキラ反射して、目立つことこの上ない。しかもそれを背負った武者が暴れること、強いこと! 長槍を自在に操り、次々と敵をなぎ倒していく」
こんな場面を敵の浅井・朝倉方の陣を構えた姉川右岸から、川を挟んで徳川の陣を望む1枚の写真!
これがほしい。
下の合戦図でいえば、朝倉景紀陣あたりから見る家康陣を撮りたい。
ところが。
徳川本陣の勝山(合戦勝利後、岡山をこう名付けたとか)が、うまく見えない。
河川敷に竹林が繁茂して邪魔で堤防から見えないのだ。
竹藪の蜘蛛の巣に顔をやられながら苦心惨憺移動するもダメ。
勝山も小高い丘とあって、あまり離れるとますます見えなくてダメ。
やっと撮ったこの写真。
後方の山は、信長が陣を置いた茶臼山の竜ケ鼻の陣所。
勝山は見えない。
仕方なし、対岸の家康側の堤防からの写真がこれ。
うーん、これじゃなぁ。
茶臼山から前進した信長の陣所あたりへ行くと。
勝山はかくのごとくよく見えるのだが。
この勝山の後方に姉川は流れている。
これは信長の陣方面からみた勝山。これがいいか。
一帯の古戦場には、いくつか合戦の史跡が立てられていて説明書きもあり、のんびり歩いての古戦場巡りが楽しいかも。
こんな絵看板も。