あれからもう6年にもなる、久しぶり、姫路城。
あんときゃこんな姿だった。
6年前もチャリで堀の周囲を快走!
そうまさに爽快な快走、今回もチャリにて。
そして城内への入城券も買う。
とても天守など登れないくせに。
姫路城はきれいだなぁ、つくづく。
どこから撮っても美しいと改めて。
外国からの観光客が押し寄せるのは当然。
少し白すぎる感あるけど、石垣にも櫓にも見惚れる。
今回は初めて天守の心柱を見た、すごい太さだ。
いったいどうやってこれを天守閣の中心に据えたのか。
クレーンもない時代に、この高い所に。
不思議だ、偉大だ。
さてこのアングル、映画「宮本武蔵」で武蔵旅立ちの場面で。
また「影武者」では信玄を狙撃する場面で。
そして「007」では忍者が出て来たぞ。
懐かしい。
天守閣には無念、登れず、仕方ない、あちこちを撮る。
これなんかすごい! 自画自賛。
周囲をゆっくり巡り、東西南北から、天守閣を撮る。
我がチャリ、大儀。
遠くから見てもかっこいいなぁ、松本城とは比べ物にならないわ。
かつて、「国宝探訪」というテレビ番組で、「この心柱、この石垣どうやってつくったんでしょう?」という単純な質問に、専門家は、
「権力、権力でしょうね。それしか答えようがないです」と。
強制的だったとしても、その権力によって、こんなすごい建造物を後世の我々は目にすることが出来るのか。
民衆の辛苦・労苦・辛酸・犠牲なくして…。
ありがたいことだ、感謝だなぁ。
さて、次は赤穂へ向かう。
6年前に雨の中、市街の四十七士の居宅址もよく回った。
四十七士の木像も、石像もよく撮った。
今日の一番の目的はこのモニュメント。
相生市と赤穂市の境の高取峠。
時は元禄14年、1701年、3月19日。
「エイホ、エイホ、エイホ、エイホ」と、江戸から155里、およそ600キロを、わずか4日半で、早打ち駕籠が、ここ高取峠へ。
赤穂藩士の萱野三平と早水藤左衛門を乗せた早駕籠である。
「藩主浅野内匠頭、江戸城内にて刃傷!」の報を家老・大石内蔵助屋敷に伝えねば、一刻も早く伝えねば!
この早駕籠にて赤穂の街はてんやわんやの大事件となったのである。
国道252号高取峠あたりは、クルマの往来激しく、道幅も狭い。
しかも新緑の候、赤穂の街を眺めるいい写真はついに撮れず。
赤穂城…、といえばこの絵かな。
天守・城に向かって、夜、下城して最後の別れで大石内蔵助が深く頭を下げる場面。
大石神社では門前参道にて、四十七士石像が迎えてくれる。
早駕籠に乗っていた早水藤左衛門・38歳の居宅址。
そして、藤左衛門の木像。
だが萱野三平・27歳は四十七士に名を連ねることはなかった。
討ち入り前、三平は無念にも自害をして果てている。
実に哀しいもののふの宿命にて…。
これは二人が赤穂の街中に到着した時、すぐさまに飲んだという息継ぎの井戸、まだ残されている。