終わりなき日常


久しぶりの更新となります。

更新がなかったのはすでに引きこもりでなくなり、規則正しい生活を送り、働いているためこの「脱引きこもり」としてのブログの更新に躊躇と困惑があったためです。


最近も相変わらず仕事は順調で、業務にも慣れ、同僚とも仲良くやることができ経済的にも給料は普通の人に比べれば安と思いますが特に不満はない生活を送っています。


ただ働いて寝ての繰り返し、たまに遊びに出かけたりというごく普通の日常です。

この前は合コンに行ったりもしました(笑)


ただ幸せかといえば引きこもっていた時と比べればましだが今だに引きこもっていた時の傷が癒えておらず常に息苦しくいつまでこのわだからまりのような苦しみが無くなるのかとげんなりするときもある。


女性に対するときめきや恋心という心も今はあまりなく、魅力的な女性を見ても綺麗だなと思うくらいで付き合いたいなどという心が湧いてこない。


おそらくは未来に対して希望を見出だせていないためだろう。

希望があれば日常に張りができ自然といききとしてくるものだ。


時は流れ、いつまで続くかわからない日常があるのみ。


皆そうだ、だから日常を華やかに彩ったり、日常そのものを共有し生きている心地を実感し一喜一憂する。


彩るといえばやっぱり音楽はぼくに深い幸福を与え続けてくれている。

音楽ってホントに素晴らしい!!

音楽を聞くっててその人の世界を体験・共有する、つまり一体となることなんだなってしみじみ思う。


大好きな一流のアーティストたちと毎日のように一体となれるのはぼくに生きる力を与えてくれる。

本当に感謝の気持ちが湧いてくる。


ふと思ったが音楽ってぼくの人生のかなりの部分を占めているのだと実感する。


俺は音楽が大好きだーーーーーー(笑)


働き始めて早半年過ぎ


気がつけばもう半年以上の月日が流れた。

あっという間だった。


仕事は大変ではあるが慣れたためかなり楽になった。


同僚と仕事帰りに飲みに行ったり、たまに遊んだりと関係値も深まっている。


今まで何度もやめよう辞めようと思ったけど、結局やめずに今日に至る。



最近思うのは、この仕事は面白い人が多いということだ。

営業という仕事柄、話すことが好きな人が多く会話が面白い。


また、仕事の数字の部分では必ずしもしゃべりが上手い人間が取れるというわけではないというのが面白い。

見た目は全くやる気が無いなよっとした感じで、声も小さい人間が現在では一番数字を上げている。

ただ、リアクションがうまくお客様を引き込むことに長けている。

正にダチョウ倶楽部に入れるのではといった具合だww


仕事場の人といろいろ話してみて気付いたのは、皆自分の考えを持って切磋琢磨しながら生きているということだ。どれだけ順風満帆に見えても何かしらの悩みを抱えている。

人とはそういうものなのだと改めて思う。


人生賛歌


人は時間というレールの上で喜怒哀楽し、数多なる考えを巡らせ、DNAの指示に従い終わりを迎える。

時間・DNA

この2つは人間に宿命ともいうべき方向性を形作る。

僕らの意思というものは意外と僕らの意思ではないとも言える。

知性という非物理的なオプションも備わった人間はなにか切なく涙ぐましい存在に思える。

「人生賛歌」これは喜怒哀楽と存在認識により創られる正に宇宙の芸術である。


いつも応援ありがとうございます!

営業とは


現在の仕事についてだんだんと強く思ってきたのことがある。


営業と詐欺とはかなりすれすれなのではないかと。

ひょっとしたら詐欺そのものに近いのではと。


今の仕事に就いて毎日数字に追われるようになって、罪悪感を感じることがしばしばある。


基本的に営業とは売る商品・サービスについて良い所ばかりを強調することになる。

もちろんお客様に訊かれたら答えるのだが。訊かないお客様には基本的にマイナス面をいうことはあまりない。


最初のうちは言っていたのだが、先輩に「言わなくて良い」「契約取れなきゃ意味ない」などといわれ最近ではあまり言わなくなってきた。


もちろん最初に比べて今のほうが契約数も上がっているのだが、罪悪感が増してくる。

「詐欺」を人一倍嫌う自分としては心が痛む。


こんな仕事をずっと続ける気にはとてもなれない。


仕事とはお客様のお役に立って、満足を得ることで給料をもらえるものだ。

営業のプロはどんなものでも売るというが、果たして単に営業力があるだけなのか、騙すのがうまいだけなのかは疑問だ。


どんな仕事でも何かを売らないと食っていけない。

数字が悪かったら切磋琢磨して何とか数字を上げていかないと生き残れない。

そのためには売る商品の開発やその商品の良さをいっそう強調することとなるだろう。

例えば、食べ物で防腐剤が入ってることや、中国産であることなどを偽装することは詐欺になるのだろうか。

恐らくこれはれっきとした詐欺になる。騙しているのだから。

「騙す」と「隠す」というのはかなり似たことに思える。


世間一般論では確認しない者が悪い。調べないものが悪いという風潮も強いが、これはこういった社会背景が起因してるのだろう。


経済活動であるかぎり、ビジネスであるかぎり売らなければ生き残れないという現実と照らしあわせて経済が良く廻るやり方はないものだろうか。


「モラル」

これが社会全般隅々にまで浸透すれば解決すると思う。

これがないことで数字が上がれば何でもいい、自分の売上さえ上がればあとはどうでもよいという個人主義がはびこって問題が広がっている。

この個人主義を評価する会社システムにも問題がある。


この問題は国レベルで動かないと解決しないだろう。

モラルとは会社が教えてくれることでなく、親や学校が教えるべきものだからだ。


ぼくの仕事場で数字をよくとって評価されている人がいるが、どうみても黒く染まっている。

同時にモラルも低く同義をわきまえない人間と化している。


ぼくはもうそろそろこの仕事を辞めようという思いが強くなってきている。



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