浄土真宗のお寺で大々的に写経をさせてくれるという場所をたまたま先日見ていたテレビでやってました。
これは不思議だ、浄土真宗だろうが?
というわけで興味津々、早速カミサンと2人で行ってみました。
知識の無い方には
「別に寺で写経なんて色んなところで見るけど何が不思議なの?」
となるかもしれないのですが、真宗系寺院では普通写経はしません。
写経も「行」になるから不要とされております、一切の修行や自らの精進で「悟り」を得るというものではなく「南無阿弥陀仏」とただ念仏すれば極楽往生できるという宗旨だからです。
「これは面白い、行ってみよう、書いてみよう。」
私は物見遊山の気持ちでしたが、カミサンは浄土真宗が写経行などしないということさえこの日まで知りませんでしたので、(仕事で写経用紙売っているくせに本当かよ?)
「般若心経じゃないの?時間かかりそうね」
なんて言っていましたが、とりあえず、上野発の常磐線、ついたところは「牛久大仏」
地元じゃ有名な観光資源ってくらいにまで成長している施設でした。
入口で拝観料¥800円、やっぱり入るのにお金取るの?
そうだよね単立だもの、寺院運営方針の柱は財務至上主義じゃなきゃお寺としてもやっていけない、寺といえどそこにいる人は人間ですから喰って行かなきゃならんもん。
本願寺の事情通にはおわかりかと思いますが、このお寺は昭和の昔に「お東し」いわゆる京都東本願寺(浄土真宗大谷派)の傘下から離脱し単立の東京東本願寺とし本山となられた寺院です。
本拠地浅草の手狭になったの附帯墓地の増設のため、郊外の牛久の地に墓苑建設にあたり施設の目玉として大きな阿弥陀如来を建立、小動物園やお花畑を整備して公園化、入場者を募り拝観させています。
「こんなデッカイもん作ったら入場料取らなきゃ、そりゃペイ出来ねーもんな~。」
なんて考えながら入場、大仏胎内に入りエレベータで一番上まで上がりました。
この日はさして天気は良くない薄曇り、眺めそれほど良くないので早めに目的の写経場へ
ここでまた悩みました。
でてきた用紙は3種類、三誓偈、正像末和讃、回向文、
「えっ、ん~何だかな~?これ写すんかい。」
まっいいやどうせやろうと思ったんだから
「一番長めの三誓偈にします、ください」
「はい 500円です」
時間が無いので筆ペン選択、ぱっぱっと書く、20分程度で奉納台へ納め、終了。
私の乱筆な拙い四十八誓願は阿弥陀さんのもとへ...とは行かねーだろうな。
日本の少子化は深刻です、無論、寺離れや檀家離れは仏教界だけの話ではなく宗教界全体の話になって来ています。
これからもっと人口が減っていくのに昔と同じような件数の寺院がいつまでも存続できるのか疑問です、仏教に限らずそもそも2500年以上昔の世界の教義をそのまま伝えたところでもうなんのリアリティもありませんよね、だからこういう思い切った手法もこれからの寺院運営には必要とされるのかもしれません、テーマパークと言われようがとりあえず引き付ける、来させる、万民に小さな満足をさせる形を変えた発願?なんでしょう。
そう考えれば、奈良の大仏、長谷の大仏、みんな当初目的は同じでしょう。
総じていえること「生きているうちの祈りは、すべて現世利益追求」
極楽に往生したいと願うのも、生きていればこそ念仏できること、だから現世利益、違うか?(笑)なんだこのロジック、穴だらけ。
帰り際、今までいた大仏を再度見上げました、両手の指で輪を結ぶ(印)阿弥陀定印をこの日ばかりは「今の世の中お金です、きっとあの世も」と見えたのは、私だけでしょうか?
はい、私だけでした?失礼しました。
悪しからず。
では