福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

福聚講 今日の言葉  

2019-09-16 | 法話
仏教にとって堅固な現実はあったためしがない。「悟り」とは事物にこのような本来の存在を付与する無知の夢から目覚める、ただそれだけのことである。
フランスの科学雑誌「科学と生命」は2000年1月号で『ビッグバン以前』を特集した。アンドレイ・リンデはカスケード宇宙について語り、ビッグバンは次々と起こっているとしている。マルタン・リースは絶えず再生し、終わりの無い多数の宇宙からなる「多重宇宙」なるものを提示する。ガブリエル・ヴァネジアノにとってビッグバンは宇宙の始まりではなく宇宙の歴史の単なる1つの曲がり角である。とする・・これらの多様で矛盾し時には相容れない理論は宇宙の始まりをかんがえる宇宙理論そのものの危うさを示している。
仏教からみるなら哲学、科学いずれの分野でも「始まり」という概念に固執するのは現象の実在性に対する抜きがたい信仰の表れにすぎない。(仏教にとって始まりの問題を考えるとき分析に耐える唯一の方法は「始まりの不在」という立場である。)・・・

瞑想というのは理性と論理を土台にしなければなんの価値も無い。・・
キエンツエ・リンポチエは『智慧のしるしは自己制御であり、自分の修行で成熟したしるしは葛藤の元になる情動がなくなることだ。つまり、人が賢くなり、ものを知ればそれにつれて心が晴れ、穏やかで正しく律せられしかも、なおざりでも高慢でも、うぬぼれでもなくなるはずだ。精神の修行が間違いなく自分の否定的情動を抑えるために働いていることを絶えず確かめなさい。・・もし修行によってエゴイズムや否定的想念が増えるとしたらその修行をやめる方がいい。あなたにはむいてないのだ』(このところは一番同感します。専門の修行をしても一層否定的になる人がいます、私も遥か昔ですが同朋数十名での四度加行に閉口したことがあります。こういう否定的想念がはいってくる行はやめた方がいいのです。)
自然科学の分野で相次いで起こっている認識革命は、(俗人が信奉する、お金、地位、権力等の)「最終的確かさ」という概念はこれからもずっと根拠がないことを示している。・・一方『悟り』はそれとは全く別の確実さをもたらす。その確実さは一瞬ごとに体験によって確かめられる内的発見から生まれてくる。・・・

仏教では空性の理解は限りない愛と慈悲の形で表される。
チベットの隠者シャブカルは書いている「慈悲の心を持つものはすべての教えを手にしている。その心を持たぬものはなにも手にしてはいない。空性について瞑想するものでも慈悲の心を必要とする。それが瞑想の核になるからだ。」(空悲不二といいます
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