こんばんは。結喜です。今回で最後になりますが、台風19号で死を覚悟した2つ目の理由です。

 

② 避難したくても

避難場所が遠いうえに

移動手段がなかった。

 

 10月12日に浜松では台風19号による避難場所を指示されましたが、私の交通手段が自転車と徒歩しかなく、さらに指示を出された頃には大雨が降っていて移動できる状態ではなかったからです。

 

 

 バスやタクシーの移動も考えましたが、浜松では台風19号のために、朝から交通機関が完全に停止しており移動したくてもできない状況でした。

 

 

  「あ、これはもう無理だな・・・。浜松に台風が直撃するし死ぬな。」と腹を括りました。息子にも「ここ1階だし、そこ●●川だから氾濫する可能性大だし(←自宅から197m)、避難もできないし、今回は私たち死ぬかもしれないけれど覚悟しといて。」と話しました。

※ ちなみに氾濫した地区もありました。

 

 浜松では台風19号がくる2日前の10月10日から市をあげての対策が行われていました。もちろん私もです。なので、これでダメだったら仕方ないなと思っていました。

 

 ↓浜松市が運営している子育てサイトのぴっぴでも「大型で猛烈な台風19号が三連休を直撃しそうです。備えはできていますか?」と注意喚起されています。が、大型どころの話しじゃありませんね・・・・。直撃したら下手すりゃ死にます。

 

 

 

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そしてついに地球史上最大級の台風19号が浜松に上陸しました。私は死を覚悟して最後の読経をあげていました。

 

 「私のこれまでの人生は本当にものすごく苦しくてたまらなかったけれど、人生そのものにはまったく後悔はない。今死んだとしても、もうなんの怖さも後悔もない。」と思えました。

 

  結果的にいうと台風は浜松を直撃しませんでした。浜松市のある地域では被害がありましたが、うちの家は風や水の被害にまったく遭いませんでした。停電もありませんでした。

 

 10月10日(ほぼ11日)と10月12日の台風の比較です。もともと浜松に直撃する予定が、台風直撃の場所がずれています。

 

 

↑ うおおおおお!!!!浜松直撃逃れてる!!!!

 

 10日の夜から読経に入っていましたが、まさか台風の被害が0だとは思いませんでした。もうびっくり仰天です。

 

 11日の夜には九州の実家の母に「今回は本当にもうダメからしれないから、私が死んだとしても悲しまないで。」と連絡を入れていました。

 

 後日談になりますが、この電話を母が受けた時に母はお堂で祈祷中だったのですが、ある神様のところで私からの電話を受けたそうです。

 

 その神様とは四天王です。

・ 持国天は東方守護・・・水火の災いを防ぐ。
・ 広目天は西方の守護・・・怨みを退散させる。
・ 増長天は南方の守護・・・病気をなくす。
・ 毘沙門天は北方の守護・・・財をもたらし、悪鬼を滅ぼす。

 

 この持国天の水火の災いを防ぐという部分で私の電話がかかってきたそうです。台風が過ぎ去った後に母に安否確認のための連絡をいれると、「持国天は水火の災いを防ぐと言われているんだけど、東に向かってお経をあげている最中にあんたから連絡があったからきっと仏様たちに守られたんだね。」と母に言われました。

 

 さらに言うと、昨年の台風24号の時も自宅の真後ろの公園は被害が甚大でしたがうちは何一つ物理的な被害に遭わず、浜松の8割が停電した中で停電すらせず電気を使い続けることができていました。

 

【昨年の台風24号の被害】

 

↑ 自宅から10m先の公園

 

 

↑ 浜松の8割が停電。うちは被害なし。

 

 私は神仏の力というものを数多く経験しております。実体験としていうと、神仏の力というものは本当に生命の危機が迫った時や本当に困っている時しか発動しません。普段は何もありませんが、本当に大変になって死ぬかもしれないという時にはじめて動いてくれます。

 

 災害に遭って命が助かる人、助からない人の違いというのは宿命と言われるものだけではなく、そこに祈りがあるかないかで決まると思っています。少なくとも私はそう思っています。

 

 信心というものは形だけのものではなく、心からのものです。そして心と共に供養や儀式をするにも「作法」というものがあります。その作法すら守れるのであればやらぬ方がよい。とすら切り捨てる宗教もあるぐらいです。なので神仏のご加護をいただくには、心+作法が必要になってきます。

 

 ある宗派では、要約すると毎日お経をあげているからとか祈っているからではなく、その想いがどれだけ強いかで神仏の感応が変わる。僧侶だから信徒だから効果があるのではない。それぞれの信心の強さによって効果は変わるから名目だけの僧侶や信徒がお経をあげたところで効果がなくても恨まないでくれ。とはっきりと経本に書かれています。

 

 お経をあげるだけなら保育園や幼稚園の子ですらできます。心が入っていなければ正直僧侶や神主といった神職を名乗る人は必要ないと思っています。

 

 現在、宗教離れが多くなっていますが命の危機があるレベルの災害時にこそ神仏の力が本領発揮され、そこで一命が食い止められます。しかし、それは付け焼き刃の信心ではなく、普段からの習慣的な信心が必要になってきます。

 

※ 信心というのは宗教に入るから得られるものではなく、宗教に入らなくても心からの感謝や祈りがあればそれが信心だと私は考えております。

 

 宿命というものは確かにあります。ですがそこに祈りがあれば、運命の作用が加わって、宿命で決められたものが変化するのだなと今回の出来事で改めて祈りの大切さを学びました。

 

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