デ某の「ひょっこりポンポン山」

腎がんのメモリー(術後10年クリアーし"卒がん")、海外旅行記、 吾輩も猫である、人生の棚卸しなど。

文筆家の語る断片より

2018-10-08 23:43:58 | 人生の棚卸し
 朝日新聞の「語る~人生の贈りもの~」。つぎつぎ著名な文筆家が登場するシリーズです。「書く」のではなく『語る』すなわち 記者が聴き取り綴ります。その分!「文筆家らしい文章へのこだわり」が薄れ、生! あるいは 素!の 人物像が浮き彫りになります。

    
                     きょうの夕空 やっぱり秋やなぁと・・・。

 谷川俊太郎さん。いつも斬新でカッコ良く「詩」につきまとう歯の浮くような印象を払拭させた詩人。叶うわけないのに「叶わないなぁ」と思っています。ナリ(外見)はカッコ良くみえませんが、ご本人が「背が低く不格好」を自認されては、脱帽であります。

 女性を好きになるのは世の男性の習性として、谷川俊太郎さんがこれでもか!と女性に惚れるのには半ばあきれ半ば羨ましく思います。当然!おつれあいもつぎつぎ替ります。有名で語りの達者な詩人が「谷川俊太郎です」と手を差し出せば、そりゃあね・・・


    

 谷川さんは今は一人暮らしの由。恋愛しているか否かは「コンフィデンシャル(機密)ってやつです」と。意外なのは女性関係!だけではありません。「僕は詩は小商いの世界だと思っています」。小商いとは控え目ですが、なかなかのエンタテイナーではあります。

 「生きている」ことについて、茨木のり子に捧げた詩の最終連にさりげなく「明日を夢見ることを許された一日の終わりに」と記します。明日を夢見ることができなくなれば明日は生きてはいない・・・到底かなわない!谷川俊太郎の谷川俊太郎たる所以でしょうか。


   「いまここにいないあなたに」  谷川俊太郎
  いまここにいないあなた / でもいまもそこにいるあなた
  たとえすがたはみえなくても / おなじひとつのたいようにまもられ
  おなじふかいよるをゆめみて / おなじこのほしにつかのまいきる あなた
  あなたとことばで であいたいから / わたしはかたる かたりきれないかなしみを
  わたしはかく ことばをこえるよろこびを


    
          デュランタ・・・藤色の花が多いそうですが、白い可憐な花です(和知山野草苑にて)

 五木寛之さんは自らの半生を「悪行に悪行を重ね・・・」と仰っています。そうでなければ戦後、満州からの引揚げはじめ「生き残ることはできなかった」と。満州で一家がロシア兵に襲われた出来事・・・TVで「初めて語る」と仰ったことには触れませんでした。
       https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/d2140c66fe0ef23a9c308becbadf3e97

 二番煎じでも語るに足る出来事であり「敗戦」を象徴する事件ですが、一切触れませんでした(語るのが辛かったのではなく流行作家のプライドかと・・・)。最近、某有名落語家が同じ年の同じ舞台で語ったネタを(落語の「題目」ではありません)また語ったのと好対照でした。

    

 五木さんは『闘病という言葉は好きになれません』とした上で、こう語っています。
 『運命に身を委ねるということは、為すがままにして病に敗けるということではありません。勝ちとか負けるとかを超越した考え方だと思います』『病気と闘い、病気をやっつける。そうではなく、病んでいる細胞をなんとか応援して立ち直らせる。こういう考え方のほうが寧ろ医学としては本筋ではないかと、考えることがあります』『同様に、老いと闘うと言えば、老いることが悪になってしまいます。老いに身を任せ立派に老いていくということのほうが寧ろ人間らしいのではないかと思います』

 以下は「がん細胞の悲しみ」より。ノーベル賞の本庶さんが語られているような内容ですが、数年前に刊行された「生かされる命をみつめて」に収録されています。 
 『人間の細胞というのは人間の体を支えて働いている。でも一所懸命働いて酷使されて、細胞も老いて行く。傷つく細胞も出てくる』『老いたり傷ついたりして仕事ができなくなった細胞が出てくると、今度は周りの細胞の中に老いたり傷ついたりした細胞の分まで頑張らなきゃという細胞が出てくると思うのです』『そういう善意の細胞は、それこそもうフル回転して全力で頑張る。そして余りに夢中で全力で疾走し過ぎた結果、止まらなくなってしまい、いわば無限の増殖を続けるようになって、ブレーキがきかなくなる。それがひょっとしてがん細胞というものではないだろうかと思うのです』

       少し長いですが(34分) 辻井伸行さん渾身のラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」



 【補遺】… 2022.10.8記

 もう4年前のブログ記。がんについてのRarudoさんのコメントを懐かしく思いました。
 4年前だと「術後10年」が見えてきた頃。がん細胞に対する或る種の哀惜が感じられるブログ記かな?
 俄かに冷んやり寒く… 毛糸の靴下をはきました。徒然に PC TV 書三昧。腰の痛みが止みまセーヌ河。
 


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12 コメント

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映画「逢びき」 (いせえび)
2018-10-09 16:45:16
こんにちは。
辻井伸行さん、今やわが国のトップピアニストでしょうね。
私はピアノ演奏の巧拙を聞き分けられない程度の聞き手ですが、盲目のハンディをものともせず、すべて耳からの記憶に頼っての演奏は、まさに驚きです。
「ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番」は大昔のモノクロ映画「逢びき」をリバイバルで見ています。
その中で繰り返しこの曲が使われていました。
シリア・ジョンソン、トレーバー・ハワードという地味な俳優だったこともあり、また内容的にもこのすばらしい音楽にふさわしい、魅力ある映画とはいえないものでした。
Re : いせえびさん (デ某)
2018-10-09 19:52:52

いせえびさん
ナイ!ものと思っていたコメントをアリ!にしてくださりありがとうございます
長~い前置きの後に・・・行く迄に「や~めた」ってところでしょうね
まあ早目の店仕舞いがいいかもしれません

> 私はピアノ演奏の巧拙を聞き分けられない程度の聞き手ですが・・・
♯ Me too!

> 盲目のハンディをものともせず、すべて耳からの記憶に頼っての演奏は、まさに驚きです。

辻井さんは「生まれながらに」ですから 総てにわたって 初めに音ありき!
耳からの情報が見事に格納されていることと思います
もう「始まりの始まり」にある私は、つい先刻聴いたことも忘れるのが哀しいです

> 大昔のモノクロ映画「逢びき」をリバイバルで見ています。
> その中で繰り返しこの曲が使われていました。

よく知られた話のようですが、私はその映画は観ていません。
いせえびさんが「ちょっと先輩」だということを改めて実感しました(笑)
それにしてもタイトルはズバリ!「逢びき」
「しのび逢い」「恋の逢瀬」ぐらいにしてほしいところです

> 内容的にもこのすばらしい音楽にふさわしい、魅力ある映画とはいえないものでした。
そうですか・・・
であれば、「逢びき」でいいのかもしれません(笑)

では おくちなおしに
クロード・チアリ「夜霧のしのび逢い」を。
https://www.youtube.com/watch?v=1m79vWnxyKk
QPさん (遠音)
2018-10-09 23:00:16
34分聴きました。 思いがけない夜になりました。
ありがとうございました。

私と言えば 某有名なカステラの端っこ
を買ってきて あれーと思うほどムシャムシャ
食べながら・・コンサート気分でした。

Mさんが いつもQPさんの絵を見ています。
二人でその絵のすてきなことを話し合いました。

何かの時にデ某さん経由でよろしくと伝言頼まれたまま
旅立ってしまいました。 すみません。
どうぞお元気で 辺コメ 不要です。ではまた。
Re : 遠音さん「QP」 (デ某)
2018-10-10 09:25:07

遠音さん
カステラ発祥の地からのコメントありがとうございます

> 34分聴きました。思いがけない夜になりました。
この曲に限らず ピアノ協奏曲は なぜか劇的で心の深いところに響きます
学生時代に或る縁で「ふるさとによせて」という合唱組曲の創作に関わりました。
友人が作詞した「Ⅲ.空」には、公害による喘息で亡くなる子が描かれ
その最期に 弔いの鐘の音のように高く低く鳴り響くピアノが印象的でした。
当時三十代の作曲家に依る作品ですが、
ラフマニノフのピアノ協奏曲2番の冒頭30秒余のピアノの響きによく似ています。
そんなことを思いながらここにご紹介した You tube でした。

> 私と言えば 某有名なカステラの端っこ を買ってきて 
> あれーと思うほどムシャムシャ食べながら・・コンサート気分でした。

例の氷砂糖を小さくキラキラまぶした甘~い「カステ~ラ」ですね。
坂本竜馬さんも気に入り、よく頂いたと言われています(笑)

> Mさんが いつもQPさんの絵を見ています。
> 二人でその絵のすてきなことを話し合いました。

Mさんがお元気のようで嬉しいです(懐かしいです!)。
そう言えばMさんはQPの絵のことをよく記してくださいました。
QPは いま或る村の自治会の婦人部長さん、
秋祭の直会(なおらい)などに奮闘している由。
歌声喫茶やバンドのMCとしても活躍してはります。

> 何かの時にデ某さん経由でよろしくと伝言頼まれたまま旅立ってしまいました。 
「よろしく」と仰っていただいただけで嬉しいです
Mさんにも よろしく! お伝えくださいね。

> どうぞお元気で 辺コメ 不要です。ではまた。

「返コメ」ではなく「辺コメ」とありますので(笑)
コメントの周辺をぐるっとひとまわりしてリコメさせていただきました。
栗羊羹とお茶をいただき、辻井さんの演奏を聴きながら・・・ゆ~っくり記しました。

今!辻井さんの演奏が終わりました。嵐のような、そしてあたたかさのこもる歓声と拍手。
オーケストラメンバーの辻井さんに対するリスペクトが感じられるのも誇らしいです。

それにしても ナイ!と思ったコメントに二つもアリ!・・・アリがたいです(笑)
ではでは・・・遠音さんの愉しい旅 思い出たどる旅の恙ないことを心よりお祈りします。
したっけねぇ~
善意の細胞 (Rarudo)
2018-10-10 12:53:42
身体を支えるために
傷ついた細胞の分まで全力で頑張って
ブレーキがきかなくなるまでに働き続けてくれた細胞
それががん細胞かもしれないんですね・・

腑に落ちました。
私ががんを少しも憎めなかった理由がわかったような気がします
Re : Rarudoさん「善意の細胞」 (デ某)
2018-10-10 14:55:50
Rarudoさん
いつも忘れた頃に(忘れるわけありません!)現れ
あぁ 如何にもRarudoさんらしいなぁ・・・というコメントをくださいます。
ご健在を嬉しく思いながら読ませていただきました。
ありがとうございました

> 身体を支えるために傷ついた細胞の分まで全力で頑張って
> ブレーキがきかなくなるまでに働き続けてくれた細胞
> それが がん細胞かもしれないんですね・・

自身の細胞の遺伝子が何かの理由で変異し「がん化」することは以前から知られていました。
そのメカニズムを解く基礎研究が大きく発展し、本庶さんの成果もその中から生まれました。
五木さんは(おそらく)そうしたこと踏まえつつ
作家の直感(実感)を働かせ「善意の細胞」と、敢えて温かい表現をされたのだと思います。

「闘う」ことは勿論!悪ではありません。
五木さんもそのことを十分承知しつつ
闘う相手の生い立ち、背景にまで目を向けようとの思いでありましょう。

胸が痛むときはそっと胸に手をあて、膝が痛むときは膝をさすりながら
「頼むぞ。治まってくれ!」って思いますし、時そう声をかけます。
敵に対してではなく 自らの分身に声をかけるように・・・。

> 腑に落ちました。
> 私ががんを少しも憎めなかった理由がわかったような気がします
腑に落ちる・・・とても良い表現ですね
英語ではどう言うんだろう?と調べたら
「make sense to me」「finally got it」など如何にも英語的!でした(笑)

このブログ記のコア!についてRarudoさんらしい表現でコメントしてくださいました
ありがとうございました
ご体調については特に記していらっしゃいませんが、
きっと順調な日々!にちがいない、と信じています
うん、うん。 (風のフェリシア)
2018-10-11 20:53:31
五木さんもときには良いこと言うのね~。
『運命に身を委ねるということは、為すがままにして病に敗けるということではありません。勝ちとか負けるとかを超越した考え方だと思います』

同感!私としては「受容」と言う言葉を使いたいですが。

谷川さんは日本の詩人らしからぬ詩人。活動の幅も広く、本当に数少ない成功した詩人だと思います。商いに成功という意味です。

辻井さんは盲目と言うことを忘れさられたいはずです。眼を瞑れば、純粋に音楽があるだけ。
そこに「盲目」「が入り込む隙はありません。
Re : 風のフェリシアさん「うん、うん。」 (デ某)
2018-10-11 22:18:20

風のフェリシアさん
タイトル「うん、うん。」に、「だいじょ~ぶ!傷は浅いっ!」って言おうとしたら・・・
「That' right!」って感じの「うん、うん。」やったんですねぇ

> 五木さんもときには良いこと言うのね~。
随分!大きくでましたね

>> 『運命に身を委ねるということは・・・勝ちとか負けるとかを超越した考え方だと思います』
> 同感!私としては「受容」と言う言葉を使いたいですが。

運命に身を委ねる・・・そう容易なことではありますまい。
五木さんの幼少~青春時代、
やぶれかぶれ・・・にあがいてきた生きざまから見い出した 或る種の諦観だと思います。
フェリシアさんもなんども生死の間隙に立たれ、運命は「受け容れる」ほかないと・・・。
死ぬ気まんまんと生きる気まんまん・・・どちらも素直に受容されてのことなのですね。

> 谷川さんは・・・本当に数少ない成功した詩人だと思います。商いに成功という意味です。
それ・・・言い得て妙!です
しかし滔々と湧き出るセンスの良いことば、谷川さんの心ではなく 脳ミソを見たいです

> 辻井さんは盲目と言うことを忘れさられたいはずです。
> 純粋に音楽があるだけ。そこに「盲目」「が入り込む隙はありません。
ピアニストとしての才能だけではなく作曲家の創造力をもっていらっしゃると思います
あるいは サリエリ※のような「音を音として受容(記憶)する才能」と言うべきでしょうか。

※サリエリ...モーツァルトを殺したいほど憎みつつその音楽を最も愛し尊敬した同時代の作曲家。
晩年の五木寛之 (お母ちゃんの徒然)
2018-10-12 11:39:42
五木さんは
晩年になって お母様の死を書いていらっしゃる
TVでもお話になるようになられたのですが
凶暴なロシヤ兵の襲撃の状況 何度も断片読みでした
五木氏の書くことのためらいは 母を美しく保ちたかったのか
母を汚してはの思いが強かったのか
私 善がりの思考です

病床の母をロシヤ兵は足で胸元を開き 痩せた胸を踏みつける 母親は目を閉じ吐血とある
この吐血は母親自身のものか(舌をかみ切る)
それとも肺の病気によるものか 
読む者に考えを促される
襲撃後 1か月のちにお母様が亡くなられるのですが
この場面を幼少期の五木さんとお父様は見ておられた
妻は病気だと何度もロシヤ兵へ叫んでいた 父親

うつくしむ心 ここでもしみじみ戦争はいけませんね
デ某さん 私 間違った読みをしていたら訂正ください
このコメント暗くなるのではと躊躇しましたが
うつくしむ思いで思い切って投稿でした
失礼します



Re : お母ちゃんの徒然さん「晩年の五木寛之」 (デ某)
2018-10-12 17:01:09

お母ちゃんの徒然さん
深いコメントありがとうございました
コメント欄、閉じようとしていましたが、そうしなくて良かったです。

> 五木さんは 晩年になって お母様の死を書いていらっしゃる
> TVでもお話になるようになられました

敗戦、引揚げの辛酸について五木さんは結構!数多く語り書いていらっしゃいます。
しかし一家がロシア兵に襲われた際の詳細については一貫して曖昧でした。
2年前の5月、NHKの番組で「この歳になって初めて」語られたことが印象的でした。
拙ブログにその内容を紹介(※注①)していますが、迂闊にも出典番組名を記していません

> 五木氏の書くことのためらいは 
> 母を美しく保ちたかったのか 母を汚してはの思いが強かったのか・・・

お母様が亡くなられた時の気持ちを、五木さんは
「病気の母親が亡くなり身軽になったというのが正直な気持ちだった」と(※注②)。
そこに「当時の無力な自分」と「今にして慚愧」の念とが重なるように思われます。
「美しく保つ」でも「汚しては」でもなく、重い荷を生涯背負われることと思います。

> 病床の母をロシヤ兵は足で胸元を開き 痩せた胸を踏みつける 母親は目を閉じ吐血 とある
> この吐血は母親自身のものか(舌をかみ切る)それとも肺の病気によるものか・・・

この記述はたぶん一昨年5月より後のものと思いますが、前段はより具体的です。
どのような吐血であったかは、当時の五木少年にはわからなかったことでしょう。
 
> 襲撃後1か月のちにお母様が亡くなられる・・・
> この場面を幼少期の五木さんは・・・見ておられ
> (父親は)妻は病気だと何度もロシヤ兵へ叫んでいた・・・

私が五木少年であれば、そのときはわからずとも後には「舌を噛んだ」と思いたいところです。
それにしても 威厳ある家長であった父親への五木少年の心情に 暗澹たる思いがいたします。

> うつくしむ心 ここでもしみじみ戦争はいけませんね
> 私 間違った読みをしていたら訂正ください

うつくしむこころ、心象風景・・・戦争の酷さ、醜さにあって いっそう際立ちます。
それぞれに 如何様にも読み、感じ、思いをいたし・・・間違いも訂正もございますまい。

> このコメント 暗くなるのではと躊躇しましたが、
> うつくしむ思いで思い切って投稿でした。

よくぞコメントくださいました
ほんとうにありがとうございました

※【注①】
https://blog.goo.ne.jp/00003193/e/d2140c66fe0ef23a9c308becbadf3e97
※【注②】
https://www.youtube.com/watch?v=pRzr-G8DqAs

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