春休み前に、娘が「絶対に行きたい!!!」と言うので、卒業式の日(平日)に行ってきた。それでも満員だったよ。

もう一回一人で観に行きたいけど、平日で行ける日あるかなあ。


大阪市立美術館は、建物自体が重厚で何となく薄暗くてとてもいい雰囲気。

以前は、全然オシャレじゃない喫茶店が2階の階段の横にあって、娘と絵を観た後ここでジュースを飲むのが楽しみの一つだった。
1階を見下ろせるのが心地よかったのに、閉店してからは新しいカフェができることもなく、かなり残念。


フェルメールは特別好きなわけじゃないけど、やっぱり青と黄色が綺麗。
描かれてすぐの色とはきっと違うだろうから、それを見てみたいなあと思うのです。

ちょっと色々ありまして〜?
いや全然深い話でも秘密ごとでもないんだけど、この春休み間はほとんど囲碁打つ環境にどっぷり。

で、そのほとんどが9子〜25子置き、いや置かせ碁。
…( ̄◇ ̄;)


25子って!
ものすごく相手の反応が極端なので難しい…。

ちゃんと守ることが分かってる子は、もうどんだけ石を取りに行っても、全部潰されて、まーーーったく勝負になんないし
(そういう子はどんどん昇級するだろうから、それはそれでいいんだけど)

まだ全然よく分かってない子は、打てば打つほど黒石取れちゃう…。

いくら25子置きでも、石ジャラジャラ取られたら、それだけでヤル気を無くしちゃうから、なるべく取る前に取られるように打って
「取られたー!」より
「取ったーー!!」の気持ちが大きくなるようにがんばって打つ。(私がね)

お陰で、サンモクナカテで殺されたり、ウッテガエシで取られたり、ツナグの忘れて入られたり、殺してたところ粘られてセキにされたり…。

だからお互いに、アゲハマがこんもり!

これで数目差で勝負が決まれば、さらに良いんだけど、どうしても30目ぐらいの差をつけないと、思った勝敗にできない。

9路や13路盤では、だいぶ5目差以内で「勝つ」とか「負ける」とか出来るようになってきたんだけどね。
さすがに19路盤で、それもアゲハマこんもり有るのは難しすぎるぞ…。


その上、2面打ちまでやったら…
もうさっぱり訳分かんなくなっちゃって、もうドンドン石取ってくれーの大盤振る舞い!
( ̄∇ ̄)

気がついたら100目差で負けちまったよ。

「それはちょっと取られすぎ…」って隣で見てた子にもボソッと呟かれたけど

「いっぱいいしとれたああああ」と
嬉しそうにママに報告しに行く姿を見たら、それもオッケー!と大人は思うのですよ。


  さて、どのくらい間が空いたでしょうか。放置しっぱなしで、読みに来る人はおらず、すっかり囲碁なんてこいつは忘れ去ってるのではなかろうか。
  そんなことすら思ってくれる方もおらず、寂しい余生を過ごすことになるに違いないと、心配している今日この頃。
  いやそんな心配は無用で、今も囲碁教室に通い、子ども相手に四苦八苦しながら囲碁を教え、目指せ初段!と毎年仲間たちと一緒に言い続けております。

  ブログを書く気が失せたわけではなく、囲碁を続けることによって、囲碁のブログを書き綴ることに色々と思い倦ねることが多くなり、慎重になってしまっています。
  それなのに、今日はどうしても書きたい気持ちがおさまりきれず、スマホ片手に文字を打ち込んでいます。

  私にとって重大なニュースが、昨日飛び込んできました。

  重大といっても、私自身に何か関るわけではありません。ただとても尊敬していた人が亡くなったことに、悲しみでもなくひたすら感謝の気持ちが溢れてきて止まりません。

  彼がいなければ、日本の文学はこんなにも世界に広がっていただろうかと思います。日本に帰化までしてくれた時は、本当に感動しました。

  残念なのは彼のことを知ったのが、私が随分と大人になってからだということです。もし学生の頃に知っていたとしたら、私は今のような中一程度の英語力しかない自分ではなく、ものすごく英語に興味を持ち学んでいたのではと考えてしまうのです。
  彼がどんな風に安部公房の文学を英語にしたのか、きっと私は知りたくて仕方がないはずでしょうから。

  ドナルド・キーンさんが安らかな眠りにつかれますよう、お祈りいたします。




…と、ちょっと今回、文学的?(になってるか??)に書いてみました。


囲碁、ちゃんと打ってます。時々ですけど。

囲碁フォーカス毎週観てます。
ダイアナにキュンキュンしてしまい、内容覚えてませんけど。

NHK囲碁トーナメント観てます。途中で寝ちゃいますけど。


おい。