こんにちは、YUKIです。

私のブログは久しぶりに書くと大概長文になりますが、
今日も例によって長くなります、スミマセンあせる

まず、最近はもっぱらInstagramからの記事の転用ばかりでマトモにブログを書いていませんでした。

というのも以前に少しお話しした記憶がうすーくあるのですけど
私の「スピリチュアル」に対する考え方が徐々に変わってきたこと、
私が持つ「問い」に対しての「解」を得る為に、
その当時巷で紹介されていた様々な方法では
どうやら到達できそうにないというのがわかってしまったこと、
←注・到達できるけど多分時間がかかる
その「解」を得るためにわざわざ新しく手法やツールを入手しなくても、既に得てきたもので深く掘り下げられることなどが主な理由で、
(細々したメンドクサイ問題もありましたが、それは今は脇に置いておきます)
しばらくはもうスピリチュアルはお腹いっぱいだわ…という気分になっていたからです。

情報が溢れてまくっていてワケがわからなくなってもいたし、
何しろ自分の考え方と他者の考え方を比べては
ああでもない、こうでもないと一人で勝手に批判してみたり、自己嫌悪してみたりと
今となっては「何やってたんだ?(笑)」と思うようなことばかり繰り返していたので、
すっかり疲れきっていたというのもあります。

なので、去年の秋頃からは自分が思うがままに楽しみながら過ごしてみよう、ということで
一切のスピリチュアル的な活動やイベント等から手を引きました。
まあ、端的に言えば挫折したんですね。

それから早いもので1年が経ちました。

何かを「視る」とか、チャネリングだとかは、なるべく一人でヒッソリとやっていました。
よく見知った間柄であっても無闇やたらと「視える」とか「こう言ってるよ」というのも止めていました。

本当に彼らはそう言ってるのか?
自分の都合の良いように解釈しているんじゃないか?

というのも、しばらく観察してみようと思ったのです。
言っても受け入れてはもらえないだろう、という少しひねくれた部分もあったでしょう。

そして同時に、もう一度きちんと自分に向き合ってみようという試みから
それまでただ漫然と使用していたオーラソーマのボトルに、意図を込めて使うようにしてみました。
それが「手放しの7つのレベル」です。
(「ステップ」になってますが同じことを言ってます)


開始から1年ちょっと経ちましたが、7本あるうちの今、5本目に入りました。

1本目のB13 新しい時代の変化(クリアー/グリーン)
では、内側に抱えていた、もはや団子みたいになっていてよくわからない負の感情の塊を解放しました。
もう我慢ばかりするのはやめようと決めたボトル。

2本目のB26 エーテル・レスキュー(オレンジ/オレンジ)
を使い始める頃、頑張り過ぎて身体に無理がたたっていたことを自覚して、
「無理しすぎない。ちゃんと労わる」ことを覚えたボトルです。

3本目のB39 エジプシャンII(バイオレット/ゴールド)では
「自己価値」について嫌というほどの体験と気づきがありました。
これが一番大きかった!
長年、努力しても努力しても自信がつかないどころか、
まだ足りないまだ足りないと自分を追い込むパターンは
まさにこのボトルとワークすることで解放され、
がむしゃらに付加価値を付けていこうとしなくても、
「私は私のままで全然良かったんだ」と分かった時の安堵感というか、開放感は思い出すだけでも涙がこみ上げてきます。

また、4番目のボトルB52 レディ・ナダ(上下層共にペールピンク)は
近年稀に見るほど早くに使い終わりましたが
これの体験もまた強烈でした。
毎日、何かあるというわけでもなく泣いてましたが、ある日、幼少期の私が
「私を見て!!!」と泣き叫んでる映像が瞬間的に見えて、
ちょっと怖くなってボトルを放り投げたこともあります。

私の「愛」に関するテーマは「自己価値」のテーマと非常に密接に関わっていて、

「こんなに頑張ってるんだから私を見て!」
「良い子にしてるから振り向いて!」

というところから、私の長年抱えていた様々な問題が出発していたんだなあとも。
(←まあ、これも後々に「思い込み」だったこともわかりましたが。)

なので、私が随分小さい時から「見えない世界」に興味(執着かも?)を示していた理由も、
恋愛でも友達関係でも、親子関係でさえ「相手に従ってしまう」理由も、
全部はここからだったんです。

自分を見てもらいたい、見捨てられたくないから相手に従う、というパターンは私に
時に人間関係では必要なはずの「自己主張」を抑えつけていたし、
「見えない世界」、まあスピリチュアル的なことや神社仏閣に夢中になって巡ることも、もう以前のようにはできなくなりました。
もし今後もそれに関わるというのなら、なんでもかんでも、のべつまくなしは絶対に辞めて、もっと真摯な気持ちで向きあおうという決心に至り、

「でも、しばらく神社はいいや…」

と思っていた矢先のことでした。

そう、彼らは「忘れた頃にやってくる」んです。

                                                                〈続く〉