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広谷順子さんの思い出 ~広谷順子さんの訃報に接して~

2020年01月06日 | 音楽
【最終改版日:2020/01/13】


ブログ主の広谷順子コレクションの極一部

 年が明けて仕事始めとなる2020年1月6日の朝、「仕事なんて行きたくないな~」などと思っていたブログ主に、頭をぶん殴られるような非常にショックで悲しいニュースが襲いかかりました。それはブログ主が敬愛するシンガーソングライターの広谷順子さんが1月4日に天国に旅立たれたということです。(´;ω;`)

 広谷順子さんが近年歌う仕事に復帰できない程に大変な病気であったことはインタビュー記事やブログ等で知ってはいました。そして昨年9月末が最後の更新になった「うららかなる浮き世のほとり」のブログにて、「抗ガン剤の治療を止めてガンマナイフ治療を受けることになった」との記載があったので「これアカンやつやないんか・・・」と内心思っていたのですが、まさかこうなるとは思っておらず訃報を聞いたときは身近の方が亡くなられたような悲しさがこみ上げてきました。ご冥福をお祈り申し上げます。

 過去のブログにも記載していますが、ブログ主が最初に出会った広谷順子さんの歌は、幼少の頃によく聞いていたNHK「みんなのうた」のカセットテープに入っていた「道」でした。そして30過ぎた大人になって、ふとこの歌を聴きたくなってCDを探し回ったことが広谷順子作品コレクターとしての第一歩でした(この当時は広谷順子という名前も知らない状態でした)。

 その後「道」を歌っているのが広谷順子さんという歌手であることを知り、せっかくだから広谷順子さんの曲を一通り聞きたいと思いアルバムを探してみたら定価1500円のQ盤(CD選書)の中古CDが8000円以上して驚愕しつつも入手したり、当時CD未発売の3rdアルバムのENOUGH(レコード)を入手してその最高作品具合に感動したりしたことがつい最近のように思えます。
 また広谷順子さんと旦那さんの木戸やすひろさんはプロのミュージシャンなら知らない人のいないスタジオミュージシャンで多様な作品に参加していたことを知り、そこから広谷順子さん参加作品を集めたりするようになったのでした。

 その後、広谷順子参加作品を集めまくってはブログに記載するようになって、今に至ります。こんな感じでブログ主の広谷順子ファン歴は10年程度のニワカですが、「もっと広谷順子作品を聴きたい!」という思いは誰にも負けないつもりでおりました。
 そして以前綺羅のCD発売の案内メールを頂いた際に、自分が広谷順子さんファンでブログを作っていることを伝えたところ、なんとご本人様から「参考させてもらってメモりました!」という旨の返信をいただけたのが、とても嬉しく・誇りに思いました。

 また2018年10月の木戸やすひろさんの「KID65」のライブの際に直接お目にかかる機会があり、このときファーストアルバム「その愛に…」のレコードジャケットにサインを頂けたのですが、これが広谷順子さんご本人にお会いすることができた最初で最後の機会となってしまいました…(ブログ主の宝物であるサイン入りレコードは上の写真にあります)。

 ブログ主はいつの日か広谷順子さんの歌をライブで聴ける日がくることを願っていたのですが、その日は永久に来なくなってしまいました。本当に悲しいです。(;_;)
 ただし広谷順子さんには、その歌声が残る作品がどれだけあるのか判らないくらいに、たくさん存在します。そしてブログ主は音楽に疎い人間ですが、今後も広谷順子作品を収集・データ化・資料化するスキルは持っているつもりです。今後もこのブログを通じて、広谷順子さんがこの世に残した足跡(功績)を伝えていくお手伝いができればいいなと思っています。

 参考(うちのブログ): 広谷順子さんネタ(ファンサイト)・トップページ



【2020/1/13追記】

 2020/1/11に広谷順子さんの葬儀・告別式が京王メモリアル調布で執り行われました。にわかファンの分際でありますが、一般人(ファン)の参列も可能との情報があったため、ブログ主も横浜の自宅より参列させて頂きました。


受付のテント(式典終了後の帰宅前に撮った写真のため人がいません)

 現地では屋外のテントで受付をした後、ホール内に入場。式典会場は広くはないため、1階は親族等、その他参列者は2階に分けて通されました。式場内では綺羅の曲(広谷順子さんと木戸やすひろさんの歌声)が流れる中、11:30頃より弔電の読み上げが行われ、続けて親族→一般参列者の順で焼香が行われ、最後に喪主である木戸やすひろさんの挨拶がありました。

 木戸やすひろさんの最後の挨拶では、広谷順子さんは争い事を望まない優しい性格であったこと、残された時間が多くないと判ってからは“やりたいこと”をやってきたこと、元気になったら(毎年のように楽しみにしていた)ハワイ旅行にもう一度行きたかったのだが、その願いは叶わなかったことなどのお話しがありました。


お見送りが終わって解散となった直後の写真(逆光です)

 その後少々待ち時間があった後に出棺となり、(出発のクラクションを鳴らすことなく)静かに最後のお見送りとなりました。告別式の開始から終了まで1時間少々でした。

 今回の告別式に参加して感じたことは「こんなに美しい歌声が流れるお葬式なんてないなぁ…」ということ、そしてこの広谷順子さんの綺麗な歌声(曲)が、今後新たに生み出されることがないということが本当に残念でなりませんでした。
 そして帰宅後、頂いた返礼品に入っていた“「ありがとう」言葉以上の感謝を胸に…”という木戸やすひろさんの挨拶状を拝読して涙ぐんでしまいました。

 改めて広谷順子さんのご冥福をお祈りするとともに、木戸やすひろさんをはじめとするご親族様にはお悔やみ申し上げます。










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