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【連載】めろん。56

公開日: : 最終更新日:2020/07/14 めろん。, ショート連載, 著作 , , , ,

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・破天荒 32歳 フリーライター⑪

 広志が帰ったのは二三時を大きく過ぎたころだった。

 廊下で壁にもたれかかったまま座り、なにを見るでもなく宙を見つめていた私を見て異状を察知した。刑事ならではの勘というやつだろうか。その正確なアンテナに感心する。

 檸檬は泣き疲れてソファで眠った。その横で理沙もまた眠っていた。

 縛り付けられた理沙を見て広志は唖然とし、すぐに私に詰め寄ったが私もまた正常ではない。声を発することさえ億劫で、広志の目さえも見られなかった。

 ようやく自分の正体が戻ったのはさらに数時間が経ったあとだ。いつのまにか無意識に泣いていたのに気づき、それで正気に戻った。

 ダイニングのテーブルに広志はいた。飲んでいるのかと思ったが、グラスの中身は水だ。今、この状態で酒をいれるわけにはいかないと判断したに違いない。

 私の気配に気づいた広志は立ち上がった。

 すこしの間見つめ合ったまま、そしてまるでダンスの振り付けのように互いが歩み寄る。涙は止まらなかった。それを見た広志はなにも声をかけず、ただ抱きしめた。

 広志の腕のぬくもりで、緊張が解けていくのがわかる。次の瞬間、体に烈しい震えが襲った。

 背が冷たく、立っている気がしない。歯を食いしばっていなければ、ガチガチと音を立ててしまいそうだった。

 だくだくととめどなく溢れ続ける涙だけが妙に温かくて、ここから私の体温がすべて抜け落ちてしまいそうで怖かった。

「大丈夫だ。俺がいる」

 広志らしからぬ言葉だ。この男は気休めのようなことは言わない。すくなくとも私が付き合っていたころは一度もなかった。

 人間らしい、もっといえば男らしい言葉。簡単な一言だったが、今の私には充分すぎた。

「うっ……うっうっ」

 咄嗟に口元を押え、声を押し殺す。檸檬と理沙を起こすわけにはいかない。檸檬もずっと泣いていた。縛られながらももがき、暴れる理沙に優しい言葉をかけ続けていた。

 赤の他人である私にはなにもできなかった。どんな言葉もしらじらしくて、とても言えない。口をパクパクさせるだけで突っ立っている私は無力だった。

「俺の前で泣くなんてはじめてだな」

「うるさ……い……っ、うう」

 膝から落ち、へたり込んだ。広志も同じようにへたり込むと抱きしめる力を強める。頼もしかった。その頼もしさがさらに私を弱くする。

 口を押えたまま、私はひたすらに泣いた。

 広志にすべてを話し終えた時には朝になりかけていた。

 ずっと真剣な表情で聞いていた広志は、ソファで眠る姉妹を見つめた。そのまなざしには決意めいた強い光が宿っていた。

「従順を演じながら情報集め……なんてしている場合じゃないな」

 どのみち、檸檬たちを長い間ここに匿うのは無理がある。どうせ持ってあと数日から一週間くらいだっただろう、広志はそう言った。

「だがさすがにこの状況は予想できなかった。起きてほしくないことは、死角からやってくるもんだな」

「どういう意味」

「そういう意味さ。お前も休め。そしたら今晩にもでるぞ」

「でるって……」

「広島は遠いぞ」

 ハッと目を見開いた。

「……本気なの」

「それしかない。もう準備に時間を割いていられないからな。あそこに行けば、理沙を救う手立てがあるはずだ」

 そんなのただの希望じゃない、言いかけてやめた。私が諦めてどうする。できること、思いつくことはすべてやるべきだ。

「わかった。広志も休んでよ……って言ってもほとんど寝る時間ないけど」

「ショートスリープは得意なんだよ。そうでもなきゃ張り込みなんかできっこない」

「ほんと、真似できない仕事」

「お互い様だ」

 広志は笑った。釣られて私も。

 笑っている場合ではないのに、なぜか私たちは笑い合った。付き合っていた時でも、こんなに自然に笑い合えたことはなかったかもしれない。

「絶対、理沙を救って帰ってこようね」

「問題ない」

 そう言って広志はリビングの床に寝転んだ。

「ベッド使って。私はいいから」

「遠慮しておくよ」

 疲れが取れないから、と食い下がったが広志はもう寝息を立ててしまった。

 ショートスリープが得意、というのは本当らしい。

 諦めた私はせめてもと毛布を掛けてやった。

 ベッドに横たわると、「眠りたくない」という思いが頭をよぎる。

 眠ってしまったら、次に起きた時……私はめろん村に行くのだ。ギロチンが消えた……あの場所へ。子供を連れて。

 怖い。

 身震いすると、すぐにベッドから立った。そして、広志の寝顔を覗き込む。

「……大丈夫。きっと、広志がいれば」

 声を出して言うと、すっと震えがおさまった。

 やっとわかった。広志から話を聞き、ギロチンがいなくなり、檸檬の体験を聞いてもなお、私はどこかめろんに現実味を感じていなかったのだ。

 それが理沙が発症したことで自分の身に降りかかった。この悪魔のような症状が、本当のことなのだと実感したのだ。

 それゆえの恐怖と緊張が、私を支配した。

 オカルトライターなんて、肩書だけで笑えてくる。

めろん。57へつづく

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