広島市安佐北区可部町の国道191号線に
船山稲荷神社前という交差点があり
気になっていましたが
先日、神社へ行くことができました

国道から住宅地のくねくね細道を入ると
小高い丘にあがる赤い鳥居が見えました

鳥居の手前の
水路に架けられた橋を渡って


急勾配の石段を二度折り上がると


わぁーすごい山頂
360度のパノラマ
ちょっと足がすくみます


碑があります
「神武天皇が東征の砌に舟を繋いだとあります」

太古の広島県は
この可部あたりまで海だったと聞いていますが

亀山公民館(可部)のHPによると
『天皇は広島湾の奥深く、この帆待川をさかのぼり、舟山のふもとに舟を繋ぎ、舟山に登られたという伝承がある。天皇みずから舟をつながれた由緒ある山のため、別名「貴船山」(きふねやま)と呼ばれたが、いつの頃からか貴の字が取れて船山となったと---創祀年代は不詳であるが、古い記録によれば江戸時代中期には社殿があった』

帆待川は太田川の支流で
河戸帆待川駅というJR可部線の駅もあります



屋根のある建屋の奥に建つ
本殿にお参りします


周囲の住宅地が
這いあがるように建っているのが見渡せ
神武天皇が立ち寄ったのも頷けますが

ここってまるでお城みたい---

なぜなら
丘の麓の水路はお堀みたいだし
車を停めるところもなく一周してみたら
後ろにも急傾斜の丘が連なりまるで要塞のようです

後でわかったのですが
ここは71m/23mのふたつの丘陵が
ひょうたん型に連なっていて
中世は船山城だったところ

『芸藩通志』によると、享禄2年(1529)
「船山城 大毛寺村にあり、山中佐渡祐成(武田家臣)所居、後、熊谷に亡さる」と

つまり神社があったのは
ひょうたん型の平山城の南郭
お城と感じたのは間違いではなかったようです

可部の歴史を感じる
いいところに来れました