吉益東洞を超えていたかもしれない! 内藤希哲は1701年生まれ、吉益東洞は1702年生まれ。同年代の二人だが生前1度も会っていない。何故なら内藤希哲は1735年に夭逝し、吉益東洞はその頃まだ広島で無名であった。若し二人に交流があれば吉益東洞の医説も変化していたかもしれない。何より内藤希哲があと20年生きていれば日本漢方は全く違うものになっていたかもしれないと言われている。 応援クリックお願いします。 にほんブログ村