こんにちは。

夏休みに入ってから

一気に緊張がとけてしまいました。

 

これでは、先生との誓いが守れなくなってしまうので

今日からまた計画を立てて、8月までに目標を達成できるように頑張りたいと思います。

 

計画というのは一つの指標(目安)であって

達成できないときは、達成できるように修正すればいいし

余裕があるのであれば、タスクを追加すればいい。

 

何もなければ、何も始まらない。

 

さて、先日、近所の方からお子さんの話を聞きました。

奥様が私と同じ大学の看護学科の大学院を出ているので

てっきり息子さんも同じ大学に進学すると思っていました。

 

でも、彼はNAVYに行くそうです。もう、試験もパスしたそうです。

理由は、NAVYでNuclearの研究がしたいから。

 

どうやって、そこにたどり着いたのかはわかりませんが

10代で、自分のしっかりとした意思をもっていることに驚きました。

もちろん、高校の教育レベルにもよると思いますが

私が高校生の時は、都心の進学校へ通っていましたが

私個人の意思というよりは、常に周りを見て

その中で、自分にもできそうなことを探してました。

 

中学生くらいまでは、その狭い競争の中で

一番を目指して必死にもがいてました。

同じ考えの人が多いので

足を引っ張る人も多かった。

 

どんなに変わっていると言われようとも

自分の本当に興味のあることを追求するほうが

持続可能であり、何より楽しいです。

 

ただこれには本当に強い精神が必要なことが課題です。

人と違うことをやろうとすると、支持してくれる人が減ってしまったり

友だちも減ってしまって孤独を感じることもあります。

 

私は同じ大学の中の他の日本人学生と比べて

英語力は低いと思います。

おそらく両親の駐在で海外経験が私より長いと思われるオーナーズの学生。

同じワークショップに出れば、彼女は流暢な英語を話し

賞をもらい、周りの優秀な白人の学生とも和気あいあいとした雰囲気でディスカッションに参加してました。

 

グループワークのある日は、一日、落ち込む。

ストレス倍増。

 

ある意味、コロナの影響で

話すよりも書くことが増えて

ディスカッションボードにひっそりと自分の主張を書くことができたのは

ラッキーだったのかもしれません。

さもなければ、私の意見が表に出ることなどなく

評価の対象になることはなかったと思います。

 

今までの長い”嫌な経験”から

空気を読み過ぎて、傷つくことを恐れて

すぐに諦めてしまうクセがついてました。

 

例えば、先生のところへ質問に行っても

何を言ってるのかわからないから

後でメールしてとどの教員からも言われるので

授業中も含めて、直接話すことを避けるようになりました。

 

自分で自分を”英語を話しても相手(アメリカ人)には伝わらない人”というラベルをつけ

それにふさわしい立ち振る舞いをするようになりました。

これは自分を電話恐怖症へ導きました。

 

もう何年もこんなことをしてきました。

それがコロナの影響でリモートになり

ズームで授業に参加しなくてはならなくなり

事態は一変しました。

 

最初の日は、とてつもなく緊張して

もう二度とズームなどしたくない。

と思ったけれど、慣れるのも早かった。

 

むしろ、イヤフォンで先生の声がはっきり聞こえるので

自分にはプラスに感じました。

これは、先生にも同じことが起こっていたかもしれません。

先生が難しい顔をしているときは

プライベートチャット機能で、そこへタイプして伝えました。

コミュニケーションが今までよりスムーズになった気がします。

ITの進化は素晴らしい!

 

私のブログの読者さんはもうすでに気づいていると思いますが

私は他人と同じことをするのがもともと苦手です。

このため、日本では少し変わった人として扱われるか

超人として重宝されるかのどちらかでした。

 

大学の中で10000人、私と気が合わないというか

私とかかわりたくないという人がいるかもしれませんが

そのうちの数人は私の思い込みでそうではない人も数人はいることに気づきました。

 

一度、断られると二度と連絡するものかと思いがちでしたが

そうもいかないことも多く、一度取ったクラスは

一度も変更せず、先生に何度も会いに行って学期末には

先生と意気投合するようになりました。

 

30人程度のクラスですが、実際に教員のところへ

毎週質問しに行くのは一握りの学生です。

教員によっては、私以外、質問にくる学生はいないので

いつでも連絡するように言ってくれました。

 

ここで少々、話は逸れますが・・・

200 level(大学2年くらい)までは、とにかく文法の間違いばかり指摘され
こちらの期待している、エッセイの議論の仕方などを指導してもらえませんでした。

 

一番、学科の有名な教授から返ってきたことは
(above 500 level) 君のバックグラウンド(英語がネイティブでないこと)も考慮するよ。
その瞬間、私の力は抜けて、自分の意見を自由に言えるようになりました。

ここから察するに、中学、高校、カレッジにおいては

まずは英語力が追求されることが多いのではないかと思います。

もちろん、基礎は大切ですが

その前に心が折れてしまったり、英語が嫌いになっている学生が多いのではないかと思います。

そこで負けないで、その先に待っているものを掴んで欲しいと思うし

その先にあるのを掴めるように、応援してくる存在(家族や友人etc)を見つけることが大事だと思います。

 


さまざま分野の教員との交流により

自分らしさや、自分の本当の興味がどこにあるのか

見つけることができました。

 

それは、両親が私の将来のことを考えてくれた道にはなかった選択肢です。

 

多数決の世の中。大勢が指示するものがなんとなく正しいように感じるかもしれません。

でも、そこへ一歩踏み入れると競争の世界が待ってます。

 

世界に一つだけの花の歌詞にあるように

”オンリーワン”でいられる機会が

ここアメリカにはある気がします。

 

みんなと同じにならなくていい照れ

みんなと同じようにできなくていいOK

 

Have a happy weekend! 赤薔薇