本当に…
本当に久しぶりのブログへの投稿
色々と環境が変わり落ちつかない日々が続き、気が付けば随分投稿してませんでした…
こんな事ではいけない二十年以来の友からも…
『ブログに性根を入れろ』
と喝を入れられ、この記事を書いております
さて、本題に入り…『麒麟がくる』
来年二月初旬までの放送延長が決まったことはご存じだと思い思いますが
残り話数があと10回前後にも関わらず、まだドラマは比叡山延暦寺焼き討ち辺りを描いております
コロナ禍による撮影や放送の休止があり、尚且つ不祥事等で放送開始が遅れ、加えて…
話数も当初の予定から七話ばかり減らされている状況から考えたら、進行ペースが遅くなるのも致し方ないと思いますが、終盤のクライマックスとなる本能寺の変に至る過程は、相当端折るかもしれませんね
但し、ストーリーの面から言えば、限られた話数にも拘わらず、かなり見応えのある内容に仕上がっており、タケ海舟は毎回画面を食い入る様に眺めている次第です
そんなタケ海舟がドラマを見て気がついたことですが…
このドラマは戦国時代の中で、今までよく知られているエピソードとは一線を画し、視聴者若しくは歴史ファンが…
『えーそんな歴史の捉え方も出来るのか』とか『こんな見方も出来るのか意外だった』等と良い意味で視聴者を裏切り続けていると思われます
中でも、歴史上の人物ながら、これまであまりよく知られていない人物を丁寧に描くことに力を入れている様に感じられます
例えば…ドラマ第一回目の放送より登場していた三渕藤英(みつぶちふじひで)
斜陽の室町幕府再興に奔走する幕臣(奉公衆)である彼が、明智光秀の盟友である細川藤孝(ほそかわふじたか)の実兄(異母兄弟ですが)である事について、正直このドラマを見るまで気が付きませんでした
弟の藤孝が幕府管領家を務める細川家一族の分家筋の養子に入ったため、実家を継いだ兄と弟は姓を異にしているのですが、藤孝は兄の背中を見ながら、幕府再興に尽力、兄共々真の武家の棟梁として崇め奉っている足利義輝(よしてる)・義昭(よしあき)(こちらも兄弟ですが…)に仕えている訳です
則ち、藤孝にとって兄である藤英は、彼が幕府に仕える武士(武家官僚)として目指すべき理想の姿であったことは想像に難くなく、若かりし彼は、その姿に少しでも追いつきたいという想いで一杯であったと思われます(藤英の生年が不詳のため、藤孝と何歳離れていたのか不明ですが…)
同様に
室町幕府とそれを束ねる将軍が世を安寧に治めることこそが、則ち麒麟が来る世である
と考えていた光秀から見ても、三淵藤英は幕府を支える武士の模範的な存在であったと言えますね
藤英も(劇中で)堺で初めて光秀に会った時に、何か惹かれたものを感じており、以後、弟藤孝と共に光秀を幕府再興を目指す同士として位置付けていたのかもしれません
義輝殺害後、後継者たる覚慶(かくけい)こと義昭を奉じて越前の朝倉義景、さらには美濃の織田信長の助力を得ることに成功した三渕兄弟と光秀は、義昭の将軍擁立に成功、さらには幕府再興に向けて力を奮うことなったのですが…
まもなく、義昭と信長との対立が表面化遂には修復不能となった段階で、一枚岩であった三人の運命も明暗を分けることになるのです…
その結果は近い将来の『麒麟が来る』で明らかになります
①守旧派の魑魅魍魎の巣窟と化した幕府と力のない将軍を袂を分かち、信長の下、麒麟が来る世を目指そうと、方向転換をした光秀と藤孝
②あくまでも将軍が治める幕府という旧来の枠から訣別できなかった藤英
そしてこの考え方の違いが三渕の悲劇の始まりとなるのです
(詳しくは後日お話します)
本日はここまでにします
次回以降も『麒麟が来る』で登場するあまり知名度の高くない人物にスポットを当てます