『麒麟がくる』で登場するあまり知られていない人物編のその②は…
ユースケ・サンタマリアさんが演じている朝倉義景(あさくらよしかげ)です
朝倉氏といえば、越前(現福井県)の戦国大名で戦国文化の栄えた一乗谷(いちじょうだに)を思い浮かべる方も多いかと思われます
そして信長・秀吉・家康を採り上げた大河ドラマでは、必ずと言って良い程姿を見せますね
但し、それはあくまでも同盟者であった北近江の戦国大名浅井(あざい)氏とのセットであり、信長の抵抗勢力として共闘、最期には両氏揃って滅ぼされるという運命を辿ります
この辺りの件は戦国ファンなら良くご存じであり、日本史の教科書でも浅井・朝倉連合とか姉川の合戦等の記述がなされています
しかしながらこれまでの大河における浅井・朝倉については、信長の妹市(いち)の娘婿である浅井長政(あざいながまさ)の突然の離反と、市との間に儲けた三人の娘(ご存じ浅井三姉妹)との関係より描かれることが定石であり、残念ながら朝倉義景は脇役(それも時勢に疎く信長に敗れた愚将として)の域を脱することはありませんでした
それが、今回の『麒麟がくる』では初めて朝倉義景のサイドから物語が進んでいて、それが却って新鮮な感さえあるのです
史実的な確証こそ欠しいのですが、明智光秀が斎藤道三・義龍(さいとうどうさん・よしたつ)父子の内訌に巻き込まれて、美濃から越前に逃れて義景の庇護を受けたばかりか、その地で十年余りの時を過ごしたという説があり、加えて室町幕府再興を目指す足利義昭主従が義景を頼って越前に居を定めたこともあり、必然的に劇中において義景の露出度が増えるのもある意味当然かと思われます
さてさて…
義昭を擁して上洛しなかった義景とこれを擁して直ちに上洛した織田信長
結果論として
①義景は天下に号令する絶好の機会を逸し、反対に信長は好機を見事に活かした
②信長に先を越され義景は尾張のうつけ者の成功に対しての男の嫉妬から公然と信長への対決姿勢を露わにした
③予てよりの同盟関係にあった浅井氏と共同戦線を張り、信長打倒の戦いに突入三年余りの抗争の末に屠られる
上記の顛末になるのですが、決して義景は定説になっている愚か極まりない武将だったのではなく、仮に情勢が少しで義景に有利に働いたならば、寧ろ勝者は義景だった可能性もあったのです
ただ、敏景(としかげ)→氏景(うじかげ)→貞景(さだかげ)→孝景(たかかげ)と四代にわたり越前における基盤を築いた朝倉家の五代目(戦国大名として)として比較的挫折の少なかったお坊ちゃん育ちの義景に比べ…
同じお坊ちゃんながらも、家中や一族、さらには同母弟信勝(のぶかつ)との骨肉の争いを勝ち抜いて尾張一国を手中にした信長では、修羅場の経験があまりにも違い過ぎたという感は否めず…
そこの甘さが、肝心要の運命の決断の際に逡巡。結局裏目に出てしまったのかもしれません
良く知られているのは、義景自身があまり戦場に出陣する機会が少なかったことで
①浅井との共闘で信長を挟撃できる絶好の好機(金ヶ崎の退き口)
②近江に進出した信長を浅井と共に総力を結集して迎え撃った姉川の戦い
信長との抗争劈頭の大事な上記二つの局面で、朝倉軍を率いていたのは義景ではなく、朝倉一族が代理を務めていました
長政自らが陣頭に立ち、自家の存亡を賭けた戦いに挑んだ浅井氏との温度差の違いは明らかで、さぞかし長政は切歯扼腕をしたことでしょう
その後、長期戦に及んだ志賀の陣では自ら二万余の軍勢を率いていたのですが、比叡山に籠るばかりで信長との決戦を挑むことはなく、最大のチャンスであった甲斐の武田信玄の西上作戦の際にも、信玄より都へ攻め上って欲しいという要請を受け都近くに出陣しながらも…
何故か撤兵を決断味方の信玄から激しい怒りを蒙る結果を見てしまいました
但し、義景の治める越前は雪国で、冬期に敵地で戦をすれば雪に閉ざされた領国に帰還することが極めて困難になることは事実である訳で、雪によって退路を断たれることを恐れた義景の気持ちも理解できるのですが、この絶好の好機を生かし切れなかったことは…
一年以内の朝倉氏滅亡の要因になったことは首肯できます
反信長包囲網の最前線に位置していた浅井・朝倉連合軍の中で、兵力では二万余の軍勢が動員可能な朝倉の方が大敵であったのですが、総帥の義景の大事を取り過ぎる消極的な姿勢には、相当信長を助けたのかもしれません
そして、その痛恨の逸機から一年弱で、義景は自身の甘さをいやという程味わい、父祖代々百年余に及ぶ武家文化を主宰した朝倉家を滅亡させることになるのです
本日はここまでに致します