マニュアルのない生き方... | 私のイタリア時間

私のイタリア時間

イタリアに住みはじめて、20年もの月日が経ちました。
イタリアでの何気ない日々。流れる時間の中で起こる、ふとした出来事や思い。
このブログでは、そんな日常を1枚の写真と共に書き綴っています。




「ドライトマトのレシピ募集しているから、YUKIさんの、この間のレシピ、教えてあげたら???」


ある有名なオフィシャルブロガーさんの記事を見て、

友人が、こんなメッセージを送ってきました。


普段、

有名人さんとかのブログを垣間見ることはない私ですが、

どんなものだろう...

と覗いてみたわけです。


そこには、

「友人から頂いたお土産の中に、ドライトマトがあるんだけど、使い方がわからない...云々」

と言ったことが、書かれていました。


いろいろな情報が溢れる今、

調べるよりも、

人に聞いた方が、ずっと早い!

そう思う人が多いのかな...

なんて思ってたところです。


余談ですが、

先日、SNS内でも、

「ここのお店に行きたいんですけど、サイトによって開店時間が違うんですよね。誰か正しい時間、知っている人、いますかあ?」


これを見て、

一人、仰け反ってしまいました。


「お店に電話すればいいじゃん!」

と思ったのは、私の大きなひとりごと。


それだけのことですが、


溢れる情報が

あえて、

シンプルなことを

複雑にしているのかな...とも思います。


さて、先ほどのレシピの話ですが、

完璧なマニュアルのある世界に身を置いていると

それ以外の事をしてみるということを

自然としなくなる...という気がします。


日本のいろんなパッケージには、

事も細かく、

「こちらから開けてください。」

だの、

「開封の際には手を切らないよう気をつけてください。」

だとか、

「写真とは色が異なる可能性がありますが...」

なんて、

一字一句、事細かに書かれていて、

それは一見、

「親切」かもしれないですが、

イタリアみたいな大雑把な国にいると、

なんだか行動が制限されているみたいにさえ

感じてくるから不思議です。


ある食材をいかに使うのかは、

その人次第で、

作ってみて美味しければ、アリなんじゃないかと思うのです。


ドライトマトの使い方レシピの多くのコメントが

恐ろしく一方に偏っていたのを見て、

ふと、こんな事を思ったのです。


イタリアにいると、

規則正しく生きる方が難しい人たちですから、

まぁ、思い思いです。


思い思いついでに、

アレをやってみた、

コレをやってみた、

なんて聞くと、

自分もやってみたくなっちゃいます。


そうして、

大失敗するときもありますが、

大きな発見をした時には、

大きな喜びがあって、

それは、

他人にとってみれば

どうでもいいことですが、

本人にとっては

この上ないことだと思うと

マニュアルのない生き方...というのは

決して悪いものじゃないなぁと

思ったりするわけです。



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⬇︎今日もありがとう!


最後までお付き合い、どうもありがとうございます。