「今」という瞬間 | 私のイタリア時間

私のイタリア時間

イタリアに住みはじめて、20年もの月日が経ちました。
イタリアでの何気ない日々。流れる時間の中で起こる、ふとした出来事や思い。
このブログでは、そんな日常を1枚の写真と共に書き綴っています。




再生するチカラ。


あまりにも暑すぎて、
ダメになりかけてた植栽に手をかけていたら
再び、緑を取り戻した。
その生命力に、少し感動する。



何の因果か、

たまたま見ていたNetflixのドラマで、

その日私は、

レバノンのベイルートを見ていた。


行った事もない国を

こうして、ドラマや映画で見る時、

感慨深い想いに浸る時がある。


こういう国もあるのか…


行ってみたいけれども、行った事もない場所

一度行って、また行きたい場所


訪れてみたいところは沢山あるけれども

時間というのは有限だと

普通に思ったりする。


夜のニュースをつけた。


そのニュースで、

凄まじい光景を見ることとなる。


さっき、ドラマで目にしていた国、

レバノンのベイルートで

大きな爆発が起こっているシーンだ。


それは、まるで映画のようで、

一瞬、本当のニュースか???と疑ったほどで、

それが本当に起こった事だとは、信じ難く、

かなり、衝撃的な映像であった。


テロ?

それとも、

事故?


いずれにしても、

かなりショッキングな現実である。


人は普通に、

「明日」が存在すると思っている。


だから、その日常が脅かされたりすると

それに対して恐怖を抱いたりする。

例えば、コロナのように。


目に見えない不安を抱えて、

閉じこもって、

嵐の過ぎ去るのを待てばなんとかなるものならば、

そうしてやり過ごすのもひとつの手かもしれないけれど、

一瞬にして失ってしまうリスクも

生きているうちには、あるのかもしれない。


そう思った時、

普通に、人生は有限である事に

変な真実味を得たりする。



「今」というこの瞬間を、もっと大切にしよう。



そう言い聞かせる自分が

その瞬間にいた。



この爆発で亡くなられた方々の、ご冥福をお祈りいたします。




⬇︎今日もありがとう!






最後までお付き合い、どうもありがとうございます。