_(._.)_ ★今年度のテストがすべて終了した件★ _(._.)_

 

朝から春一番が吹き荒れ、夜には雪がちらつき始めた春分の日。

いかがおすごしでしょうか?

 

先週末のTOEICをもって、今年度の授業(?)はすべて終了しました! 

 

解放感から、千里川の土手まで自転車で行ってきました。

 

無線をトランシーバーで傍受(?)している有名なおばちゃんが、次に来る飛行機を案内してました。

 

かっこいい!

 

ためしにフラッシュ焚いたら、iPhone7の電池が40%から一撃で0になりました。

 

 TOEICの勉強を一緒にやっていく過程で、教えている側の私のリスニングは、70くらいから90くらいに上がりましたが、リーディングは90手前のままでした。TOEICの勉強は、受験英語の残り香がそこはかとなく香って来る選択肢を選ぶという遊戯でした。公式問題集の点数が900でも、文章も会話もほぼ何も理解できていないままなのが、おもしろかったですてへぺろ 

 

 個人的なコツは、焦りで空回りするのを避けるために、「この段落にある!」と決めつけて、一つの段落を集中して読むこと。あるいは、リスニングで選択肢をすべて読む時間がないとき、選択肢のBとCだけを頭に入れて、そのどちらかが答えに違いないと思い込んで、その判断だけをするつもりで聞くこと。そうすれば、BかCが答えの場合、すぐに選べますし、BでもCでもないという判断さえできれば、そのあとにAとDを読めば、どちらに近いのかも、おのずとわかります。

 

 あとは、TOEICの公式問題集では、毎回どこかのpartがランダムに難しいので、なんか今回うまくいかないな……と思ったら、別のパートが簡単なはずだと思うこと。簡単なpartは、すごく安直に解くこと。

 

 早口のリスニング問題の場合、選択肢とまったく同じフレーズを言うので、目を大きく見開いて4つの選択肢を凝視していたら、急にその選択肢が聞こえてくるから、とりあえずそれを選んどけば正解する。普通のスピードのリスニングの場合、選択肢の中に、金色の表紙の単語帳の中に出てくるレベルの単語があって、それが耳から聞こえたキーワードの言い換えになっていれば、だいたいそれが正解。

 

 

 本人は当日、満足にできたようですが、そもそもテスト慣れしていない人です。「うまくいっているという幻」を見せられている可能性も大いにありそうだから、必ず3か月以内にもう一度受けよう、これは通過点だということで、話はまとまりました。

 とは言え、バカバカしい化かし合いの試験を経験した(私は受けてませんが)あとなので、ここからの画像はMIDJOURNEYにアレンジしたフェイクにします。

 

 昨年の大きな出来事は、大学院の入学試験のプレゼンの準備を手伝ったこと。ほぼ一か月つきっきりでしたね。自分の知らない分野の論文を読みまくりつつ、受験生自身の波乱の人生を物語化するのは、とても充実した時間でした。教えたことが相手に届く、その実感を得られるというのは、教える側にとって、なかなかに得難い体験です。

 

 一方、年明けに中国からの留学生からメールをもらって、京大国語の対策を行うことになったのですが、こちらは苦難の連続でした。そもそも、「えっ、この時期から始めるの??」という疑問が湧いたのですが、つたない日本語でメールを送って来た謎の人物に対して、私が断ると他に受け皿がないということに、いつものように変な同情心が湧いてしまい、無料で指導することになりました。あとで聞けば、お医者さまの一人っ子だったようです。それなら、ちゃんと授業料を取った方が良かった(笑) 

 次からは、どんな人であっても必ず、1時間1万円という基本料金は死守します!!

 

 いろいろな難しさがありました。まず、日本語がうまく通じません。その子は「しゃべる」のですが、脈絡とまとまりのないしゃべりになることが多く、また、こちらの話す内容を聞き取ってうまく理解することが、できないようでした。その結果、京大の文章を理解するのではなく、それをかみくだいて、小学生レベルの日本語にして私がしゃべったものや図式化したものを、なんとなく理解しているだけになりがちでした。そして、40%くらいの割合で、お気持ち表明ボットのようになってました。

 日本人の英語は、「読める・ちょっと聞ける・しゃべれない」ですが、「しゃべる」を優先したところで、何かが後回しになるだけなのだろうと、思いました。あるいは、これが大いに不都合だったのは、英語ではなく、受動的な日本語という言語を使っていたかもしれません。

 ともかく、これが言語力の問題か、個人の資質の問題か、こちらの指導の問題か、あれこれ悩みましたが、結局、本人が思っている「受験に必要なこと」と、こちらが考えている「合格に必要なこと」の不一致が、大きな原因として見えてきました。それを埋めるには、指導を受ける側が教える側を信じるか、時間をかけて信頼関係を築くしかありません。となると、問題は私の魅力の欠如ということになってきます。

 

 

 慣れないことだったので、教え子たちの意見も参考にしながら、指導を行っていましたが、文化的な習慣の違いもありました。たとえば、授業の前にLINEで答案が送られてくるのですが、任意のタイミングで無言で添付ファイルが送られてきて、以上……というのに、まずは少し面食らいました。こちらが軽くそのテストの総括をしつつ、添削した答案を送り返すと、既読がついて、そのまま。教え子には、「先生、既読無視されてる。かわいそー。ははは」と言われましたが、それが向こうではあたりまえのことなのかなと、思うことにはしました。

 

 授業以外に、おそらく本人が勉強する以上に時間を取って、あれこれ手を尽くしましたが、そのことを本人は知らないでしょう。結局、受験の基本中の基本は、「己を知る」ことだと思います。己を知らない人に対して助言しても、それは誹謗中傷と変わらないものと、受け取られてしまいます。

 

 

 その中国人留学生に、私は「先生は、私に圧力をかけます」と言われてしまいました。駆け込み寺として受け入れて、無償で指導していて、この言われようか……とは思いましたが、弱い人なのです。だからこうなっているのであり、だから通じないのです。これもいつものことだなと苦笑しつつ…‥。ともかく、勉強しない生徒たちに業を煮やしていた高校時代の数学教師と同じで、その子にとって私の助言は、どうやら不本意なものだったようです。

 

 かと言って、肯定しようのないものを肯定するわけにもいかない。教え子に相談すると、「先生だけが本気になっている」と言われました。その受験生は、どれだけの思いで受験するのか? 私が先生に教わったときとは、その点が違うようだという話でした。「私は絶対に合格したかった」

 

 受験後、なんの音沙汰もないので、不合格だったのでしょう。普通なら、連絡くらいするよな……と思うのですが、これも文化の違いなのだと、思うことにしました。少なくとも、本人が思い描くベストの受験には、たどりつけたはずです。本人が望まない「殻」を破ることは、私の仕事ではありません。

 

 来る者もあれば、去る者もある。そんな一年がまた、めぐって行ったのでした。