Soulful Bigover

「自由」と「ロマン」を求めて、creativeなアウトドアライフをめざす。

自然界との調和

2018年07月22日 | essay
このブログ[Soulful Bigover]は、
「自由」と「ロマン」を求めて、creativeなアウトドアライフをめざす。 がテーマ。

その目的は、『自然界との調和』である。
山やクライミングに向かい、自分が如何に自然界に受け入れられるかを試す。
心・技・体が、その時の自然界に調和した時、
その心地良い精神は他には換え難い自分の宝物となる。

私にとって、山岳・クライミングはそうした精神を得る機会を与えてくれる、
唯一無二なものである。

山岳では、自然界の中で弱くなった人に、
時に厳しい試練とも思うような過酷な状況を提供してくれる。
そこに自らが自分の足で立ち、
持てる装備と知識と知恵・体力で立ち回る。
クライミングでは、日常的に自分の登りを意識し自分で考え、
トレーニングしスキルアップに精進する。
そして、自らが目標とする厳しいラインに挑む。

山岳・クライミングで自然界に向かった時、切磋琢磨した自分と自然界が『調和』する。
そして、その時のみにこそ、
「自由」と「ロマン」を得ることができると信じている。

下記に、そんな私の信条に導いてくれた一文を掲載する。
僕のクライミングに於けるバイブルである。
長文であるが、紹介する。

一読頂きたい。

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山と渓谷社『フリー・クライミング上達法』あとがき より原文のまま

『あとがき』

 最初の予定では、我々は「肉体的・精神的対決としてのクライミング」という見出しの最終章を書くつもりでいた。しかし、結局それはあまりに知的問題であり、クライミングにおける世界観を構築しなければならぬ羽目に陥る危険があった。したがってここでは、観念的になることを避けてスポーツ科学では律しきれないクライミングの一側面についてのみ簡単に触れることにした。
    
 クライミングは、おそらく他のほとんどどんなスポーツにも増して精神的な、またそれゆえ知的な挑戦である。クライミングほど運動形態とその可能性が多様なスポーツは、ほかにないだろう。
 まったく同じクライミング・ルートは世界のどこを捜してもないのだ。それとは反対に、器械体操の演技はミュンヘンでもロサンゼルスでもモスクワでも同じである。そしてまた、あらゆるクライミング技術を完璧にマスターし、体力条件を最高に整えたとしても、ある一本の最難ルートにおける成功はまだ保証されたわけではない。なぜならそこには、肉体的ファクターを支える精神が参加しなければならないからだ。初見(未知)の登攀箇所の「チェスの問題」を解くのは精神である。
 精神が長年の運動体験の蓄積の中から、当面の箇所に最も類似した動作パターンを瞬時に呼び出しそれから行動によってそれを現実する。したがって、初見ルートのクライミングは常に創造的行為であり、芸術行為とすら呼べる。クライミングにおける創造的要素の頂点は初登攀である。このときクライマーは自分自身の足跡を遺産として残すことになる。つまり、そのルートには、クライミングに対する自分の考え方が反映され、ライン選択、岩の与える物すべての完璧な利用、あらゆる確保の可能性の追求等における自分の創造力が反映される。初登攀は、まだ触られたことのない岩場にクライマーが描く絵であり、永遠に残るものである。
 
 あまりに多くのクライマーが、フリー・クライミングの挑戦目標を、単に測定可能な要素、つまりグレードにのみ集中させている。クライミングもたしかに他のスポーツ同様、業績と数字によって成り立っている。そしてその業績は疑いもなく肉体と精神の複合的行為の所産である。しかしそれにしても、「フリー・クライミング」の世界の体験は、グレードという数字の枠内だけでとらえられるべきものではないと我々は考える。世界には数えきれないほどのクライミング・エリアがあり、そのどれにも独自の特徴と特殊な条件と魅力的な景観がある。だからこそ、どのクライミングエリアもグレードの数字の狭い枠をはるかに越えて挑戦のしがいがあるのだ。クライミングの真骨頂は、新しいルートを求め、未知の課題に取り組み、そこで繰り返し自分自身の創造力を検証することにある。未知のエリアを旅するごとに、我々は自分たちと同じ理想と世界観を発見したクライマーに出会う。個性豊かな人々が同じ精神を共有していることで知り合い、心のミニュケーションができ、仲間の輪が無限に広がっていく。我々は、クライミングを通じて大部分の友人と知り合えたと誓って言える。
 
 何年も夢中にクライミングをしている者なら必ず、旅行に出かけて新しいことを知りたいという抑えがたい欲求の中毒となった経験があるだろう。旅と人々と他国に「中毒」になっているからこそ、我々は創造力を最大限に働かせ、常に未知のクライミングの可能性とエリアを求め続ける。
 一つの目標を発見し、それに到達した瞬間に私たちの頭にはもう次の目標が浮かんでいる。私たちの最終目標となるような登攀旅行など決してないだろう。ありがたいことだ!仮に最終目標のルートを発見し、登攀してしまったら、何をしたらいいのだろう?ほかのスポーツにでも移るしかないのだろうか・・・・ クライミングは究極的にはきわめてロマンチックな人生観である。そこでは自分の体験の無限の可能性の前に、スポーツとしての業績や個々のグレードの価値は突然色あせてしまうのだ。
 
 我々は、本書が読者のスポーツ的能力向上への道標になることを願っている。しかし同時に、読者がクライミングを実践することで、このスポーツの多様な側面を発見し、業績主義やグレードをはるかに超える体験を獲得してくれるよう祈っている。
 
                            
ヴォルフガング・ギュリッヒ
                            アンドレアス・クービン
           

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