常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

夕焼けから朝靄へ

2020年02月12日 | 日記
朝焼けは雨、夕焼けは晴れ、という諺がある。朝焼けになった日は雨となり、夕焼けのあくる日は晴れという天気諺である。この諺の通り、今朝は雲ひとつない晴れになった。ただし、気温が低いせいか全体に靄がかかって日が少し霞んでみえる。但し明日からは、低気圧が近づいて、それに南からの風が吹き込んでくるので、雨模様となるらしい。今日は気持ちのいいウォーキングができるチャンスだ。それにしても、スマートウォッチの効果は大きい。この時計を着けてから、目標の10000歩は、確実に視野に入っている。

昭和7年2月の山頭火日記『行乞記』より
2月12日 けふも日本晴れ、まるで春、行程5里、海ぞひのうつくしい道だった、加津佐町、大田屋。此町は予想しない場所だった、町としても風景としてもよい、海岸一帯、岩戸山、等、等。途中榕樹(アコオ)を見出した、また唐茄子の赤い実が目についた。水月山円通寺跡、大智禅師墓碑、そしてキリシタン墓碑。

山頭火が歩いたこの辺りは、島原に近い。キリシタンの信仰の跡も残っていたのだろう。それにしても、行乞をしながら5里の道のりは長い。今でいうと20㌔を越えている。前日は夕焼けであったか記述はないが、温泉でチクワで三杯とある。行乞で得たもので宿代を払い、酒を買い、足りなければ生家からの為替で間に合せた。時おり、山頭火は自分の甘い出家に反省を繰り返しながら、宿についてからの一杯を止められなかった。

山頭火の比べれば、自分の行程は更に短く、気軽なものである。この年になって、晩酌の一杯はなお止めることができない。杜甫が病で好きな酒を止めざるを得なかったことに比べれば、よしとするべきか。しかし、そこには人生の日暮を迎えた悲哀がある。その日、その日の景色に癒されながら歩く自分がある


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