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昨日、小学校低学年の頃のスーパースター「なんとか君」について少し書いたのだけど、彼について、もう一つ思い出したことがあった。

なんとか君、もとい、N君と表記しよう。

小学校3年にあがり、ぼくとN君は、同じクラスになった。彼は、明らかにガキ大将だった。そしてぼくも、どちらかといえば、ガキ大将的な気質があった。そしてもう一人、M君という男子もいた。船頭多くして船山登るという言葉があるように、同じ気質の人間は、一つの集団に何人も必要ない。

最強のスリートップ。N君と、M君、そして拙者。3人合わせてMSNと呼ばれていた。

ということは全然なかったが、思えば、彼らはみんな、運動神経が良かった。M君は、マラソン大会の初代(小学一年生という意味の)チャンピオンだったし、N君はその次あたり(2位~4位のどれか)。ぼくはというと8位だった。

が、ぼくの名誉のために書いておくとw、ぼくは長距離走が得意ではなかったのだ。ぼくが得意だったのは短距離走で、クラスで4人(男子2女子2)しか選出されないリレーの選手には、小学3年生を除いて毎年選出されていた。

偶然か、必然か。そんなガキ大将になりたいガキが集ってしまった8歳の5月。ぼくは、鉄棒の最中に複雑骨折をして、左手の手首にボルトを通し、固定され、1ヶ月のベッド生活を余儀なくされたのだった。

そんな入院生活中に、週間少年ジャンプを購読する習慣を得たりもしたのだが、とはいえ、生まれてから106ヶ月しか生きていない少年にとっての1ヶ月である。その間、尿は、尿道に通された管から。便は、おまるようなものを下にあてがわれる。運動といえば、天井から吊るされたビニールのサッカーボールを蹴ることしかできなかった。こう書いてみると地獄のようだが、病室で友達ができたり、マンガを読むのに夢中になったり、看護師のお姉さんにほのかな恋心を抱いたり、案外楽しかったような記憶がある。

この空間では、ぼくは一歩たりとも動けないのだ。カフカの書いた毒虫よりも、稼動範囲が狭い。だから別に、トップを目指す必要がない。案外、そのことが楽だったのかもしれない。

骨がくっつき、ボルトを外し、さて、起き上がろうとすると、まったく起き上がれない。まず、半身が起き上がったことで、その数十センチの高さにめまいがするのだ。バキで強敵が現れたとき、背景が歪むが、あんな感じだ。ぐわんぐわん。まずは車椅子。まともに歩けるようになるまでに、数日が必要だった。

ぼくの自慢の足は、どうなってしまったのだろうか? その辺の記憶がない。しかし確実なのは、その年の運動会のリレーの選手に、ぼくは選ばれなかったということだ。

ふと、思う。

ぼくの文章の始まりは、ここだったのではないか、と。

ぼくが内面のカタマリのような作文を書いたのは、4年生にあがった頃のことだ。その内容はというと、幼稚園を受験して入ったオレ(ぼくは何故か公立の小学校に転入させられたのだった)は、貴様らとは違うイキモノなのだ。というコンプレックスむきだしのヤバイ代物で、あるいはこの作文を書いた動機は、ぼくのアイデンティティの柱となっていたリレーの選手の座を奪われたから、または、ガキ大将サバイバルから脱落したから、だったのだろうか?

……いや、その蓋然性はかなり高そうだ。

ぼくの反抗期は、あるいは自己表現は、最も原初的なアビリティであるはずの、運動神経を担保にした、クラス内のヒエラルキー、またの名をスクールカースト、政治レースからの後退から始まっていた。

だっさww

ぼくがもう少し強ければ、文章を書くことはなかったんだね。ありがとうマイフレンド。

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もう一人の友人に会いに、パチ屋へ

バジ絆のBT

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祝言なのかー、本当かー、時の流れは、続-くのかー♪

いつまで経っても変わらない、そんなものあるだろうかー(疑問)

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つづく

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