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“ 楽天生命パーク 宮城 ” ( 宮城県仙台市宮城野区 )

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05月03日 (金) 13:00 VS ロッテ

05月04日 (土) 13:00 VS ロッテ

05月05日 (日) 13:00 VS ロッテ

05月06日 (月) 18:00 VS オリックス

05月08日 (水) 18:00 VS オリックス【秋田】

05月14日 (火) 13:00 VS ソフトバンク

05月15日 (水) 13:00 VS ソフトバンク

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楽天生命パーク 宮城 ( 宮城県仙台市宮城野区 )

今月最後のBlog更新と参ろう。

ここ最近の円安傾向とインバウンド効果と相俟って、

海外からの日本への訪問する外国人が、

目立って多く成って来ている。

観光を兼ねたりするのが目的の主ではあるが、

中には日本が気に入って、

定住を決意している外国人諸氏も多く成って来ている。

最近は大都市圏のみ成らず、

地方都市でも日本の魅力に取り憑かれて、

移住している外国人も多く成って来た。

そういった状況の最中、

先日山形県上山市に移住した、

オーストラリア人が居らっしゃるので、

ご紹介する事にしよう。


(音楽プロデューサーとDJを兼任する、

オーストラリア出身のクレイトン・フォックスさん。

母親が大の日本好きであった事から、

幼少の頃からジャパニーズ・ポップスに親しんでいた。

その後、日本への留学も経験し、

東京や大阪の大都市圏で、イベントDJを務めていた。)


今回、山形県に移住して来たのは、

音楽プロデューサー兼DJを務める、

クレイトン・フォックスさん(28)、その人である。

今月の06日、07日の両日に行われた、

上山城で開かれたマルシェに参加し、

流暢な日本語で 「落ち着いた雰囲気が、

クリエーティブな仕事にぴったり。

上山をカルチャーで溢れる、賑やかな街にする」 と、

この様に熱く語る。

フォックスさんはオーストラリア国、メルボルン市の出身で、

11歳でDJを始めた。

日本文化が大好きだったと言う母親の影響を受けて、

幼い頃から日本のミュージシャンの曲を聴いていたと言う。

岡山大学に留学しながら、

大阪や東京でのDJイベントに出演するようになった。

故郷メルボルン市に戻った際に、

世界的な新型コロナウイルス禍に見舞われ、

外出制限が続く中で制作した曲や、

リミックスをオンラインで発表し、人気を得た。


(フォックスさんが山形県上山市へ、

移住するキッカケと成ったのが、

同市出身で音楽レーベルの主催者である、

太田直樹さん〔左〕の誘いが始まりだった。

山形の人情や、食べ物、ワイン、風景は勿論、

交通の便の良さも、移住を決断する、

大きな要素と成った。)


その後、東京での生活を経て上山に移住したのは、

フォックスさんが所属する、

音楽レーベル 「ミヤテラス」 の主宰者で、

上山市出身の太田直樹さん(49)の誘いが、

キッカケだったと言う。

昨年末から年始に掛けて上山市内に滞在し、

「住んでいる人が温かくて意欲的だし、

食べ物、ワインは美味しく、風景も良い。

東京には新幹線で直ぐに行けるし、不便さはない」 と考えて、

移住を決断したと言う。


(山形の郷土料理に舌鼓を打つ、フォックスさん。)


既に上山産ワインや、

市民俗行事 「加勢鳥(かせどり)」 をテーマにした、

楽曲制作に取り組んでいる他、

今後は、ミヤテラスがJRかみのやま温泉駅前の、

空き店舗に設置するレコーディングスタジオを、

拠点に活動すると言う。

東京都内や仙台市内でのイベントにも出演する他、

地元民放のエフエム山形が今年夏頃から実施する、

新人アーティストの発掘オーディションの、

プロデュースも担当すると言う。


(太田さんと共に、これから上山を中心に、

山形を盛り上げて行くイベントを考案中だと言う。

フォックスさんらしい感性と共に、

これからどの様にして、山形を盛り上げて行くのか?

周囲からの期待も大きいと言う。)


「ミヤテラス」 の主宰者である太田さんは、

「彼を中心に、国内外のミュージシャン等、

たくさんの人が上山に集まって、

新しい文化を生み出して欲しい」と期待を寄せている。

クレイトンさん自身も 「目標は蔵王で音楽フェスを開催する事。

自分が街を大いに盛り上げる存在に成りたい」 と、

力強く語っている。


(地元の人達ともすっかりと溶け込み、

今やフォックスさんは地域に取って、

欠かせない存在に…。)


国内の円安傾向でインバウンドで、

日本国内を訪れる外国人の中には、

単なる観光地巡り目的だけでなく、

我々日本人が知らない奥深い日本文化の魅力に取り憑かれ、

更に探求した結果、改めて日本文化の魅力に魅せられ、

移住して更なる日本文化に触れようと決意している、

外国人も多いと言う。


(上山市を居住拠点として、

新たなる活躍をスタートする、フォックスさん。

どの様に地元を盛り上げて行くのか、

注目の的でもある。)


フォックスさん自身も幼い頃に母親の影響を受けて、

日本文化に触れ合い、それが取り持つ縁で、

今回の東北・山形での移住を決意したと言うフォックスさん。

自身の音楽センスと山形とのカルチャー文化を、

これからどの様に上手くミックスして発信をして行くのか。

地元を盛り上げる新しい取り組みの一環として、

地元では大いに期待をしている様である。


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JG7MER / Ackee

今月最初のBlog更新と参ろう。

これからの国内の科学技術分野を切り拓くと言われている、

巨大施設が管理者の居住する仙台市内に、

この程オープンし稼働が開始された。

世界最先端の研究施設 『ナノテラス』 が、

新年度に中る04月01日から運用が始まり、

その研究施設が地元報道関係者に公開された。


(東北大学工学部青葉山キャンパス内に開設された、

円形型施設 『ナノテラス』 。)


『ナノテラス』 とは、放射光と呼ばれる非常に明るい光で、

ナノメートル(nm)=100万分の1ミリ(1/100mm)と言うレベルで、

物質を見る事が出来る 『巨大な顕微鏡』 とも呼ばれている。

東北地方では初めての放射光施設として、

国や宮城県、仙台市、東北経済連合会等が、

凡そ380億円を掛けて整備をし、

04月01日の新年度運用開始に合わせて、

施設が地元報道関係者に公開された。


(1周349mの円形の施設を1秒間に、

80万回以上も回ると言う。

太陽の10億倍も明るく強い光のビームを、

分析したい物質に照射する。

次世代の新しい科学技術の構築拠点として、

期待されている。)


『ナノテラス』 は、東北大学工学部青葉山新キャンパス内に、

東京ドーム程の大きさの世界最高水準の分析機能を持つ、

次世代放射光施設で昨年度中に完成し、

今年度から運用が開始 された。

『放射光』 とは、光速に近い速度で走る、

電子の軌道を磁石等で曲げた時に発生する、

非常に明るい光の事で、

その明るさは太陽光の10億倍以上もあると言う。


( 『Nanoterasu(ナノテラス)』 の愛称が決まった、

次世代放射光施設を見学する披露式の出席者)


『ナノテラス』 は、この高輝度と高指向性の光を使って、

モノの構造や機能をナノ(10億分の1)レベルで、

可視化出来る “巨大な顕微鏡” で、

その 名前には、物質のナノの世界を明るく照らす、

光という意味と共に、

世の中を照らす日本神話の、

天照大御神(あまてらすおおみかみ)の様に、

ここで得られた知見や成果が、

世界に豊かな実りをもたらして欲しい、

と言う願い も込められている。

現在、世界には約50の放射光施設があり、

中でも日本の 兵庫県にある 『スプリング・エイト(SPring-8)』 は、

供用開始から25年経った今も物質の構造解析を得意 とする 、

硬X線の領域でトップクラスの性能を誇っている。

只、これまでの物質の機能理解に結びつく、

次世代型の軟X線領域では、

日本は世界に後れを取っていた。


昨年の05月14日、仙台で開催された、

G7科学技術大臣会合に出席した各国の閣僚らが、

東北大学内に整備中の、

次世代放射光施設 『ナノテラス』 を実際に視察した)


これまで国内にあった施設の約100倍の強度で、

軟X線を発生させる事が出来るナノテラスは、

物質の電子状態やその変化を高精度で追う事が出来る、

世界最高レベルの高輝度放射光施設として、

国内外から大きな期待を集めていると言うのだ。

『ナノテラス』 の施設では、

加速器と呼ばれる機器から出る電子が、

ほぼ光の速度まで加速され、

1周349mの円形の施設を1秒間に80万回以上も回ると言う。

そして、太陽の10億倍も明るく、

強い光のビームを分析したい物質に照射する。

地元報道関係者に公開されたこの日は、

ビームの状況を監視する制御室と、

ビームを照射するラインの1つが公開された。

このうちビームラインでは担当者が、

装置がきちんと使える状態にあるかどうかを、

確認する作業が行われていた。


(次世代放射光施設は、

この性能差を日本の加速器技術で、

一気に逆転する事が可能に成る。

「可視化」 「コヒーレント光」 を武器に、

AI・ビッグデータ活用時代の研究開発との融合により、

日本のの研究開発力を抜本的に強化する。

軟X線領域の高輝度放射光は軽元素を、

感度良く測定出来る他、従来の物質構造に加え、

機能に影響を与える 「電子状態」

「ダイナミクス」 等の詳細な解析が、

可能と言う特徴を持つ。

物質表面の分析では蛋白質や、

触媒材料の表面で起こる化学反応の変化等の、

解析による創薬や新たな高活性触媒等の開発が、

磁性・スピンの解析では、

磁石やスピントロニクス素子等の研究開発が期待出来る。

これらの基礎から応用までの多様なニーズに対応し、

科学技術・学術の発展に貢献するため、

多様な光を発生させるビームラインの検討を進めている。

世界的に遅れを取っていた、日本の科学技術が、

ここで一気に挽回・逆転と成るのか、

大いに期待されている)


この技術は、企業や大学などが医薬品や半導体、

食品等の分野の研究開発で活用する事が、

期待されていると言う。

量子科学技術研究開発機構ナノテラス広報の、

グループリーダーは取材に対し、

「これまでにない新しい技術を導入したので、

整備に困難もあったが、

予定通りに運用出来て感無量です。

地元の産業界や大学から寄せられている期待に、

応えられる様にしていきたい」 とこの様に意気込みを語った。

同施設は現在、一般の立ち入りは出来なく成っているが、

オープン前の令和04(2022)年10月25日には、

見学会として一般に内部公開されている。


(施設オープン前の昨年10月25日には、

見学会として一般に内部公開された。

大人から子供まで多くの科学技術ファンが、

同施設を訪れ賑わいを見せた)


当日の一般向け見学会では、高校生等130人が訪れた。

見学者の一人は 「本当に凄い施設が、

宮城に出来たんだなというのを感じました」 と語った。

この日の見学会では地元の人に、

活用の可能性を知って貰うためにと、

10月25日まで開かれていた、

国際放射光施設サミットの一環として行われた。

放射光サミットでは、課題となっている気候変動に対して、

放射光施設を役立てるため、

研究機関と産業界が密接に関わるとする宣言が、

取り纏められている。

因みに企業や団体による利用は04月09日から既に始まり、

05月には運用開始を記念した式典が行われるという事だ。

21世紀を担う新しい科学技術の扉を切り拓くとも言われる中で、

科学技術立国としての真価が一層問われる中での、

この施設の開設。

産官学で作り上げて来た巨大プロジェクトであるが故、

これから先の新未来の新しい創造を掻き立てる、

施設のオープンと言えそうだ。


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【関連動画】

https://www.youtube.com/watch?v=GNYpWGjlfbU
【ホームページ】

https://nanoterasu.jp/
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JG7MER / Ackee

いつも当Blog Siteへお越しを頂きまして、

大変ありがとうございます。

昨日より、2024プロ野球公式戦セ・パ両リーグ開催に伴い、

『2024プロ野球Version』 へ移行致しました。


(今季も2024プロ野球Versionでお楽しみ下さい。

今季より通常バージョンへ移行を致します。

読者の皆様のお気に入りの、

推しの球団の応援と共に、応援をお楽しみ下さい。)


今季も読者の皆様、お気に入りチームの応援と共に、

どうぞお楽しみ下さい。

今季のブログサイトに於ける期間中の配信方法は、

下記の通りと成ります。


《Blog Site BGM》

《前期》〔レギュラー〕

【Song】ベースボール・レジェンド

【Artist】久保田邦夫



《セ・パ交流戦》

【Song】オープン・ユア・アイズ

【Artist】東京スカパラダイス・オーケストラ


《後期》〔レギュラー〕

【Song】バイブレーションズ

【Artist】ジェームス・ラスト・バンド



《エキストラ》〔CS&日本シリーズ〕

【Song】スノー・カーニバル

【Artist】レイモンド・ルフェーブル・グラウンド・オーケストラ


【Blog SiteProfire& X Site Heder】

楽天生命パーク宮城(宮城県仙台市宮城野区)

※…BGMは全て手動式設定で、

自動的にBGMは流れません。

お聞きに成りたい読者の方は、

当Blog Site右側の◇◆の ← 印内に設置してあります。

専用内サイトの左矢印マークの箇所をクリックすると、

BGMが流れます。

停止の場合も同様に全ブラウザで可能です。

稼働出来るブラウザは下記の通りです。

(Firefox、Microsoft Edge、Google Chome)


◇◆内の←印内でも動かない場合は、

掲示板の中に新たにミュージックの専用URLを、

今季から設定 致しました。

同様に 当ブログのプロフィールサイトにも、

新たに専用URLを設定 しました。

どちらからでも手動に因るBGMの再生、

及び停止が可能 と成ります。

お好みの方をご選択ください。


※…Blog Site Profire Header及び、

“X”(旧Twitter) Site Headerに於ける画像配信は、

月毎1回とし、月末のBlog更新と合わせて、

同時更新配信と致します。


※…今季のレギュラー・シーズンに於けるBGM配信は、

以上の通り、上記の配信通りと致します。


※…予告先発投手のお知らせは、

ブログ管理者名のタイトルトップをクリックすると、

掲示板が表示されます。

(個別のブログ更新のステータスナンバークリックでは、

掲示板の表示はされませんのでご注意を願います。)


※…試合日程はホームゲーム(地方主催試合も含む)のみ、

とさせて頂きます。

ビジターの先発予告は、球団の公式サイトでご確認下さい。


※…楽天イーグルスがCS出場(Aクラス)決定の場合は、

エキストラ・バージョンを実施し、BGMを変更させて頂きます。

CS及び日本シリーズまで勝ち残った場合は、

それに連動して期間延長致します。


※…楽天イーグルスがCS出場(Bクラス)無しの場合は、

レギュラー・シーズンのみのBGM配信とさせて頂き、

全試合日程終了と同時に配信終了とさせて頂きます。

またCS仕様のノックアウトゲーム進出で、

敗退の場合もその時点で終了と成ります。


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【お知らせ】

今季から通常バージョンに、差し戻してお送りを致します。

尚、予めお断りを申し置き致しますが、

当 Blog Siteに於いて、これらのBGM音源に関しては、

一切、所持管理は致して居りません。

これまで通り動画サーバー管理者に対して、

直接アクセス許可の申請許可を頂いてそれに基ずき、

一定の期間中、利用させて頂いて居ります事、

読者ユーザーの皆様方に、その旨お知らせ申し上げます。

因って如何なる理由であっても、

お掛け致している音源のダウンロードは、

動画サーバー管理者個人の私的聴取のみに限られて居り、

例え小生の様なブログ管理者であっても、

不正にダウンロードが出来ない様に、

動画サーバー管理者の手で持って、

全てプロテクト・ディフェンス・ガードを掛けて居ります。

従って期間中に於いては、音源聴取のみ有効と成り、

掲載期間終了後は、動画サーバー管理者操作で以って、

非公開と成りますので、ご了承願います。


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JG7MER / Ackee

今月最初のBlog更新と参ろう。

コロナ渦が収まり昨年の04月から5類移行と成り、

行動範囲が大分制限緩和された。

しかしコロナ渦の影響に因り、

流通関連を含む商業関連の業種は、

かなりの影響を受けているのは確かで、

最近の商業施設に於いては、

コロナ渦の影響により新たなる需要が発生した、

リモートを通して通販や宅配による、

サービスが急速に普及し、

その煽りでこれまでの店舗への客層の流入が、

大きな変化を生じる事と成った。


(東北の若者のオシャレ発信基地として、

39年間君臨してきた、 『仙台フォーラス』 )


特に日用品関連に特化した業務を扱う、

専用の新規店舗の立地はともかく、

これまでの 従来的な総合的な、

立地型の商業店舗の統廃合が、

大都市圏や地方圏を問わず、

最近になって目立ち始めている のは確かな様だ。

嘗ては 各都道府県に必ず1店舗はある筈の、

デパート=百貨店が閉鎖し、

空白域も発生しているご時世 でもある。

店舗の売り上げ実績も当然ではあるが、

中には 店舗の建物自体の経年劣化、即ち老朽化に因って、

抱き合わせで店舗としての営業を終了 すると言う手段も、

ここ最近は出始めて来ているのも確かだ。


(今のフォーラスのビルが建つ前は、

『日活仙台館』 と呼ばれる映画館があった。)



(今の “ぶらんどーむ一番町” 側から、広瀬通り側を臨む。

この時代は、道路も未舗装で、土埃が舞い上がり、

アーケード自体もまだ無かった。)


そう言った厳しいご時世の経済状況である最中に、

管理者の住むここ仙台でも遂にその現実が起きたので、

ご紹介する事にしよう。

仙台の中心部に中る繁華街と言えば、

“一番町(いちばんちょう)” であるが、

この一番町界隈にあたる 大型ファッションビルが、

長期休業 に至ってしまった。

それが地元仙台の若者に長い事愛されて来た、

ファッション専門店である 『仙台フォーラス』 がそれである。

先般、02月29日を以って、39年間の歴史に一旦幕を閉じ、

休業に至ったからだ。


(映画産業が斜陽化し、 『日活仙台館』 が閉館。

その後、跡地の市街地再開発の動きが加速化し、

現在の場所に再開発ビルを完成させた。

この時、出来たのは 『ジャスコ仙台店』 で、

言わば今日の専門店ショップの先駆けとして、

仙台へ初進出した。)


閉店時刻である、午後6時には大勢の若者が、

名残惜しそうに店舗の前に集まり、

長期休業に入るためのシャッターダウンの瞬間を見届けた。

『仙台フォーラス』 は、歩行者天国に中る、

“ぶらんどーむ一番町” と広瀬通りに面した場所に、

立地しているビルである。

同地にビルが立地したのは半世紀前に遡る。

ビルが立地する以前のこの地は嘗て 『仙台日活劇場』

即ち映画館が立地していて、

当時は映画興業が全盛を極めていた時代であった。

戦前にあった 『仙台日活館』 が戦災で焼失した後、

昭和21(1946)年に 『仙台日活劇場』 として再建され、

この地に建った。 石原裕次郎、小林旭、浅丘ルリ子等の、

スターによる、日活のアクション映画が人気を集め、

当時は賑やかな界隈 であった。


( 『ジャスコ』 として仙台に進出したものの、

その後進出した 『ダイエー』、『アムス西武』 と言った、

後発組の勢いに押されて業績は低迷し、

思い切った業態転換 を実施し、ファッションに特化した、

専門店へと衣替えをし、これが39年間に渡って、

東北のオシャレ発信基地である、

『仙台フォーラス』 の誕生と成った。)


しかし時代の流れと共に映画産業の斜陽化に因り、

昭和46(1971)年に閉館。

その後、跡地と同地区の周辺店舗と共に、

市街地再開発の機運が高まりを見せ、

昭和50(1975)年05月02日に、

『ジャスコ仙台店』 として開業した。

これが所謂、現在のビル立地に至る原形モデルと成った。

その後、昭和54(1979)年には、

一番町一番街商店街 (現ぶらんどーむ一番町) が、

歩行者専用道路が完成して、

現在の店舗前周辺としての環境に至った。


( “ぶらんどーむ一番町” 側の正面玄関に中る。)


開店当時は、 『仙台三越』、『藤崎』、

『丸光(後の“さくらの百貨店”を経て経営破綻)』、

『十字屋(現 LABI仙台)』、『緑屋(2箇所とも閉店)』、

開店と同期には 『ダイエー(現イオン仙台)』  開業して折り、

客層の争奪戦が一段と活発化していた時期でもあった。

昭和52(1977)年に現在の仙台駅の新駅舎が完成すると、

翌年の昭和53(1978)年には隣接地に、

ファッションビルの 『エスパル仙台』 が開業。

加えて当時の緑屋閉店と交換条件に、

ファッションビル『アムス西武 (現仙台ロフト)』 が、

『エスパル』 の斜め向かいに開店。

折しもこの時代は若者の間で “DCブランド” ブームが拡がり、

現在代表される 『パルコ』 の様な形態を担う、

ファッションビル全盛の時代に入って行った。


( 『仙台フォーラス』 の最大のセールスポイントは、

バーゲンセールだった。

“フォーラス・バーゲン” と称して、

前日の徹夜組も並ぶ程の大盛況ぶりだった。)


こうした客層争奪戦の渦中にあって、

当時の 『ジャスコ仙台店』 は、

数次に渡る店内改装を行なったものの、

業績が一向に向上しなかった。

当時、繁華街に立地して置きながら、

十分な駐車場を確保出来ない多層階の小売店舗ついて、

ジャスコ側は 業態転換も選択肢の一つの視野 として、

検討に入っていた。

そこでジャスコは、仙台店を昭和59(1984)年11月01日に、

若者をターゲットとにした、

ファッションビル『仙台フォーラス』 と、

名称を変えて業態を転換し、

これが先日まで長期休業に至る前まで営業していた、

『仙台フォーラス』 としての歴史に名を刻む、

リスタートの始まりと成った。


(東北の若者のオシャレ発信基地として、

店舗前に高速バス乗り場も設置され、

東北各県から訪れる若者が増えた。)


建物の構造は、地上8階、地下3階、売り場面積が、

凡そ1万4,500㎡。

長年、地元仙台の若者のファッションの発信拠点に成り、

嘗ては セールの時期にはオープン前から、

若者達の長蛇の列が出来る 事もあった。

ジャスコ時代からの流行を先取りした、

テナントの入れ替えやフロア構成を行ない、

昭和52(1977)年の米映画の大ヒット作品である、

『サタデー・ナイト・フィーバー』 が大ヒットした以降の、

ディスコブームの時期には、ディスコが入り、

昭和57(1982)年には、芸能事務所である “アミューズ” が、

ライブハウス 『モーニングムーン』 を設置する等、

業態転換化以降は、常に流行の最先端を取り入れ、

昭和55(1980)年代以降からの “カラオケブーム” の際には、

“カラオケボックス”

昭和61(1986)年公開の 米映画 『ハスラー2』 の大ヒットした、

“ビリヤードブーム” の際には、

プールバー “ロサンゼルスクラブ”
平成02(1990)年代には スタジオ『モーニングムーン』 から、

地元民放テレビ局である 仙台放送の 『夕やけTV編集局』 が、

生放送されて仙台のお笑いのメッカと成る等、

常に地元流行の最先端を機敏に取り続けてきた。





( 『仙台フォーラス』 での買い物の後の、

若者定番と言えば、

地下街にあった 町中華 『北京餃子』

安くてボリューム感がある事から若者は勿論、

家族連れにも人気があった)


平成12(2000)年以降になり、仙台-福島線を端緒として、

仙台発着の高速バスが東北地方に張り巡らされると、

高速バスの停留所に隣接している、

広瀬通一番町停留所・フォーラス前は、

各地から集まる若者を取り込む様に成り、

県外客は平日で1%。土日祝日で30%、

仙台市以外の宮城県内客では、

平日で19%、土日祝日で22%と、週末や祝日が重なると、

仙台市以外の来客で締められる 様に成った。

若者の間では フォーラス前で待ち合わせする事を、

若者言葉で 『ラス前』 と表現する様に成る等、

言葉の文化も発する聖地とも成った。

その一方で 『ラス前』 の、

“ぶらんどーむ一番町” 側に於いては、

リアル・クローズを対象とした、

ファッションショー 『仙台コレクション(仙コレ)』 を開催し、

人気ファッションモデルのイベントも店内で同時に開催。

加えて 『仙台パルコ』 に引き抜かれた、

“タワーレコード” の跡には、

仙台放送が新業態で出店する等して、

常に競争相手が増える中で、様々な仕掛けを行なってきた。


(長期休業が発表されてから、老若男女を問わず、

多くのメッセージがボードに張り出された。)


しかし時代は今は令和。

昭和50(1975)年05月02日に 『ジャスコ仙台店』 として、

開業してから築年数は既に48年10ヶ月の歳月が流れ、

建物自体への耐震工事が済んでいるものの、

平成23(2011)年に発生した東日本大震災、

令和03(2021)年と同04(2022)年に発生した、

福島県沖地震に因って設備の故障・停止や、

建物損傷等 が発生した事もあり、

長期的な安全性を確保するために、

建物の劣化や設備調査を行なう事 が必要と、

前々から発表されていた。

長期休業前の最終日となった、

02月29日の18時(午後6時)に営業を終えたその後、

店舗の前ではセレモニーが行われ、

仙台フォーラスの佐藤雄一館長が集まった人達に対して、

「東北生まれのフォーラスを温かく支持して頂いた、

東北一円のお客様のお陰です。

設置したメッセージボードでは、

フォーラスは 『私達の青春でした』 という言葉を、

多く頂きました。

休業で安全安心をしっかりと整えて、

また喜ばれる店として作り上げて戻って来たいと思います」 と、

挨拶をし、その後従業員が深々と頭を下げる中、

入口のシャッターが静かに降ろされ、

仙台フォーラスは 39年の歴史 に、一旦幕を下ろした。

利用客の多くからは、休業を惜しむ声が聞かれた。

50代の女性は、

「若い時に洋服を買った思い出があるので寂しいです。

広瀬通りの顔でもあったのでまたオープンして欲しいです」 と、

話していた。


(集まったお客さんの前で、長期休業の挨拶をする、

佐藤雄一館長。)


仙台フォーラスで開業から25年間、

勤務していた経験があると言う50代の男性は、

「フォーラスは青春だったので、

自分の中でひとつの時代が終わり、ありがとうしかないです。

新しく生まれ変わって前のフォーラスの様に、

皆に愛される店を作って欲しいです」 と話していた。

また娘が仙台フォーラスで働いていると言う70代の男性は、

「地域に根差した店なので、親近感があります。

ぜひ復活して欲しいと思います」 とこの様に話していた。

今回の仙台フォーラスの長期休業に伴って、


(店員一同、深々と挨拶をして、

静かにシャッターは降り、

39年間続いた営業は一旦休止に…。

このあと老朽化した建物自体の設備等の改修及び、

点検のため、長期休業に入った。)


実はもうひとつ忘れては成らない事がある。

それは同ビルの地下2階で、

前身の 『ジャスコ仙台店』 が開業した2年後の、

昭和52(1977)年から47年の長きに渡って営業を続けてきた、

中華料理店 『北京餃子』 がそれである。

食べ応えのあるボリュームたっぷりのメニューを提供していて、

学生や家族連れを中心に、

地元の人達に世代を越えて愛されていた。

仙台フォーラスの長期休業に伴って、

この場所での営業を終える事から思い出の味を求めて、

最終日直前まで連日の様に多くの客が訪れていたと言う。

40代の男性は、

「この場所での営業が最後と言う事で食べに来ました。

高校生の時から30年程通った店で安くて量が多い処が、

気に入っています」 と話していた。

50代の男性は 「学生時代にアーケードで遊んだり、

買い物したりした時によく食べに来ていました。

今日は当時の友人を誘って久しぶりに来ました」 と、

話していた。

この 中華料理店 『北京餃子』 は、

近くに移転して営業を続ける事が決まって折り、

山田英則店長は 「これまでのお客さんに対する、

感謝と同時に移転する事に寂しさを感じている。

移転先では今よりも更にパワーアップして、

頑張って行きたい」 とこの様に話していた。




( 宇和島藩家老・山家清兵衛衛公頼を祀る、

和霊神社 。上は愛媛県宇和島市の本社、

中は仙台市青葉区台原にある分霊、

下は更に分々霊で、仙台フォーラス屋上にある、

分霊社)


そしてもうひとつ忘れては成らない事は、

このビルの屋上に有名なパワースポットがある。

それが 一番町界隈の神社三社の内のひとつである、

和霊神社(われいじんじゃ) がそれである。

この神社、伊達政宗(だて まさむね) 公の長男で、

宇和島藩主である、伊達秀宗(だて ひでむね)の元で、

産業の拡充、民政の安定に手腕を発揮した、

家老・山家清兵衛衞公頼(やんべ せいべいきんより)が、

祀られている。

本社は愛媛県宇和島市にあり、

藩主が家老を祀った神社は全国に余り類を見ない。

仙台の和霊神社は 山家家が、

宇和島の和霊神社から分霊して、

屋敷内に社を建てたのが始まり と言われている。
昭和48(1973)年、立町通(現在の広瀬通付近)にあった、

和霊神社を仙台市北部の台原(だいのはら)に遷した。

その後、 “ぶらんど~む一番町商店街” 側から、

商店街の更なる活性化のため、

和霊神社分社の願いがあり、

今の仙台フォーラス屋上に、

和霊神社が鎮座 する事に成ったと言うのだ。
仙台七夕が始まる1ヶ月前弱の、

毎年07月19日と20日の二日間、

“マーブルロードおおまち商店街“『藤崎えびす神社』、

“サンモール一番町商店街”『野中神社』、

そして、 “ぶらんど~む一番町商店街”『和霊神社』 の、

3つの神社で毎年行われている下町情緒が漂う粋な祭。

えびす神社の神輿は、組み立てから担ぎ方まで、

江戸風で粋な気風を今日の仙台に伝え、

商店街を練り上げている。
若者が買い物序にこの神社に参拝したと言う、

若いカップルも多く、この神社の参拝がご縁で、

結ばれたと言うエピソードは数多い。


(仙台七夕が行われる前の1ヶ月前弱に、

一番町三社まつりが行われ、

商店街に神輿の渡御が執り行われる)


高度経済成長期の真っただ中、

映画産業が段々と斜陽化して行く中、

映画館が閉館した跡地に周辺の商店街を巻き込んでの、

再開発事業で立ち上がり、

前身の 『ジャスコ仙台店』 として開店し、

昭和~平成~令和と渡り歩き、

既に建物の耐用年数は50年近く経過しようとしている。

この間、宮城県沖地震、東日本大震災、

2度の福島県沖地震 に見舞われた。

前出でお伝えした通り、

建物自体の耐震工事は済ませているものの、

やはり経年劣化に伴う設備の損傷や、

建物の一部欠損は否めない。

現在より更に因り長期的かつ安全性を高めつつ、

綿密な建物の劣化状況も踏まえての、

再調査に至った事 は確かな様だ。

今回の一時休業で一番町界隈の人の流れが、

今後どうなるのか気に成る処でもある。

先般の 02月10日付けで管理者自身がアップロードした、

『官民連携、夜市で観光活性化構想』 の内容を、

執筆させて頂いたが、

これは今回の仙台フォーラスの長期休養に絡む事と、

実は大いに連動 している。

仙台市内に於ける商圏の人の流れが仙台駅周辺、

特に東口に集中しているため、

分散化処か一極集中に成ってしまっている 感があるからだ。

当然、市中心部に人が流れて来なければ、

それは商店街及び中心部自体の、

衰退にも繋がりかねないため、

“夜市構想” で以って、人の流れを取り戻す構想である。

仙台フォーラスの建物自体が今後どうなるのか?

再開時期は未定であるが上、

綿密な内部調査を経てからの結果公表に成るので、

かなりの時間を要する事に成りそうだ。

果たしてどの様な結果と相成るのか、

仙台市民を始め宮城県民及び、

フォーラスを利用していた東北各県の方々に取っては、

結果が気に成る処 でもある。   


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【動画関連】

『地元に愛される北京餃子の思い』

https://www.youtube.com/watch?v=wVNcO8RF38Q
〔khb 配信〕

『仙台フォーラス休業セレモニー』(関連)

https://www.youtube.com/watch?v=QAwO0w2A7aA

〔khb 配信〕
https://www.youtube.com/watch?v=qd8vYXe0KH8
〔OX 配信〕

https://www.youtube.com/watch?v=laTwwh75PO8

〔tbc 配信〕

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【ウェブサイト】

『仙台フォーラス』
https://www.forus.co.jp/contents/app/sendai/
『北京餃子』

https://twitter.com/Pekin_Gyoza

https://funada.jp/

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JG7MER / Ackee

今月最後のBlog更新と参ろう。

読者の皆様に於かれてはお酒を嗜む諸氏が多い事だろう。

特にここ最近に於いては健康志向も相俟ってか、

ノンアルコールタイプの飲料に押され気味の感じ がある様だ。

特に 一番 その影響を受けているのは日本酒 である。

日本酒の場合、精米から並行複発酵、

段仕込みと云うとても複雑な工程を経て、

約60日間を掛けて、日本酒の誕生 と成っている。

当然の事ながら 酒米を原料とし、

麹菌(こうじきん)を振りかけながら、

麹室(こうじむろ)で麹菌が発生し易い環境に、

せざるを得ないが上に、

更には酒桶(さかおけ)となるタンクの中で、

自然発酵のチカラで以って熟成させ、

杜氏(とうじ)の手で以って撹拌(かくはん)作業を経て、

酒搾りの作業及び熱による火入れを経て、

蔵出しとして一般に販売 される。

中々手間暇が掛かる工程である。

特に日本酒の場合、ご年配層に取っては、

愛好者がかなり多かったのは確かだ。

明治、大正、昭和生まれの戦前派辺りの層には、

日本酒はほぼ受け入れられていた様だ。

( 『NEXT5』 を立ち上げた後継ぎ5人衆。

左から山本友文さん、栗林直章さん、

小林忠彦さん、佐藤祐輔さん、渡邉辺康衛さん)


しかし 時代が戦後派世代から現代世代へ代わり、

日本酒の消費量は次第に右肩下がりの状態と成り、

廃業する酒蔵 が各地で目立ち始めた。

しかし古来からの伝統である日本酒の消費落ち込みに、

歯止めを掛けるべく近年は、

新世代の酒蔵の当主も台頭し始めた他、

これまでの伝統的な日本酒に飽き足らない、

新しいタイプの新日本酒も普及し始め、

若年層へ旧来の日本酒のイメージを、

払拭しようしている動きも活発化  している。

そう言った新世代による活躍に因り、

創成当時の目的を果たした事で活動に、

一区切りを付けた酒蔵集団をご紹介する事にしよう。

北東北の日本海側に位置する米処である秋田県。

ここは豊富で豊かな大地、自然に育まれた水質や、

米処として知られ 『あきたこまち』 を始め、

新しく発売された 『サキホコレ』 を始め、

大きな銘柄を輩出している日本酒先進県である。

その恵まれた地でありながら、

県内には数多くの酒蔵が点在をしていたが、

ここ近年は消費量の落ち込みから、

廃業する蔵も目立ち始めていた。

その厳しい逆風の中で立ち上がったのは、

所謂  『NEXT 5』 の名称で立ち上がった、

秋田県を代表する酒蔵の若衆達 である。

( 『NEXT5』 の一員である佐藤さん<左>、

山本さん<中>、栗林さん<右>)


(メンバーは都内の作業場で、ケーキ作りを体験した)



(ピエール・エルメ・パリ日本法人の製造部長、

クリストフ・ドラピエさん<右から2人目>から、

説明を受ける 『NEXT5』 のメンバー)



(ケーキにチョコレートをコーティングする山本さん)


(完成したケーキを手にする、佐藤さん<左>、

山本さん<中>、栗林さん<右>。

NEXT5のメンバーはそれぞれ個性的で、

山本さんは東京の音楽プロダクション、

佐藤さんはフリージャーナリストからの転身、

栗林さんも杜氏の急逝で、自ら酒造りを始めた。

山本さんは 「10年前、

生き残りを賭けて踏み出しました。

ジョン・レノンや、ポール・マッカートニー達が、

出会った様に、私の中で 『NEXT5』 は、

ビートルズの様な、存在だと思っています」 と、

振り返る。)


『NEXT 5』 とは、平成22(2010)年に結成された、

秋田県の若き蔵元経営者5名からなるユニットの事で、

ユニット名の由来は 「次世代を見据えた酒造りを模索し、

秋田の酒造りを牽引出来る様存在になろう」 という思いから、

命名されたもので、技術交流や共同醸造、

合同イベントの開催等、

様々な活動をこれまで行なって来た集団 である。

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《NEXT5 メンバー》

山 本 友 文 氏 (山本合名会社)

 「白瀑(しらたき)」「山本(やまもと)」

小 林 忠 彦 氏 (秋田醸造株式会社)

「ゆきの美人」

栗 林 直 章 氏 (合名会社栗林酒造店)

 「春霞(はるがす)」

渡 邉 康 衛 氏 (福禄寿酒造株式会社)

「一白水成(いっぱくすいせい)」

佐 藤 祐 輔 氏 (新政酒造株式会社)

「新政(あらまさ)」


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5人のメンバーは、杜氏制度が主流だった、

秋田の酒造界にあって、蔵元の経営者自らが、

酒造りを手掛ける30~40代の若手の事である。

ユニット結成の切っ掛けは、

品質の研鑚のためお互いの日本酒を批評しあう、

広島県の蔵元グループである 『魂志会(こんしかい)』 の、

存在 を知った事だったと言う。

「秋田は元々酒処と言われているが、

日本酒の消費量が伸び悩む中、

今のままでは時流に乗り遅れてしまう」 との、

危機感を抱いた仲間が集まり、手を取り合う事に成ったと言う。

グループが酒質向上を目指して行なって来たのが、

定例の利き酒会や各蔵元の商品と首都圏で売れている、

商品を合わせた10銘柄で、ラベルを隠して利き酒をし、

それぞれの酒質を批評する というものであった。

自社商品と気付かずに低評価を付けて、

ショックを受ける事もあった様であるが、定期的に行なう事で、

利き酒能力の向上は勿論、

酒造技術の向上にも繋がっていると言うのだ。


『NEXT 5』 のメンバー達は、県内だけでなく、

県外にも販路拡大を目指しつつ、

既成商品に飽き足らない層を掴むべく、

新商品の開発にも乗り出し始めた。)


グループでは、各蔵元がリレー形式で製造工程を受け持ち、

アイディアとノウハウを持ち寄って日本酒を造る、

「共同醸造」 にも取り組んでいた。

平成22(2010)年の、

「The Beginning 2010」 (製造元:新政酒造) を皮切りに、

「Passion 2011」 (秋田醸造)、

「Emotion 2011」 (福禄寿酒造)、

「Echo 2012」 (栗林酒造店)、

「Shangri-ra(シャングリラ)3013」 (山本)  と、

それぞれ独自の個性を持った日本酒が完成させた。

毎回、ほぼ予約販売時点で完売と成る程の評判を呼んでいた。

( 『NEXT 5』 発足後に5つの蔵元で、

生み出された 「共同醸造酒」 )



(イベントに出展して、

日本酒の良さを果敢にアピールする、

『NEXT 5』 のメンバー達)



( 『NEXT 5』 主催の日本酒関連イベントには、

県内外から多くファンが訪れ盛況を極めた)


栗林酒造店の蔵元・栗林直章さんは、

「代々続く酒蔵は、製造方法を継承するイメージがあります。

しかし今はお酒が上手く造れない、売れない時代。

NEXT5で刺激を受け、守るという発想から外れて、

変わって行く事で、結果に繋がって行きました」 と語る。

酒蔵の単発コラボではなく、NEXT5の様に、

10年間も活動を続けているのは異例で、

多くのメディアでも取り上げられていた。

5年前からは他分野のアーティストらとの、

コラボ商品も送り出している。

2年前には、戦国武将・茶人の古田織部を主人公にした、

人気歴史漫画 「へうげもの」 とコラボし、

お酒と特製酒器を売り出しも行なった。

令和02(2020)年は 「パティスリー界のピカソ」 と称される、

フランスのパティシエ、

ピエール・エルメさんのブランドである、

「イスパハン」 とコラボをした。

酒米を使った米粉を練り込んだパウンドケーキと、

甘みのある貴醸酒というジャンルの、

日本酒をセット販売する事行なったと言うのだ。

エルメさんも4代目の職人で、 『NEXT5』 と共通点がある。

新政酒造社長の佐藤祐輔さんは、

「フランス菓子も伝統産業として

長い時間をかけて進化しています。

国を背負った食文化という点に、

シンパシーを感じました」 と語る。

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、

フランスとオンラインで調整を重ね、

またピエール・エルメ・パリ日本代表と製造部の統括責任者が、

秋田を訪れ、同年10月上旬には、

NEXT5の山本さん、栗林さん、佐藤さんの3人が、

東京にあるピエール・エルメ・パリのアトリエを訪ね、

生地作りや、ケーキのコーティング等を体験し、

製造工程を確認した。

ローズとフランボワーズ、ライチ等を、

組み合わせたケーキには、

栗林さんが春霞で使っている酒米・美郷錦を、

米粉にして練り込ませた。

米粉を入れる事で、より柔らかい口当たりに成ると言う。

貴醸酒も5蔵の英知を結集させた。

山本酒造店が全体の仕込み、秋田醸造が発酵管理を担当。

原料は春霞の酒米・美郷錦。

新政の亜麻猫オーク樽貯蔵酒と、

一白水成の仕込み水を使用したと言う。

クリスマスや年末年始に向けて1万セットを用意し、

価格は13,800円ではあったが、

既に蔵では完売する程の人気ぶりだったと言う。

10年歩んできた 『NEXT5』 について山本さんは、

「ライバルという意識はなく、

良いお酒を造って秋田県外に売る仲間です。

秋田の酒屋の売り上げも伸び、女性ファンが増え、

飲食店からも喜ばれるのが嬉しいです」 と言い切る。

NEXT5のメンバーはそれぞれ個性的で、

山本さんは東京の音楽プロダクション、

佐藤さんはフリージャーナリストからの転身、

栗林さんも杜氏の急逝で自ら酒造りを始めた。

山本さんは 「10年前、生き残りをかけて踏み出しました。

ジョン・レノンやポール・マッカートニーたちが出会った様に、

私の中でNEXT5はビートルズの様な、

存在だと思っています」 と、この様に振り返る。

酒蔵一つひとつの企業規模は小さくても、

結集すればインパクトを生み出せると、

『NEXT5』 は証明した見せた。

その 『NEXT 5』 としての活動が先般02月10日に、

秋田市内で行われた日本酒イベントを最後に、

13年間に渡る活動を休止を宣言したのだ。

活動休止に至ってグループの纏め役である、

秋田醸造の小林忠彦社長(62)は、

「当初は売れ切るのが大変だった状況が一変し、

手応えを感じた」 と活動当初の想いを語ってくれた。

同グループは、これまで現代美術家の村上隆氏らとの、

コラボ商品を発売した他、

今年01月には東京国立博物館でイベントを開く等、

秋田の日本酒の魅力を県内外に発信して来た。

そのグループとしての活動休止に伴う締め括りとなる、

日本酒のイベントが秋田市の、

『あきた芸術劇場・ミルハス』 で行われた。

東京や大阪等、県内外から約300人が参加して、

イベントが行われた。

(先般02月10日 『NEXT 5』 としての、

活動休止の発表と相俟って、

最後の日本酒イベントの催しが秋田市内で行われた。

県内外から約300名の日本酒ファンが集まり、

イベントは大いに盛り上がった)



(宴も佳境に入った段階で、ファンからの寄せ書きが、

メンバーの元に届けられた。)


小林秋田醸造社長の掛け声に合せて、

最後の共同醸造酒となるスパークリングタイプの、

純米酒 「THE FINAL 2024(ザ・ファイナル2024)」 で乾杯した。

友人と2人で参加したと言う秋田市在住の50代の女性は、

『NEXT 5』 が縁で県外の日本酒好きの方との交流が増えた。

秋田の自慢だったので活動教師は残念だ」 と惜しんだ。

メンバーである、山本酒造店の山本友文社長は、

「経営状況が厳しい中、メンバーに助けられた。

秋田の日本酒ファンの裾野を全国に広げる事が出来た」 と、

この様に振り返った。

新政酒造の佐藤祐輔社長は、

「酒米や木桶等酒造りに不可欠な農林業の分野にも注力し、

更に一回り大きく成って再び集まりたい」 と語った。

小林秋田醸造社長は締め括りの言葉として、

「蔵の生き残りを懸けた取り組みを通して、

個々のブランド力が上がった。

今後はそれぞれが誰も作っていないタイプの、

日本酒を目指す」 と、 この様に語った。

因みに活動の集大成となる、

共同醸造酒 『NEXT FINAL 2024』 (750㎖) は、

価格、販売本数ともまだ確定してはいないが、

来月03月下旬には県内外の特約店で販売する予定 だと言う。


(活動休止に辺り、これまでの取り組みについて、

控室で語り合う 『NEXT 5』 のメンバー達)


従来の手法に囚われない方法での新しい日本酒発掘。

戦前や戦後まもない頃の様な、

ブランド名だけにしがみつくだけでは、

もはや生き残れない時代と成った現代。

蔵元としてのブラントを守りつつ、

そこには互いに蔵元にはない技術を習得する事のみならず、

共通と成る悩みも数多く存在する。

それらの互いに足らない課題を、批判及び評価をしつつ、

ひとつひとつ解決しながら、

共に同じ生業である蔵元の仲間を守る互助意識は、

正にこれからの新しい日本酒を、

共に造り出して行こうとしている蔵元や杜氏に取っても、

大きな励み となる事は確かだ。

今回、一定の成果を上げた事で一旦活動を休止しながら、

今後は各蔵元に於いて新しい酒造りブランドの、

構築に取り掛かる。

そう遠くない時期に再び今度は一回りも大きくなった、

『NEXT 5』 の雄姿 を、

地元・秋田を始め県内外の日本酒ファンは、

望んでいる 事であろう。


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《NEXT 5》【各蔵元ホームページ】

『山本合名会社』

https://www.yamamoto-brewery.com/

『秋田醸造株式会社』

https://www.osake.or.jp/kuramoto/02akitajozo.html

『合名会社栗林酒造店』

https://www.osake.or.jp/kuramoto/19kuribayashi.html

https://harukasumi.com/

『福禄寿酒造株式会社』

https://www.osake.or.jp/kuramoto/06fukurokuju.html

https://www.fukurokuju.jp/

『新政酒造株式会社』

https://www.osake.or.jp/kuramoto/01aramasa.html

http://www.aramasa.jp/

【注意】

●未成年の飲酒は、法律で禁じられています。

●飲酒運転は、法律で禁じられています。

●妊娠中に於ける飲酒は、

胎児への悪影響を及ぼす事があります、

ご遠慮を願います。

●お酒は20歳になってから、程良く楽しく、適量に。

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JG7MER / Ackee

今月最初のBlog更新と参ろう。

コロナ渦の影響で屋外に於ける、

イベントでの物販や飲食関連の、

出店ブースが昨年度から5類移行に伴って、

徐々に回復の軌道に乗りつつある。

仙台市内の場合、夜店と言うか道路上に、

屋台めいた店がないのは、

各方面から指摘 されているのは確かな様だ。

戦後間もない頃仙台市内各所にも、

屋台は数多く存在はしていた、

しかし衛生面を始め道路上で行なう場合の使用許可や、

一代限りと言う法的規制の側面の所為で、

高齢化に伴って徐々に廃業に追い込まれ、

現在は1軒だけ と成ってしまっている。

そう言った危機的現状を何とか打開しようと、

行政と地域商店街が立ち上がった話題を、

お届けする事にしよう。


(嘗ては仙台の中心部、

東北を代表する繁華街と言われていた、

一番町界隈だが、JR仙台駅周辺に客足を奪われ、

悪戦苦闘の状態が続く。)


仙台市青葉区中心部に中る、

一番町四丁目商店街の市道(東一番丁通、全長377m)に、

飲食ブースを設ける 『夜市』 構想 が浮上 している事が、

この程分かったと言う。

仙台市や一番町四丁目商店街振興組合、

同じ商店街に店舗を構えている、仙台三越等が協力し、

新型コロナウイルス禍で疲弊した地域の、

新たな観光資源にしよう と近く検討を始めていると言うのだ。

同商店街周辺の北側で進む、

仙台市役所新庁舎整備等と連動する、

地域一帯の活性化策の第1弾として、

今年度の04月以降からの実施を視野に入れている。

関係者によると、夜市は幅15mの道路の内、

5mの中央部に飲食や物販のブース、テント、

キッチンカー等を並べる と言う。


(仙台の冬の風物詩と成っている、

『SENDAI 光のページェント』

期間中には、多くの飲食ブースを含めた、

キッチンカーが会場内を並べた。

今までは 期間限定=単発 だけの期間だっただけに、

これを 常時=レギュラー化 する事が出来るか?が、

鍵を握ると言えそうだ。)


今年度は夏の期間限定で、

試験的に実施する試行する案もあると言う。

仙台市は関連事業費を今年度の、

一般会計当初予算に計上する方向で調整していると言う。

一番町四丁目商店街は、

広瀬通りと定禅寺通りの間に挟まれた商店街で、

アーケードが設置されている市中心部6商店街でも、

唯一中央部に屋根がない造りの商店街 である。

夜市は、その開放的な雰囲気を生かした取り組みとなる。

関係者の間では 「将来的に福岡・博多の様な、

屋台街にして誘客したい」 との声も根強い。


(仙台駅前から離れた地域にあるだけに、

これを如何にしてコロナ渦前の客足状態に戻すかが、

大きな壁と成りそうだ。)


仙台市中心部では、昨年06月にJR仙台駅東口に、

ヨドバシ仙台第1ビル(宮城野区)が開業したため、

人の流れは確実に仙台駅周辺に集中 している。

その一方、仙台市中心部商店街で駅から、

最も遠い一番町四丁目商店街への人の流れは、

コロナ渦前の水準に戻っていないのが現状だ。

特に近隣のファッションビル 『仙台フォーラス』 が、

今年03月から長期休業 に入る事もあり、

関係者の間では危機感が広がっていた。

道路空間の中央部では、

一番町四丁目商店街振興組合等が、

コンサートや芋煮会等の企画を展開して来たが、

何れも多くは単発だった。


(市中心部の街並み再生のため、

遂には行政の側が立ち上がった。

官民一体での街中の賑やかさを、

如何に取り戻す事が、出来るか…。)


夜市が実現すれば 仙台の弱点とされる、

『夜の観光』 のアピール になる他、

若い世代の買い物客が目立つ駅周辺との、

棲み分けも可能との見方がある様だ。

令和10(2028)年度の仙台市役所新庁舎の利用開始と、

同12(2030)年度に完了予定の、

勾当台公園再整備と言った動きにも呼応し、

市や振興組合などは夜市構想を足掛かりに、

日中帯=昼の活性策にも知恵を絞る。

仙台市が掲げている 『子育てが楽しいまち』 を念頭に、

商店街の道路空間や空き店舗を子供の遊び場として、

活用するアイデア もあるという。

今回、 『夜市』 構想 が持ち上がった背景には、

再開発が活発化する都心部の変革期に、

「このままでは取り残される」 との危機感 が背景にある。

新型コロナウイルス渦の影響を脱しつつある、

JR仙台駅周辺に比べて中心部に中る一番町界隈は、

回復力が遅れて折り、

官民は 「買い物客らの滞在時間の増加に繋がる、

一手が不可欠」 との認識で一致 しているからだ。

しかも 地元商店街関係者の間では、

「思った程に人の出が戻っていない。肌感覚が以前と違う」

と言う相当な危機感が漂っている 事は確かだ。

昨年10月末に、

一番町四丁目商店街振興組合の事務所に集まった関係者は、

会合の席上で一様に驚きを隠せなかったと言う。

仙台市経済局の担当者が持参した人の流れを示す、

昨年秋の同商店街界隈への人出の数値が、

コロナ禍前の令和元(2019)年の夏場を下回った ためだ。

約130店舗が加盟する振興組合は、

商店主の高齢化や後継者不足と言った、

喫急な課題にも直面している。


(今年の夏頃から、試験的に始めると言う 『夜市』

これまで祭典やイベントなので期間限定で、

出店してきた経緯もあり、

この経験値を上手く活かす事が出来るのか。

上手く成功を収めれば、大きな弾みと成り、

新たな 杜の都=杜王町 の地の名物とも成り得る。)


令和12(2030)年度完了予定の、

勾当台公園(青葉区)再整備に伴い、

多彩なイベントの会場と成っている、

市民広場等が使えない時期も想定され、

子供連れや買い物客の足が更に遠のく懸念も拭えない。

「商店街の体力がある内に、手を打たないと拙い」

そう言った危機感の中から関係者が思い描いたのが、

今回の 『夜市』 構想 だったと言う。

日中営業の商店や仙台三越が閉店する夜の時間帯に、

商店街の違った一面をアピール出来る。

中央部に屋根がない開放感から、

屋外の活用策と親和性が高いと、

関係者筋ではこの様に見ている。

昨年04月に開店90周年を迎えた仙台三越も、

「店外」 との関わりを一層強化 する。

12月23、24日の両日に商店街の道路空間で、

ホットワインやアップルパイを販売する、

「クリスマスバー」を初めて企画開催し、

定禅寺通であった 『SENDAI光のページェント』 の、

見物客に好評 だったからだ。

企画を催した、仙台三越の最高責任者は、

「様々なイベントがある定禅寺通に接する商店街の特徴を、

生かす必要性がある」 。とこの様に指摘し、

『あそこに行けば、面白い体験が出来る』

と思える仕掛けを一緒に創りたい」 。

とこの様に意気込んでいる。

仙台市は勾当台・定禅寺通エリアの再整備に当たり、

仙台駅周辺との回遊性向上を重視する。

仙台市の経済局長は、

「一番町四丁目商店街との連続性や一体性を持たせ、

都心地域全体の魅力を高める視点が欠かせない。

仙台駅周辺と並ぶ賑わいの核と成る様に、

取り組みを進める」 。とこの様に強調している。


(5類移行に成り、

嘗ての様な賑わいを取り戻す事が出来るか?

祭典やイベントだけの出店に頼った、

従来のやり方では、やって行けなくなったご時世。

常時、イベントが催されている雰囲気の様な、

常時性=レギュラー化 が必要不可欠と成った、

商店街への、集客合戦。

大型郊外商業施設へ客足を奪われている昨今。

既存の商店街も正に生き残りを掛けた、

戦いを余儀なくされそうだ。)


嘗て昭和の時代は何がかんでも中心部に行けば、

購買力は勿論の事、その地域の商店街が活性化し、

人が集う事で街全体が潤うと言うのが常識の常だった。

しかし庶民の昭和の時代から、既に50年以上の月日が経ち、

時代は今、令和。

この間、庶民の生活様式も大きく様替わりし、

ネットでの購買は勿論の事、流通経路の進化から、

現在では郊外に大型商業施設が各地に点在し、

新たな集客の要因に成る等、

嘗ての中心商店街の魅力度の 陳腐化=劣化 が、

指摘 される様に成った。

全国各都道府県庁所在地に必ず1店舗はあった筈の、

百貨店=デパート が、次々と消滅して空白域が生じる等、

想定外の事態が現実 として起こってしまっている。

東北の雄である仙台市も最近の傾向として、

嘗ての仙台駅西口の賑やかさが、

仙台駅東口に完全に集客力が逆転 している、

と言っても過言ではない。

嘗て 東口は戦災に遭わなかった地域でもあり、

西口に比べて開発は遅々として進まなかった。

しかしJR仙石線の 連続立体交差=地下化完成 を機に、

平成12(2000)年以降から、急速に開発が進み、

更には地下鉄東西線の開通に伴い、

開発の度合いは大きく進んだ。

現在は都市計画道路を挟んで、

既存の西口とは遜色のない発展ぶりと相成った。

しかもこれまでの西口界隈には無かった、

新しい街づくりでの息吹を取り入れた事で、

仙台駅周辺の集客に成功 した。

今回のこの決定。

正にこれまで長年培って来た、

仙台市中心部の商店街としての、

メンツが掛かっている構想とも言える。

前出の通り、福岡の様な屋台文化が無かっただけに、

これを新たに導入する事でこれまでの常識を、

底辺から替える事が出来るのか如何か…。

言わばプレゼンテーション力が試される 事にも成りそうだ。

今年夏場辺りから試験的に導入されるが、

これまで沈滞化していた仙台市中心部の、

集客力回復=再活性化に繋がるのか如何か?

その試金石がこれから試されると言えそうだ。


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JG7MER / Ackee

今年最初のBlog更新と参ろう。

新しい年に入り、スポーツ関連も、

そろそろシーズンインに向けて、

キャンプインも間近に迫って来ている。

当然の事ながら選手やコーチスタッフは、

シーズンの優勝へ向けて練習に余念がない、

時期にこれから入って行く。

しかしそれより肝心な面と言えば、

やはり競技施設の改善もひとつの、

大きなテーマに成りつつある。

プロ野球の世界に於いては12球団、

10球団は既にLED照明に置き換えする等、

改善措置は為されているが、

唯一、セ・リーグの広島とパ・リーグの楽天だけは、

まだ発光ダイオード(LED)化が、

これまで為されていなかった…。

そんな状況の中、管理者が居住している、

楽天モバイルパーク宮城のナイター照明設備が、

昨年12月29日に楽天球団側から、

LED化される内容の旨 が発表された。

照度を上げつつ省エネ効果も期待出来る他、

技術の進化でLEDでもグラウンド全体を均一に照らす事が、

可能に成ったと言うのがそれである。


(お馴染み楽天生命パークにある照明設備。

半世紀前の県営宮城球場時代、

当時のロッテ・オリオンズが、

暫定フランチャイズとしていた時、

ナイトゲームを主催するに辺り、

東北野球企業から、宮城県に寄贈された。)


楽天球団の説明に因ると、

現在の照明塔に取り付けられている水銀灯の一種である、

メタルハイドランプ(HID)594台の投光器を、

約480台のLEDタイプに付け替えする と言うのだ。

ナイター照明に使う電力の、

約6割削減 を見込んでいると言う。

HIDからLEDへの切り替えに中って、

もっとも最重要視したのはプレイへの影響で、

様々な角度から照射する “クロスエイミング” と、

調光に因って光の塊を分散させ、明るさのバラつきを抑え、

照度を確保しつつ一部を暖色系の投光器にする事で、

暖かみのある色合いの実現を目指すと言う。


(これまで付けられていた水銀灯の一種である、

メタルハイドランプ=HIDから、LEDタイプ に、

全て置き換えられる。)


因みに照明塔が12球団中高さがもっとも低く、

グラウンド近い場所にある事から、

今以上の環境を確保出来る様に成り、

6年間の歳月を掛けて検討していたLED化が、

この程決まったと言う訳である。

HIDの生産終了も結果的には、

LED化切り替えの後押しと成った様である。

LEDの利点は省電力と長寿命に留まらず、

点灯と消灯を瞬時に切り替えられる特性を生かせば、

演出の幅も広がる と、この様に見込んでいる。

(昨年のシーズン終了時点から、

照明塔の改修工事が進められていた。

照明塔の躯体をそのまま生かし、

照明電球は全てLED球へ全面更新される。

従来のHID球より、配置数はかなり少なく成りそうだ。)


楽天モバイルパーク宮城の照明塔は、

県営宮城球場時代の昭和48(1973)年に、

宮城県内の企業15社で設立した東北野球企業が、

宮城県に寄付 をした。

楽天球団は新規参入した平成17(2005)年以降で初めて、

照明設備の大規模更新に着手し、

改修工事に中ってはレガシー(遺産)として、

照明塔を残す事を基本線 とした。

昨年の11月末から照明塔に足場を組み、

今年のホーム開幕戦に合せ、

現在急ピッチで改修工事が進行中である。

球団側の山県大介スタジアム部長は、

「宮城球場のクラシックでノスタルジックな、

雰囲気の良さを生かし、

未来を明るく照らして行きたい」 とこの様に語った。

とある内野手は、来季からポジションに因っては、

ボールの見え方が違って来る可能性もある事から、

「シーズンで最も多くプレーする球場なので、

試合の中で早く慣れていきたい」 と、この様に話し、

意気込んでいた。


(今季からは5シーズンぶりに、

球団創設以来続いていた、 『ジェット風船』 が復活する。

新型コロナウィルス渦の影響で、禁止されていただけに、

久々の復活を心待ちにしているファンは多い。)


またこれに合せて今季は主催試合で、

新型コロナウィルス対策として続けて来た、

『ジェット風船』 の使用禁止を5シーズンぶりに解く と言う。

7回の攻撃前と勝利時に客席から飛ばされる応援の名物が、

今季03月のホーム開幕戦から帰って来る事になる。

今シーズンからは 『ジェット風船』 に関して、

衛生面を最大限に考慮して直接口では膨らませずに、

専用の空気入れを球場来場者に、

配布販売する事 に決まった。

12球団中、昨年のシーズン途中で、

セ・リーグの広島とパ・リーグのソフトバンクの2球団が、

この方式で使用を再開している。

球団側は風船を用いた応援を平成17(2005)年に導入し、

球場を彩る応援として定着したものの、

新型コロナウィルス感染が拡大した令和02(2020)年から、

使用を禁止にしていた。


(今季から恒例の 『ジェット風船』 が復活するが、

衛生面を考慮して、直接口で吹き込んでいたものから、

空気入れを使っての方式に摂って代わる。)


森井誠之球団社長は 「色々とおカネを掛けても結局は、

歓声に勝る演出はない。

大勢のお客様と心を一つに何かをすると成った時、

ウチの一番象徴的なものは、やっぱりジェット風船。

何がなんでも復活させたかった。」 とこの様に熱く語った。

遡る事20年前、球団の合併の騒動から時が動き、

新規参入枠からしかも東北の地に、

初のプロ野球マイチーム・フランチャイズ化を果してから、

今年20年目となる節目の年に中る。

スタジアムのリニューアルや及び演出も含めて、

新たなる再出発となる今年。

果たしてどの様な新しい球史が刻まれるのか、

球春のシーズンインは刻一刻と近づきつつある。




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JG7MER / Ackee

新年あけましておめでとうございます。ヾ(@^▽^@)ノ

今年も当 Blog Siteを宜しくお願い申し上げます。(^-^)/

今年一年、読者の皆様にとってたくさんの幸運が舞い降りる、

素晴らしい年と成られます事、

心よりお祈り申し上げます。(*^ー^)ノ

皇記 二六八四年 艮 佛記 二五六七年 西暦 二〇二四年

令和六年 甲辰歳

トイレットペーパー芯 de 門松 | ふくおか環境財団

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JG7MER / Ackee

早いもので令和05(2023)年も、

本日ここに大晦日の日を迎える事に成りました。

読者の皆様方に取って今年1年は,

どの様な年で有られましたでしょうか?

毎年同じ形でのフレーズ見出しとは相成ってしまいますが、

今年も相も変わらずと申しますか、

世界的に紛争や自然災害が絶えない,

1年であった事だろうと思います。


(未だに戦闘が収まる気配のない、

ロシアによるウクライナ侵攻。)



(中東のイスラエルでは、ガザ地区への侵攻に伴い、

増々事態は、複雑かつ泥沼化の様相に…。)


未だ出口が見えない侵略紛争に加え、

中東では宗教対立のイデオロギーが,

未だに火種が燻りとして残り、

その燻り続けていたものが今年後半に成って、

一気に表沙汰に成った年とも言えるでしょう。

その世界的にも不安定な政治情勢は、

我々庶民の生活自体をも直撃していると言っていると,

過言ではないでしょう。

石油精製の減産から単を欲している、

価格の異常たる上昇は様々な面に、

悪影響をもたらしていると言っても宜しいでしょう。

経済面に於いては諸般の事情から、

原材料の値上げ等に対処せざるを得なくなり、

商品の買い控えを始め節約志向が更に強まる等、

堅実な営みで以って現状に対処せざるを得ない、

状況でもあります。


(中東アラブ諸国の石油精製の減産体制によって、

一気に原油価格は上昇。

更に円安基調にも拍車がかかって、

国内の物価価格はインフレ状態に陥った。)


そう言った遣る瀬無い状況から、

今年は心を蝕む事件が多発したとしとも言えるでしょう。

一連の大型詐欺事件から発展した闇バイトが横行し、

挙句の果てには宝石店や一般個人宅へ、

白昼堂々と強盗に押し入る事件まで勃発してしまいました。

正に世の中の未来へ失望感や行き詰まり=閉塞感が、

有らぬ方向へ欲求不満の捌け口の形で、

暴走してしまったと、言わざるを得ないでしょう。


(以前から問題に成っていたオレオレ詐欺は、

海外を拠点にしていた組織的犯罪である事が明るみに。

次々と実態が暴かれる異常事態に陥った。)



(一連の事態はなんと、強盗団の手下にも波及。

関東圏管轄では、次々と事件の真相が明るみに成った。)


自然界に於いても今年は真夏の酷暑、

真冬の厳冬と極端な二極化に至り、

中間と成る春や秋の季節が、

次第に消えゆく感がして成りません。

俗に言われている“地球沸騰化”と言う、

大変由々しき言葉まで出て来る様な、

地球全体が増々悍ましい時代に成り下がったと、

憂慮せざるを得ないでしょう。

( “地球温暖化” と言う言葉が、

以前から叫ばれ続けていたものの、

事態は更に深刻化に陥り、

“地球沸騰化” と言う言葉がトレンドとして、

上がる様に成った。)

 

文化面に於いても今年は有名な大物アーチストの訃報が、

前半と後半に立て続けに起こり、

正に庶民の昭和の時代の終焉を物語る様な、

何とも寂しい限りのニュースが立て続けに起こりました。


(テクノサウンドの生みの親として “教授” の愛称で、

親しまれた、Y.M.O.の坂本龍一さん。)




(フォークグループ “アリス” のリーダーとして、

またソロ活動や楽曲提供や、

音楽による文化交流を推進した谷村新司さん。

何れも昭和の時代を彩った輝かしい逸材が、

次々と鬼籍に入ってしまった。)


その一方でスポーツ関係と言えば、

やはりWBCワールドクラッシックに於ける、

サムライジャパンの活躍を見過ごす訳には行かないでしょう。

普段野球に余り関心のない層まで、

食い入る様に試合状況にどれほど感動した事か、

普段忘れかけていた“ニッポンの底チカラ”と言うのを、

見せつけてくれた出来事とも言えるでしょう。


(WBCワールド・クラッシック・ベースボールで活躍した、

サムライジャパンの主将を務めた大谷翔平選手。

投打に渡ってチームを鼓舞し、

決勝戦は自らのピッチングでライバルアメリカを倒した。

決勝戦前の円陣で語った 『憧れるのは止めましょう』 は、

各方面へ大きな反響を呼び、話題となった。)




(14年ぶり3度目の頂点に立った、サムライジャパン。

普段余り野球に興味が無かった層には、

大きな感動を与えた。)


今や国の内外に於いては、

様々な顔面の欲望が数多く渦巻き、

正に危険地帯の地雷に入りつつある、

常在戦場の様な危機的状況に成りつつあると、

言わざるを得ない様な状況です。

正に一触即発とも言っても良い様な国際情勢の最中、

これからの世の中を一体どの様に、

正さなければ成らないのか?

正に先送り出来ない待ったなしの状況に、

追い詰められていると言っても過言はないでしょう。

(様々な出来事があった卯歳から辰歳へとバトンが渡される。)


間もなく迎え様としている令和06年。

来たる年が読者の皆様に取って、

たくさんの福が舞い降りる良き年で有られます事、

心よりご祈念を申し上げましてご挨拶に替えさせて頂きます。

一年間のご愛読誠にありがとうございました。

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JG7MER / Ackee

今月最初かつ最後の話題のBlog更新と参ろう。

久々に 『ご当地・鉄道』 関連 話題と言う事で、

話を進めて参りたいと思う。

東北初の仙台市地下鉄南北線が開通したのは、

昭和62(1987)年07月15日で、今年で36年に成る。

開業当初から使われている地下鉄車輛は、

いわゆる1000系と言う塗装式タイプの車輛である。

しかし開通からかなりの経年が経ち以前から、

車輛故障のトラブルも絶える事無く続いていたため、

言わば車体更新を経て維持して来たこの車輛も、

限界値が見えて来た事は確かである。


(開業以来、初の車体更新に伴い、

新型車輛が投入される事に成った、

仙台市地下鉄・南北線の新型車輛である3,000系。)



(新型車輛に導入に関しては、

事前に市民によるアンケート投票で以って決められた。

結果、圧倒的多数で、現在の車輛のレイアウトを踏襲した、

真ん中の車輛が選ばれた。)


その様な状況の最中、

管理者である仙台市交通局が先日、

来年令和06(2024)年に導入予定の、

地下鉄南北線の新型車輛が、小学生等にお披露目された。

地下鉄南北線は、車輛の老朽化が著しく進んだ事から、

来年の秋から順次新型車輛に順次切り替わる予定で、

今年の09月に最初の1編成が、

山口県の工場から到着していた。

新しい車輛に愛着を持って貰おうと、

仙台市太白区の富澤車輛基地で、

地元の小学生を招いて内覧会が行われた。


(地下鉄南北線の新旧車輛の揃い踏み。

左側は新型車輛である3,000系。

右側は現在の車輛である1,000系。)

〔地下鉄南北線 冨沢車輛基地〕



(地元の小学生を招いて新型車輛の閲覧会が催された。)



(新型車輛、3000系の内部。)



(新型車輛の座席部、杜の都の欅並木をイメージ。)



(乗り心地を確かめている、参加した小学生達。)



新しい車輛は従来のデザインを継承しつつ、

ライトを前面の緑のラインと一体化させる事で、

進化したイメージを演出した。 

因みに座席シートは、

仙台の象徴である欅(けやき)の葉と木漏れ日をイメージし、

仕切りは木目調にガラス扉には、

仙台市縁のモチーフがプリントされていて、

仙台市らしさが詰まった車輛に成っている。

また床を低くしてホームとの段差を小さくした他、

全ての車輛に車椅子用のスペースを設置する等、

寄り安全で快適な車輛に施した。

また車輛の外装は、地下鉄東西線で使われている、

2,000系車輛と同様に非塗装系のステンレス車輛となる。

児童からは 「新しさと使い易さが融合していて、

凄く良い車輛だなと思いました」 「色も違っていたし、

市民の人達の事を考えて作ってくれてるなって思いました」 と、

実直な感想意見が飛び交ったと言う。


(地下鉄内覧会に参加し、郡和子仙台市長と共に、

記念撮影に収まる小学生達。)



更に11月26日の未明には新型車輛の試運転が、

報道関係者に公開された。

営業運転が終了した後の、

深夜01:00前に泉中央駅に到着したのは、

地下鉄南北線の新型車輛に中る3,000系がそれである。

新型車輛の試運転は、11月上旬から行われていて、

この日はカーブ(曲線)を走行中に車輪に掛る、

負荷等をチェックしたと言う。

仙台市交通局の車輛課の担当責任者に因ると、

「床とホームの段差が小さく成って居たり、

防犯カメラが付いて居たりと、

快適性や安全性が向上して折りますので、

ぜひ期待して待っていて頂ければ…。」 とこの様に語った。


(仙台港に陸揚げされ、その後護衛されながら、

陸路で新型車輛が慎重に時間を掛けて、

冨沢車輛基地へ運ばれた。)



(地下鉄南北線の新しい顔となる3,000系の運転席。

地下鉄東西線と同様に計測機器関連は、

全てデジタル表示である。)



(営業運転終了後に、起点に中る泉中央駅で、

報道関係者を集めて、新型車輛がお披露目された。)



(新型車輛に伴う、行先表示のサボ。

バックの緑は、仙台のイメージである、

杜の都=緑を表している。)


因みに新型車両は来年06月まで試運転が行われ、

年明け02月頃からは日中に走行試験を始める事にしていて、

時間帯に因っては、1,000N系と3,000系の両方の、

新旧車輛を見る事が出来そうだ。

来年の秋に導入される予定に成り、

令和12(2030)年度に掛けて、

合せて22編成の導入が予定されて折り、

仙台市交通局は 「利用者の期待に添える様に、

着々と準備をして行く」 とこの様に語った。

開業から既に来年で37周年を迎える仙台市地下鉄。

東北初の地下鉄として営業運転を初めてから、

3年後には40周年を迎える事になる。

昭和~平成~令和と繋いで来た第1期に活躍して来た、

通称1,000系と呼ばれる車輛。震災と言う危機を乗り越え、

次世代型である3,000系車輛へ順次バトンタッチされる。

第2期となる3,000系車輛。

令和新時代に相応しくこれから杜王町の地に、

どの様な息吹を利用者に吹き込んで行くのか…。

年明け後のお披露目のカウントダウンは、

着実に進んでいると言えそうだ。


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【動画関連】

『仙台市地下鉄の新型車両 夜の街を陸路で大移動』

https://www.youtube.com/watch?v=hijoA_THmf8

『仙台市地下鉄南北線新型車両の試運転』

https://www.youtube.com/watch?v=PRJIHCbzJ0w
『仙台市地下鉄南北線・3,000系車輛内覧会』

https://www.youtube.com/watch?v=K_de5z2Qe9U

《仙台市交通局 ホームページ》

https://www.kotsu.city.sendai.jp/
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JG7MER / Ackee