国鉄民営化とは何だったのか?鉄道省から国鉄へ 第10話 | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

公共企業体の国鉄の名称は?もめた、国鉄命名までの話

公共企業体の国鉄誕生までは、山川三平氏の「桜木町日記」にその辺の事情が書かれており、参考にしながら綴らせていただこうと思います。

さて、桜木町日記の、「泡食ったコボの誕生」を参照しますと、日本国有鉄道法を作る段階になって、国鉄の正式名称をどうするか、一番最初に問題となったそうです。

心情的にも、役人になりたくて国鉄に入ったのに、役人から離れるのは嫌だといった声もあったりして、如何にも役人らしき名前が欲しかったという意見も有り、「国鉄公社」という名称は嫌だと言うことから、「日本国有鉄道公共企業体」といった名称ではどうかといった案もあったりして、中々決まらなかったそうです。

結局、日本国が経営する鉄道ではなく、「日本国が保有する」鉄道と言うことで、日本国有鉄道ではどうかという意見が出て、あっさり決まったそうです。
当時は占領下ですので、GHQの認可がいるため、そのお伺いを求めたところ、
日本語の意味はよく判らないが、Japanese National Railwaysは大いに結構ということで、すんなり決まったそうです。
ちなみに、運輸相時代の英語名称は、Japanese Goverment Railwaysでした。
このようにして、最初の関門はすんなりと、「日本国有鉄道」(Japanese National Railways)で決まったそうです。

 

ただし、国会の審議では、もっと民営化した形にしろという意見が出たりしたそうで、(その辺は今後、議事録などを探してみる必要がありそうです。)す、さらに、国会では、「日本国有鉄道公社」にしろという強硬な意見も有ったそうですが、GHQ内の運輸局が、Japanese National Raikways Coporationは、英語では長いから不要であるとして。原案通りに国会を通過したと桜木町日記には書かれています。

 

結果的に政治の介入を招くこととなる仲裁及び裁定

これにより、日本国有鉄道法作成に際して、一番問題になったのは、仲裁及び裁定の効果をどこまで持たせるか否かで政府とGHQの間でもめることとなったそうです。
GHQ側は、仲裁決定は最後であるとして強硬に主張したのに対して、運輸省側では総裁の権限が制限されている中で、それは無理であるとして議論は平行線となり、採取駅には国会の議決を要するものについては、議決を条件とするという一条を入れて、仲裁自体が国会の協賛を得ることとするという仕組みにしてしまいました。

当時の考え方としては、国鉄が総裁の権限で自由にさせようにも予算を国が抑えていると、身動きが取れなくなるという親心からだったと思いますが、結果的には、賃上げ等、予算を要するものは議決を要することとなりました。
この結果、賃上げなどで、仲裁裁定がでても、国会の審議を経ないと支払えないという結果となってしまいました。

運輸評論家の有賀氏は、国鉄の最初の仲裁裁定が完全実施されていたら、日本の労働運動も変わっていたかも知れないと書かれていましたが、一番生活も厳しかった混乱期に、国鉄が独自の予算を持って、総裁の裁定で賃金を決定していたら、案外国鉄の労働運動は左傾化することは無かったかもしれません。

国鉄が引き継いだもの、残してきたもの

運輸省(鉄道省)時代には、国鉄は実は道路行政と鉄道、更に観光開発を所管しており、現在は車検などでお世話になる陸運局も鉄道省が所管していました。
他にも、観光地の開発ということ直接ホテルの経営などにも携わっていました。
東京ステーションホテルや奈良ホテル等を運営していたのはご存じの通りかと思います。

ということで、観光開発と、ホテルの経営など、並びに陸運局の道路行政は運輸省に残して、国鉄は鉄道総局だけが独立した形となりました。

なお、国鉄発足に際し国鉄に残されたのは、鉄道総局だけとなったのですが、分離することとなった運輸省はどうなったのでしょうか?

 

運輸省は、国鉄の庁舎を間借りすることに

実は、運輸省は国鉄が発足後も引き続き、旧鉄道省庁舎に間借りすることとなりました。

分離した、日本国有鉄道が家主で、分離した運輸省が借主という主従逆転したようなスタイルでした。

実は、ここにもGHQの関与があったそうです。

桜木町日記には下記のように書かれていますので、早速引用してみたいと思います。

 

亦これと同時に有田氏が出した国有鉄道の庁舎だけは運輸省に渡すという案も国鉄の財産を政治家の犠牲にしないという軍の方針によって却下され運輸省は無料で国鉄の建物を借りると言うことで話がついた。

と書かれているとおり、国鉄の庁舎に間借りする形で運輸省は発足することになりました。

運輸省が、国鉄本社から離れるのは、昭和41年に建設された、中央合同庁舎第3号館に移転するまで、国鉄本社に間借りする形となっていました。

 

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日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代

 

 

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