【旧 八月十日 大安】白露・玄鳥去(つばめさる)

命あれば昆陽《こや》の軒ばの月も見つ又いかならん行末の空
  ~後醍醐天皇 『増鏡』

命があったので、昆陽の宿の軒端に射す月も観ることができたが、行く末はどうなるのだろうか。

 鎌倉幕府を倒し、建武の新政を行った後醍醐天皇は1339年9月19日(延元4年8月16日)に50歳で崩御されています。今から679年前の今日のことです。この短歌は倒幕に失敗した元弘の乱後、幕府軍に捕らえられ、隠岐島へ配流される途上、摂津の昆陽野(兵庫県伊丹市)の宿で詠まれたものです。翌年名和長年の手引きで隠岐島を脱出し、足利尊氏、新田義貞等の味方を得て鎌倉幕府を滅亡させるに至ります。

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Photo:隠岐島から脱出した後醍醐天皇がたどり着いた御来屋港(名和の湊)に残る後醍醐天皇腰掛岩(鳥取県西伯郡大山町)

 ところが、天皇の行った建武の新政は武士、公家、寺社、庶民などあらゆる階級から不満が続出し、たった2年で破綻。結局離反した足利尊氏の軍に追われて吉野朝廷を開き、南北朝時代を迎えることになりました。

芳野の行宮にてよませ給ける御歌中に
ふしわびぬ霜さむき夜の床はあれて袖にはげしき山おろしの風
  ~同 『新葉和歌集』 巻6-0461 冬歌

辛くて眠れぬ霜が降りるような寒い寝床は荒れ果てて、袖に激しい山颪の風が吹き付ける。

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Photo:南朝の中心地となった金峯山寺《きんぷせんじ》(奈良県吉野郡)

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