Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

秋の風

2018年10月18日 10時51分33秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日よりもさらに雲が少なく、秋の柔らかい陽射しと適度な風が気持ちいい。台風24号の風と塩害でケヤキの葉がだいぶ少なくなってしまった。しかしこれがかえって大気の明るさを見せてくれる。ケヤキの剪定の予定はあるが、その前に風通しがよくなった。散った葉を翻す乾いた風が、音と一緒にベランダから部屋に入ってくる。小鳥の声も続いてくる。
 サクラも台風の影響で早めに葉が落ちてしまい、花が咲いているものがあると報道されていた。さっそく来年の花見は「大丈夫か」という声が出ているらしい。わずかな花でサクラ全体が来年春の開花が少なくなるほどエネルギーを使い果たすとも思えない。杞憂が多すぎる、というか、テレビ「解説者」のしたり顔・ものしり顔の「ご高説」にはあきれる。
 残念なのは、ベランダから見える紅葉が今年は葉が少なくなってしまい、楽しめないこと。

★吹きおこる秋風鶴をあゆましむ      石田波郷
★髑髏みな舌うしなへり秋の風       高橋睦郎


第一句、中学生のころ国語の先生が、B4のわら半紙に明治以降の近代俳句を目いっぱい並べて配布してくれた。どの句も気に入った。散文も韻文も気に入ったものは出来るだけ「声に出して読むこと」と「書き写すこと」を教わった。いつの間にか、気に入ったものが頭の中に自然に住み着くようになった。その住み着いた句のひとつにこの句がある。やはり釧路失言の鶴の仕草のテレビ放映の画面と重なって頭の中に住み着いている。
 第二句、これは教科書にも、教師が配布した句にも掲載はなかった。確かに髑髏それ自体は表現という行為はしない。しかし存在そのものによって雄弁にさまざまなことを語っている。それを聴くことのできる人はごくわずか。舌という当たり前のような表現手段を失っても、人は何かを語り続ける。それには「秋」の風でなければ伝わらないのだ。

 11時前に近くの眼科に行く予定。薬代で五千円札が1枚消えてしまう。月に1度とはいえ、きびしい金額である。
 


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