Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「モラトリアム」とは‥

2020年02月25日 21時40分42秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 横浜美術館の講座の中止の連絡ハガキが届いた。労働組合の中央行動も中止の通知が届いているとのこと。
 私たちの単組もいろいろと判断を迫られているのかもしれない。私どもの退職者会も泊り込みの勉強会や、組合の会館での会議、イベントもそのまま実施するのか、悩みどころなのだろう。みんな自分のところから感染者を拡散させたくなどない。

 退職者会の新聞の編集作業が一段落したら、当然にもどこか美術館をまわりたかった。来週にでもそんなことがしたかったのだが‥。

 さて昨晩、「本日は新月」の記事で、「砂を噛むような3~4年間を耐えて「卒業」」という表現をした。この文字通りこの「砂を噛むような3~4年」を、私は何もしないで過ごしたわけではない。
 20代初頭のこの無為の数年、「砂を噛むような忍耐」を私〈たち〉は十分に耐えることをまず学んだと思う。学生時代が人生の「モラトリアム(猶予期間)」だとしても、それが「楽しい」時間なのか「苦しい」時間なのか、ともに存在するものだということを知った、ともいえる。

 私はこの「卒業」までの3年間、授業は「砂」どころか「大きな砂利」を強引に口の中に詰め込まれたような気分で講義を受けた。高校時代あんなに好きであった天文学や地球物理学のことに身が入らず、ただただ「就職する」ための「卒業」と割り切って最低限の時間だけ教室に通った。同じ研究室に配属された友達も多分似たようなものだったと勝手に思っている。まるでやる気のない学生に指導教官も辟易としていたと思う。
 私はひたすら他の勉強をした。戦後文学や戦後思想で興味のある人の著作を探し求めて読み漁った。このときの読書なり、探求が今の私の骨格を作ってくれたと思う。
 さらに、学校に世話にならずに就職できる方法として地方公務員の「事務職」を探し出し、就職試験のための参考図書や法学部の行政法の教科書を一人で読み漁った。「実利」に徹した読書もした。おかげで何とか採用試験に受かり就職はできた。

 「砂を噛むような」3年間をどう耐えるか、耐え方が今の私を作り上げているといって間違いはない。そういった意味では真の「モラトリアム」期間であったと思う。自分を探し、自分で自分を鍛えた時間を作ってくれたあの「紛争」とそれをもたらした「ひどい大学」に反面の「感謝」である。



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