武蔵野線に乗っている。
旅のお供にと持ってきたゲームボーイや本を放り投げて、俺は電車で寝まくっている。武蔵野線だけでも1時間丸ごと乗っていなくてはならないので、これはちょっとした小旅行である。3度目の目覚めは、“なんとか浦和駅”だった。
浦和は…
南浦和
東浦和
武蔵浦和
西浦和
と、浦和が付く駅がガンダムシリーズのようにひしめいている。ビッグシティーの浦和を冠に付けたがるのは分かるが、この街は広すぎる。ビッグシティイズアロンリープレイスだ。他県の人間からしたら、ほとんど見分けがつかんのだ。それに比べて船橋は分かりやすいぞドンチューノー。
船橋
京成船橋
西船橋
東船橋
南船橋
新船橋
船橋法典
船橋競馬場
船橋日大前
千歳船橋
ほら、うぬぼれないでもどの辺にどの“なんとか船橋駅”があるか一発で分かるだろドンチューノー。
おっと話が逸れたな。
まぁ、だけどこの“なんとか浦和駅”が来たら、いよいよ埼玉軍の勢力圏内中枢。ジオン訛りを消して、眠らずに目を覚ましておいたほうがいい。俺は代わり映えのない浦和シティを車窓から見ながら、1時間にもおよぶ電車の旅を終わらす支度をしていた。そしてオレンジ色の車輌は、いよいよ東京都にある新秋津駅へ滑り込む。
新秋津駅で西武池袋線秋津駅に乗り換えて、秋津駅からひと駅新宿寄りの清瀬駅で降りる。人生初の清瀬駅下車。実は2年前まで清瀬市という市が東京にあること自体知らなかったのだ。聞いてもてっきり綾瀬の親戚かと思っていたのだが、同じ東京でも清瀬と綾瀬ではあさっての方向ほど違う。そんなつい最近知った街に、かのイイカツさんから呼び出しを喰らった。
説明しよう。イイカツさんとはもともと日本一の発行部数を誇るクルマ雑誌の元エース編集者で、会社と反りが合わずに退社。のちにご実家の農地を継いで豪農を繰り広げていらっしゃる地元の名士なるぞ。頭が高い。
そんなイイカツさん曰くなんでも凄い食堂があるらしく、そこを経験しないと西東京の居酒屋は語れないというのだ。ちょうど船橋市民写真展入賞記念にSONYのα7というカメラを買って、趣味の写真を復活したばかり、1時間前に来てマイファースト清瀬を激写しようとおもっていたのだが遅刻して15分しか撮影時間が無くなっていた。
清瀬駅に着き、まずはカメラのレンズをライツの50mmF3.5エルマーから、宮崎光学のテッサー35mmF3.5に交換をした。実はクラッシックなデザインのエルマーは電車用で、首から下げるファッションなのだ。このレンズで写真は撮らない。
▼ファッション用レンズ
写真を撮る画角はなんとなく35mmに決めている。通常、人間の自然な視界は画角50mmと言われている。俺はその50mmから1歩半ほど退(ひ)いた画角35mmを常用している。駅を歩いてるとすぐに目的地の食堂を見つけてしまった。しかもすでに8人ほど並んでいる。さらに言うと秋津にある有名な立ち飲み屋「野島」の常連さんたちがトップで並んでいた。今日はこの人たちと合流して飲む予定なのだが、間(あいだ)に入ってくれるコーディネーターのアイカツさんがまだ来ていないのでバツが悪く、しれーっと素知らぬフリをして前を通り過ぎ、駅前商店街をただ真っ直ぐつき進んだ。
商店街が寂しくなる辺りでUターンし、もう一度食堂の前をしれーっと通り、イイカツさんを迎えに清瀬駅に戻った。途中のロータリーでイイカツさんとバッタリ会い、トウモロコシを4本もお土産にいただいた。
さて、2人して清瀬を闊歩する。地元の名士イイカツさんを得た俺は、ドラクエ4でいうと戦士ライアンを味方につけたようなもんだったが、食堂は駅チカなのですぐにその効力は失われた。
店先で行列のトップ1、2、3、4を守っていた野島の常連さんは、まるで87年F1でのホンダが1位から4位まで独占したイギリスシルバーストーンGPを彷彿させた。我々2人はするするっとそのスターティンググリッドに合流。そして開店時間を迎えやっとこさ入店にこぎつけた。
店の名前は「みゆき食堂」という。
吉田類の酒場放浪記や孤独のグルメに取り上げられた有名店だ。
野島の常連のみなさんが、さささと小慣れた感じで席をキープ、ビギナーな小生は8人テーブル席の真ん中辺りに座らせていただいた。
着座して周りを見渡すと壁面には目まぐるしいほどのメニューの短冊。
見る短冊、見る短冊、全て食べたくなる。
イイカツさんが瓶ビールを頼んでくれたので、そいつをコップに注ぎ、グイ、グイと流し込んだ。コップの滞空時間は長め、ブライト艦長なら
「ア、アムロ。ガンダムが空中戦をやっています」
「ああ、あいつのいいところだ。ふさぎこんでいても戦いのことを忘れちゃいなかった」
と言わせただろうにイイカツさんは自分のグラスに丁寧にビールを注ぐのに一生懸命である。そして、みんなが頼むもやしと肉のピリ辛炒めやモツ煮など、お皿が回ってくるので、食べさせていただいたが、どれも味付けが絶妙にしょっぱこくて本当に美味かった。
ライスをお供にもつ煮をかっ込む常連さんの佇まいはまっこと美しかった。あ、ただし量が多いので、グループで来てシェアするのがいいかと。
野島の常連さんたちに、オススメの酒を聞くとみんな揃って「ウーロンハイ」と答えた。俺はあまりウーロンハイを好まないが、号にいれば剛に従えの精神でウーロンハイを頼んだ。
皆さん口々に「ここのウーロンハイは濃い」だの「ここのウーロンハイはヤバい」だの「4杯飲んだら致死量」だの言うのでビビりながら一口飲んだ。確かに濃ゆいのだが、そこまで大げさなもんではなかった。俺もあちこちの東東京の居酒屋を放浪しているので、鍛えられたんだなぁなんて思っていた。
ところがどっこいである。
西東京の雄はそんなにイージーな店ではなかった。おかわり2杯目の最初の一口を飲んだ瞬間にくる身震い。カラダが拒絶する感じ、間違いなく濃ゆすぎる。もはやウーロンハイの烏龍は福建省かどっかにいっちゃって、ハイしか残っていなかった。そのハイもミルコの左ハイのごとく側頭部にくるヤツだ。
俺のブルルルに野島の常連さんたちは嬉しそうに笑っていた。
場は濃ゆいハイとともに
盛り上がりに盛り上がった。
すると後ろの見知らぬお爺が「もう少し静かにしてくれない?」と言ってきた。確かに我々はウルサイが船橋加賀屋なら小さい方の喋り声だと思う。でも野島の常連さんたちは、ちゃんとそのあと声のボリュームを落としていた。やっぱ野島の看板背負って「みゆき食堂」に来ているのは伊達じゃないんだなぁ。
3杯目のウーロンハイはさらに濃ゆかった。いよいよ致死量に近づいている時に野島の常連さんたちが2階に上がろうと言い出した。おいおいチョイの間まであるのかと思いきや、みゆき食堂はカラオケスナックも営業しているという。こりゃ面白いと一緒に参加させていただいた。
気がつくと地元麗しの女性とロンリーチャップリンを歌っていた。しかし、この曲でタイムオーバーである。エディパンのスタジオがあるので俺だけ17時を過ぎた辺りでマサラタウンにさよならバイバイして、清瀬駅から西武新宿線に乗り込んだ。
ぼーっと路線図を見ながら帰りのルートを考えていると、次の駅が保谷であることに気がついた。保谷といえば煮干し系中華そばの元祖、永福町系大勝軒で一番美味しいとされる、あの保谷大勝軒があるではないか。俺はベロベロに酔っ払っているが、この酔いきったカラダが煮干し系スープによって軽減されると信じて電車を飛び降り、保谷大勝軒に向かった。店はスープ切れなのか知らんが暖簾が下げられクローズド状態だった。
泥酔のまんま打ちひしがれた俺は重い体を奮い立たせ、もう一度保谷駅に向かった。
そっからどう帰ったか覚えていないが、無事に千葉に着き、スタジオまでふらふらになりながら歩いた道すがらである。ふっといつも通るラーメン屋の大勝軒に「煮干しラーメンはじめました」風の張り紙が出されていた。
こ、これはレアだ。東池袋系の大勝軒が煮干しをやるとな!
これはマクドナルドでロッテシェイクを出すようなもんだぞ。違うか。
面白きことに目がない俺はスタジオ練習の時間も気にせず、とっとと富士見大勝軒に入った。もちろん食券機から煮干しラーメンをチョイス。初々しさの残る高校生らしき店員の女の子は、俺をカウンター奥に案内してくれた。2時間も電車に揺られて千葉まで帰ってきたのだが、ビタイチ酔いが覚めてない。むしろ酔いが増してきたような気もする。お冷をお代わりして飲み干した直後に…
着丼!
まずは気になるスープをいただく。永福町系大勝軒のようなえぐみのある煮干しではない。仄かに香る程度の煮干しスープ。煮干しと節系がブレンドされた感じだ。麺もつけ麺用とは違ってやや細い。
まぁ、美味い。悪くはないのだが、毎週ここを通る俺を誘惑してくるようなラーメンではなかった。俺がイナズマー!と木村健悟ばりに叫ぶぐらいじゃないとダメなのだ。
ツルッと完食し、お冷をぐびぐびっと飲み干して店を出た。
スタジオ練習は満腹と酔いに負けて、腹を出して寝ながら演奏した。
長い長い一日だった。