シャムキャッツ『はなたば』(EP)感想&レビュー | とかげ日記

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【日記+音楽レビューブログ】音楽と静寂、日常と非日常、ロックとロール。王道とオルタナティブを結ぶ線を模索する音楽紀行。



●豊かな音楽だが刺激がない

甘い歌声とサイケ寄りの陶酔的なギターポップサウンドが特徴の2007年結成の男性4人組バンド。邦洋の様々なジャンルを咀嚼した豊かで逃避的な音楽を鳴らす。2010年代前半に離合集散した東京インディーシーンの重要バンドだった。優しく囁きかけるようなボーカルと、楽器隊の洗練されたハーモニー。USインディに影響を受けたこのユルさがたまらなくクセになる。

……とここまで賛辞の言葉を述べたが、歌詞はシティポップにありがちな、当たり障りのないことと曖昧なことしか言っていない歌詞であり(このEPで1曲だけ書いている菅原慎一さんの歌詞は少し違う作風だけれども)、菅原さんの書いている「我来了」を除いてメロディにもサウンドにも即効性はない。(菅原さんの書く曲数を増やした方がもっと僕の好みだっただろう。)

彼らの音楽が豊かであることは間違いない。だが、僕が求める音楽は、摩擦や軋轢を恐れない音楽なのだ。彼らは言い過ぎることや歌い過ぎることを躊躇し、恐れてしまっている。淡い青春のロスタイムが永遠に持続するような緩やかな多幸感を求めるリスナーに愛される訳も分かるが、もっと刺激が欲しいと思ってしまう。

シャムキャッツのメンバーは世の中のことに興味があるのかな? 音楽で日常を描いているけれども、それは社会から分断された日常であると思う。社会性のなさがソフトサイケでギターポップな音楽性とマッチしている。音楽的なルーツはあっても、社会的なルーツはない音楽だ。人種やジェンダー的なルーツと向き合うアメリカ音楽とは対照的な音楽である。

音楽性をファッション、社会性を足元とすると、幽霊のように辺りを漂うシャムキャッツの音楽。それこそ、シティポップという言葉の抱える空洞とリンクするのだろう。俗に使用されるシティポップという言葉はシティでもポップでもない、単にオシャレな音楽(中身は空っぽ)を指しているのだから。

シャムキャッツの音楽は、「何がいいかな迷っているうちに日が暮れ」るような出口のない淡い日常を描いているけれども、それよりも僕はドラマとカタルシスが欲しい。永遠の楽園よりも刹那の地獄なのですよ。エデンの楽園で知恵の実をもぎ取るような辛辣さと勢いが欲しいです。

だが、その可愛らしい音世界が人気なのもうなずける完成度の高さがある。聴けば聴くほどに良い。思想は合わないけれども、耳は合う音楽だ。社会との摩擦や軋轢に疲れ果てた時、僕はそっと彼らの音楽を再生するのだろう。緩やかな下り坂を自転車で駆け抜ける時の風のような、弱々しくも爽やかで心地良い彼らの音楽を求めて。

★2019.11.11.追記★
「シャムキャッツの歌詞や態度に社会性がある」とブログのコメントで指摘を受けました。「大きな物語」から逃避して生活に密着する姿勢が僕には社会性がないように思えたのです。大森靖子など言葉を通じて社会を変えようとしているアーティストと比べると、 自分たちだけのユートピアに閉じこもる姿勢が社会とコミュニケーションを取っていないように感じられました。しかし、シャムキャッツの姿勢もオルタナティブの一つの尊いあり方だと僕は思います。

Score 7.2/10.0