うらにしを旅する(2)~東京と丹後・但馬路を結ぶWILLER EXPRESSと大阪行かに王国号~ | ごんたのつれづれ旅日記

ごんたのつれづれ旅日記

このブログへようこそお出で下さいました。
バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

鍛冶橋通りとは、東京在住でなければ聞き慣れない名前かも知れないが、皇居の二重橋から有楽町駅の北側を抜けて下町の永代橋までを結んでいる。
平成3年に西新宿2丁目に移転するまでの旧東京都庁が面していた通りであると言えば、ああ、と懐かしく思い出す人もおられるかも知れない。

東京府と東京市が統合されて東京都になったのは太平洋戦争中の昭和18年のことであり、旧都庁舎が丸ノ内3丁目に完成したのは昭和32年である。
鍛冶橋通りは何度となく行き来している筈なのに、写真で見れば真四角で堅実な外見だった旧都庁舎を、意識して眺めた記憶はない。
それだけ、周囲のビル街に溶け込んだ佇まいだったのだろう。


鍛冶橋の名は、外堀通りと鍛冶橋通りの交差点付近の地名から採られている。
戦後になって埋められてしまったが、JR京浜東北線・山手線の線路と外堀通りの間には江戸城の外堀が掘られ、鍛冶橋御門に渡る橋が架かっていたという。
官庁街・オフィス街である周辺地域は、夜ともなれば人通りも絶え、林立するビル群の明かりも減って、顔を見分けることさえ難しいような暗く物寂しい雰囲気に包まれる。
ところが、繁華街があるわけでもないのに、人々が群れを成して向かう不思議な一角がある。
照明の輝きで闇の中に浮かび上がる不夜城のようなその場所は、鍛冶橋駐車場である。


平成30年6月の土曜日の夜、僕は東京駅の京葉線へ乗り換える長い地下通路をくぐり抜けて、鍛治橋駐車場に向かった。
鍛冶橋駐車場は、京葉線地下ホームの真上にある。
京葉線東京駅は何回か利用したことがあり、有楽町駅と名付けた方がまだマシなのではないかと思うような位置なのだが、地上に出たのは初めての経験だった。
別に車を駐めている訳ではない。
一般車が駐車できるスペースがあるのかどうかは知らないけれど、ここは長距離高速バスのターミナルとなっているのだ。
数百m北側にはJRバスの東京駅八重洲口バスターミナルがあり、外堀通りを挟んで東京空港交通や京成バスの乗り場も置かれているが、鍛冶橋駐車場は、かつてのツアー高速バスを運行していた会社が多数乗り入れている。


「本日は鍛冶橋バスターミナルを御利用下さいましてありがとうございまーす。はーい、バスが入りますので、しばらくお待ち下さーい。もう1台入りまーす。そのままお待ち下さーい」

良く通る声の、場違いなほど陽気な警備員さんに導かれるまま、場内に足を踏み入れると、簡素な造りではあるものの大きな待合室が設けられて、中も外も大きな荷物を携えた利用客で溢れかえっている。
あたかも祭に参加しているような熱気と不思議な高揚感が醸し出されて、僕は賑やかな大規模バスターミナルの雰囲気が嫌いではない。
待合室は駐車場の東隅に建ち、南の塀際には乗り場を兼ねた屋根付きの通路があって、派手な塗装を身に纏ったバスが、通路と直角にバックで入線する。
案外奥行きがあって、待機場とは別に、14台のバスがいっぺんに乗降扱いが出来るスペースが確保されている。
通路の入口に立てられた電光表示板にはぎっしりと出発便が書き込まれ、10分おきに5~6便程度は発車していくようであるから、なかなかの発着本数である。


この夜に僕が利用するのは、21時20分発のWILLER EXPRESSの夜行高速バスP6321便城崎温泉行きだった。
品川と舞鶴を結ぶ夜行高速バス「シルフィード」号に乗ってから四半世紀ぶりに、丹後地方を再訪することになった理由は、平成30年1月に登場したこの新路線に乗りたかったからということに尽きる。

全国津々浦々を結ぶ長距離高速バス網もほぼ飽和状態となって、既存の運行区間に重ねて競合路線を登場させることはあっても、それまでバスが走っていなかった地域に新たな路線がデビューすることは、稀になってしまった。
昭和の終盤に始まった息の長い高速バスブームで、新規開業路線に乗って初見の土地へと向かうことに無上の楽しみを見出してきた者としては、寂しい限りである。

だからこそ、東京と丹後・但馬地方を結ぶ夜行高速バスの登場は、久々に心が踊った。
途中停車駅の福知山には「シルフィード」号も立ち寄るけれど、その先の宮津、天橋立、豊岡、城崎温泉に向けて東京からの定期直通バスが走るのは初めてのことで、僕にとっても未踏の地である。


この路線を運行するのが地元のバス事業者ではなく、WILLER EXPRESSであることも意外だった。

今でこそ厳しい規制を受ける高速乗合バスとして、路線バス事業者が運行する高速バスと同じ扱いを受けているが、ツアー高速バスは、路線バス事業者がコツコツと開拓してきた流動の豊富な区間を選ぶように後から参入し、競争を激化させてきた印象がある。
ネットでの予約方式や季節変動性の運賃、居住性の良いシートの開発など、古い概念にとらわれない柔軟な発想には脱帽するけれども、油揚げをさらっていく鳶のようなイメージを拭い切れない。
何よりも、自社エリアの地域とともに歩んできた路線バス事業者に求められる地元住民の利便性を図る公共性より、単なる儲け主義が優先して、利益が出なければ簡単に撤退してしまうような安易さが見え隠れしている気がしてならなかった。
もちろん、地方の観光バス事業からツアー高速バスに手を伸ばした事業者の中には、真摯に地元の発展に力を尽くしている例も少なくないことは承知しているけれど、ツアー高速バスを運営する事業者には、地域性が感じられないものも少なくない。
だからこそ、価格競争に流されて安全性への投資が疎かになり、数々の悲惨な事故を起こすことになったのだと思っている。


WILLER EXPRESSも、全国に展開している数多くの路線は既存の路線バス事業者が開拓した区間への割り込みばかりではないか、と思い込んでいた。
ところが、今回登場した東京-城崎温泉間高速バスは、地元のバス事業者が手を出さなかった区間である。
同社のHPには、次のように書かれている。

『WILLERは、2015年より北近畿地域で沿線114㎞5市2町を結ぶ地域の基軸交通となる「京都丹後鉄道」を運行しており、さらなるこのエリアへの長距離交通や地域内交通の利便性向上を目指し、2018年から先進的な交通サービスを段階的に展開していく計画です。
そのスタートして、今回の東京と北近畿を結ぶ高速バスの運行を開始します。
北近畿エリア(丹後・但馬エリア)は関西では人気のある観光地で、日本三景の1つでもある「天橋立」や1300年の歴史を持つ湯治場として志賀直哉など文豪に愛された「城崎温泉」があります。
今までは東京から直接繋ぐルートがなかったため、新幹線と在来線または飛行機とバスを乗り継ぐ必要があり、訪れるためには時間がかかったり、疲れてしまったりという課題がありました。
今回の路線開設により、そういった課題を払拭し、東京から出発し寝ている間に観光地に到着できるので、移動時間を効率的に利用することが可能になります。
シートタイプはWILLER EXPRESSで一番人気のリラックスシリーズ「リラックス《NEW》」と3列独立シート「コモド」を採用し、より快適に車内で過ごしていただけるようにしています。
東京と北近畿を結ぶこの高速バスは毎日運行し、初年度の2018年は年間2万人の乗客輸送を計画、お客様の声に応じてシートラインナップも増やしていきます。
今後WILLERは、先進的な交通サービスの提供を通じ北近畿エリアの交通の利便性向上とエリア全体の活性化を図ります』


京都丹後鉄道とは、かつての北近畿タンゴ鉄道で、日本海に沿って西舞鶴と豊岡を東西に結ぶ83.6kmの旧国鉄宮津線と、途中駅の宮津から福知山までを南北に結ぶ未成線だった30.4kmの宮福線を引き受けて、「タンゴエクスプローラー」などの楽しい観光列車を走らせたりしているものの、我が国の第3セクター鉄道の中では赤字額が最も大きいとされている。
京都府や兵庫県、沿線自治体から毎年4~5億円の補助金を受けて何とか維持されてきたが、膨大な赤字を解消すべく、平成25年に上下分離方式を前提とした運行事業者を公募し、応募した4社からWILLER ALLIANCEが選定されたのである。
バス事業者が国鉄の廃止路線を引き継ぐのは、青森県の下北交通に例を見るものの、北近畿タンゴ鉄道では、それだけ厳しい路線環境と評されたのであろうか、鉄道事業者からの応募は皆無だったという。

平成27年4月に、WILLER ALLIANCEの子会社であるWILLER TRAINSが、車両や施設を北近畿タンゴ鉄道から借り受けて運行する第二種鉄道事業者となって、京都丹後鉄道の名称で運行を開始した。
WILLER ALLIANCEの資本金は3000万円、売上高172億円と公表されており、その中の純利益が如何ほどであるのかは分からないけれど、下手をすれば共倒れになる可能性がないとは言い切れない。

WILLER ALLIANCEが、北近畿タンゴ鉄道を単なる投資の対象と目しているのか、それとも命運を共にするくらいの覚悟で参入したのか、評価が定まるのはまだ先のことであろう。
それでも、高速バスの収益で赤字ローカル路線を維持しているバス事業者の例も少なくないことから、人々がWILLER EXPRESSの都市間高速バスを利用すればするほど、丹後・但馬地方のローカル鉄道の維持に繋がる構図には、夢があるように感じる。


鍛冶橋駐車場の乗り場から21時10分発のバスが一斉に発車していくと、頃合いを見計らったように白地にピンク色のラインが入ったバスが駐車場に姿を現し、同時発車の他のバスの間にバックした。

「9番乗り場にWILLER EXPRESSの京都・丹後・但馬方面行きP6321便が入りました。御利用のお客様は9番乗り場にお越し下さい」

という場内アナウンスを聞きながら、通路にお尻を向けた各方面へのバスを横目に通路を進むと、乗り場で運転手さんが改札を始めている。
WILLER EXPRESSの予約は全てネットによるチケットレス、もしくはコンビニでの発券になっていて、送られてきた予約確認メールに記載されたURLを開くと、乗車券代わりの予約詳細メールが表示される。
列に並びながらその画面を開いて準備していたのだが、運転手さんは、

「お名前をおっしゃって下さい。はい、○○様……城崎温泉ですね。お座席は38番です」

と、座席表と照らし合わせながら氏名の確認を行っただけで、スマホには目もくれなかった。


乗り込んでみれば、車内の前方には横4列シートの「リラックス」席が並び、最後部の3列に、横3列独立シートである「コモド」が配されている。
何年か前にWILLER EXPRESSの独立シートである「リラックスワイド」を利用したことがあり、背もたれから座面、レッグレストまで継ぎ目のない一体感を感じさせる構造に、とても感心した記憶がある。
その頃には「コモド」という種別の座席はなかったが、横4列の「リラックス」席と組み合わせて配置されているバスが増えていることから、「リラックスワイド」を発展させた後継座席のようである。

「コモド」の座面の幅が55cm、リクライニング角度が143度、前後間隔が93cmという数字は、「リラックスワイド」の幅49cm、リクライニング角度140度、シート間隔92cmよりもグレードアップしている。
見た目は「リラックスワイド」と異なって、背もたれと座面、レッグレストがパーツごとに分かれているものの、接続部を意識するような段差を感じることもなく、座り心地は上々である。
個別に遮蔽カーテンが備わっているために、周囲を気にすることなく、ちょっとした個室感覚まで味わえる。
ただし、「リラックスワイド」に備わっていた顔を覆うキャノピーは、「コモド」にはつけられていない。
僕が指定されたのは右側最後部の席だったので、後ろに気兼ねすることなく背もたれを倒してくつろげることが嬉しかった。


定刻21時20分に発車した城崎温泉行きWILLER EXPRESS P6321便は、鍛冶橋駐車場を後にしてビル街の谷間を走り抜け、きついカーブを曲がって料金所に進入する構造の首都高速宝町ランプから、都心環状線内回りに入った。
車の波に揉まれるように一ノ橋JCTで2号線に分岐して、目黒ランプで再び地平に降り、目黒通りから山手通りに左折する。
大崎駅西口に併設された、平成27年12月開業の新しいバスターミナルで乗車扱いをするためである。

WILLER EXPRESSはここを新しい拠点と位置づけているようで、同社の青森、盛岡、仙台、新潟、金沢、長野、名古屋、大阪方面の昼夜行便が多数発着し、また成田空港経由芝山町行きの「成田シャトル」も大崎が起終点である。
小田急バスの秋田行き「フローラ」号や、中国バスが運行する広島行き「ドリームスリーパー」号、京浜急行と東急バスが運行する羽田空港リムジンバスも乗り入れている。
東京駅や新宿、池袋、渋谷、品川、浜松町に比べれば知名度は低いが、山手線や埼京線の駅と直結しているため、大きな荷物を抱えてバスに乗り込むには、鍛冶橋より遥かに便利である。

僕が大崎駅西口バスターミナルを初めて利用したのは、広島発の全席個室の豪華夜行高速バス「ドリームスリーパー」号から降り立った平成29年の春のことで、桜が満開のターミナルに人影はなく、警備員さんが手持ち無沙汰にバスを誘導しているだけであったが、この夜の城崎温泉行きのバスには十数人が乗り込んできて、8席の「コモド」は満席になり、残りの「リラックス」も7~8割がた埋まったようである。
僕の前席にも若い男性が坐ったが、遠慮して充分にリクライニングを倒さなかったのか、それとも前後の座席間隔が長いためか、圧迫感や窮屈さを感じることはなかった。


バスは山手通りにある五反田ランプから中央環状線山手トンネルに潜り込み、大橋JCTで高架の3号渋谷線に駆け上がって、一路東名高速道路へ向かう。
大橋JCTは常に渋滞していて、夜行高速バスの車内で、すっぽりと巨大な円筒に包まれた螺旋状の道路をもどかしい思いで過ごした記憶ばかりがあるのだが、この夜の混み具合はどうであったのか、とんと覚えていない。
どうやら、「コモド」の心地よさに、ことんと眠りに落ちてしまったようである。


次に目を覚ましたのは、鍛冶橋を出てから1時間半ほどで到着した海老名SAであった。
ここで20分ほどの休憩である。
WILLER EXPRESSの夜行バスには、トイレが設置されていないことが多い。
そのため、2~3時間おきの運転手交替の際に乗客も降りられるようになっているが、初っぱなの海老名SAでは、この後の休憩についてもこまごまと説明があり、就寝している乗客を気遣って照明をつけるだけで案内はせず、出発時刻は乗降口に掲げておくことなどが申し渡された。
ぐっすりと眠りたい客は、海老名で用足しを済ませなさい、ということであろう。

乗車時にはバスの後部しか見えなかったので、バスを降りると、フロントマスクの行先標示に「京都経由丹後・但馬」と書かれていることが、無性に嬉しい。


海老名SAに午後11時前後の到着とは、関西方面への夜行高速バスにしては早い頃合いで、広大なバス専用駐車場で羽を休めているバスの姿はそれほど多くない。
WILLER EXPRESS P6321便の京都駅到着は午前5時で、あと1時間もすれば、関西に午前6時から8時くらいに着く便がこの駐車場をびっしりと埋め尽くすのであろう。

平成24年に、東京駅八重洲口を22時40分に発車する大阪行きWILLER EXPRESSに乗車した時には、ずらりと顔を揃えた夜行バスの数に、度肝を抜かれたものだった。
当時は、まだツアー高速バス全盛の時代だったが、関越自動車道での悲惨な事故が起きたばかりで、その後に厳しさを増した安全管理面を中心とした規制に耐え切れず、少なからざる事業者が姿を消した。
あの頃より、高速バスは安全になったと言えるのだろうか。


バスは深夜の東名高速から新東名高速道路、伊勢湾岸自動車道、東名阪自動車道、新名神高速道路、そして名神高速道路をひた走る。
午前1時15分頃に到着した掛川PAで15分、3時15分に到着する御在所SAで20分程度の休憩があった。

掛川PAでは、減速の気配に目を覚まし、外で身体を伸ばした。
むっとする程の暑さだったが、湿気が少なく、べったりと空気が身体にまとわりつくようだった東京に比べれば、爽やかな感触である。
トイレと一服の後にバスに戻ると、舞鶴行き「シルフィード」号がWILLER EXPRESS P6321便の後ろに駐まっていた。
同じ方面へ向かうバスは似たような時間帯で運行されるのだな、と納得しつつも、バスを見るだけで、25年前の旅の光景が昨日のことのようにありありと脳裏に蘇ってくる。


次の御在所SAで、ぼんやりと薄まぶたを開けた時には、淡い照明が灯された車内に動く人影はなく、休憩時間がどれくらい残っているのか定かではなかったから、億劫になって降りることはやめた。

早暁5時に到着する京都駅八条口では、3分の2ほどの客が降りてしまい、車内が一気に閑散とする。
ざわつく気配で目を覚ましたけれど、そうか、「京都・丹後・但馬方面」と銘打っていても、乗客の主体は東京-京都間なのか、と思いながら、押し寄せる眠気には勝てず、またすぐに寝入ってしまった。
この日、京都から先の新規開業区間まで利用した客は10人程度であった。
1回だけの乗車体験で決めつけてはならないけれども、知名度や営業力の問題なのか、もともと流動が少ないのか、土曜日にしては少ない数で、これまでこの区間に高速バスが誕生しなかったのも理解できるような気がした。

城崎温泉や豊岡、福知山には、京都や大阪、神戸に直行する特急列車や高速バスが何本も運転されているけれども、東京への交通機関は山陰本線の寝台特急「出雲」が停車していただけで、それも平成18年に運行を取りやめている。
豊岡には但馬空港があるが、大阪便が1日2往復するだけで、東京便を持たない珍しいローカル空港である。
それだけに、WILLER EXPRESSの東京直通高速バスが開業した意義は大きいはずである。

この日の乗客の大半は若い世代ばかりのように見受けられ、高齢の客が見当たらないことが少しばかり気になった。
同社の座席予約方式の主力であるネット予約では、会員登録をする必要があり、そのような予約方法に抵抗のない客層ばかりなのか。
都市圏と地方を行き来する夜行高速バスに乗ると、必ずと言っていいほど、そのお歳で長時間乗車はお身体に障りませんか、と心配になってしまうお年寄りの姿を目にするものだが、そのような乗客はネットなどは利用せず、窓口で乗車券を買い求めることが多いのかもしれない。
丹後・但馬地方は、我が国でも特に少子高齢化と過疎が進んでいる地域の1つに挙げられている。
WILLER傘下となった京都丹後鉄道の窓口でバスの予約と発券が出来れば、もう少し地域住民の需要を掘り起こせるように思われるのだが、同社のHPにそのような案内は見当たらない。
もっとも、HPを読む限りでは、首都圏の人間を北近畿に呼び入れることに主眼を置いているようであり、このあたりが、地元で路線バスを運行し、エリア内に複数の営業窓口を持っている事業者の高速バスと、全国展開する元ツアー高速バスとの営業戦略の違いなのだろう。


こまめな休憩や早朝の降車停留所があるために、どうしても睡眠は断続的になるけれど、その合間は熟睡していたようで、京都駅の次に目を覚ましたのは、5時55分に到着した京都縦貫自動車道の京丹波PAであった。
明々と照明が灯され、前方のカーテンが開け放たれて、車内は本格的な朝を迎える。
運転手さんが15分間の休憩を宣言して、残っていた乗客が一斉に腰を上げた。
既に夏の陽は高く昇り、抜けるような青空がいっぱいに広がって、周囲の山々の緑との対比は、目が開けていられないほどの鮮やかさである。
山の斜面のところどころに背の高い竹がぎっしりと生え揃い、京都に来たな、と思う。
今日も暑くなりそうだった。

京丹波PAは丹波ICの北に位置していて、平成5年に舞鶴から京都・祇園行きの高速バスに乗車した時には、丹波ICと綾部安国寺ICの間は未完成だった。
京都駅を発車したバスが、かつての京都-舞鶴間高速バスと同じく西ノ京にある沓掛ICから京都縦貫道に乗ったのか、それとも京都南ICから名神高速に舞い戻って大山崎JCTで京都縦貫道に入ったのかは定かではないけれど、平成5年に乗車した「シルフィード」号が、中国自動車道まで足を伸ばして吉川JCTから舞鶴自動車道で福知山に達する大回りをしていたことを思い起こせば、京都北部の高速道路網の発達ぶりは隔世の観がある。


25年前の「シルフィード」号は、品川を22時15分に出発し、福知山駅到着は6時20分だったが、鍛冶橋を1時間ほど早く出たにも関わらず、京都駅に寄り道したからであろうか、WILLER EXPRESS P6321便の福知山到着は6時55分である。

そればかりではなく、丹後路に足を踏み入れたWILLER EXPRESS P6321便の歩みは、更に亀のように遅々として、舞鶴道と交差する綾部JCTの先の由良川PAで、7時35分から15分間の休憩時間が設けられている。
8時15分に到着する宮津駅を出たばかりの、道の駅宮津でも重ねて休憩が予定されている。
前夜に京都駅以降の運行予定の案内を聞いて、どうしてそんなに道草をするのだろう、その分城崎に早く着けば良いのに、と首を傾げたものだった。

ところが、但馬地方には、更に上手の高速バスが存在する。
丹後・但馬と首都圏を直結する地元バス事業者の高速バスはない、と書いたけれど、全但バスの「LimonBus」が平成29年8月に登場し、TDR・秋葉原と城崎温泉を結んでいる。
同社のHPには「但馬地域と首都圏を結ぶ初めての高速バス路線であり、両地域間を乗り換えなしで行き来できる唯一の交通手段となります」と誇らしげに記されているのだが、内実は、神姫バスツアーズから委託を受けて運行されているかつてのツアー高速バスに似た形態で、しかも隔日運行で、時刻表にも掲載されていない。
驚くべきは、その運行ダイヤである。

TDS 22:00-TDL 22:30-秋葉原 23:15-京都駅八条口 6:10-新大阪駅北口 7:00-三宮 8:00-加古川駅 9:00-姫路駅南口 9:50-和田山IC 11:28-但馬農高 11:42-日高商工会館前 11:57-豊田町(豊岡) 12:13-城崎温泉駅 12:32

城崎温泉駅 16:40-豊田町(豊岡) 16:57-日高商工会館前 17:13-但馬農高 17:28-和田山IC 17:42-姫路駅南口 19:20-加古川駅 19:50-三宮 21:00-新大阪駅北口 22:00-京都駅八条口 23:00-秋葉原 6:30-TDL 7:10-TDS 7:20

途中、海老名SA、遠州森町PA、土山SAで休憩し、京都・大阪・神戸・姫路を経由するために運行距離は745km、所要時間が14時間40分という我が国の高速バスでも最長の部類に入るため、上り便は日本で最も早い出発時刻となり、下り便の到着も午後にずれ込んでいる。


かつて、東京と長崎を結んでいたツアー高速バス「キラキラ」号下り便が東京駅を16時10分に発車し、上り便の東京到着が13時45分というダイヤを組んでいたことがあり、またオリオンバスの東京-博多線下り便の博多到着が12時10分という前例はある。
WILLER EXPRESSといいLimonBusといい、丹後・但馬地方の人々が高速バスで首都圏を行き来するには、九州発着路線なみの乗車時間を強いられる訳である。

福知山駅でまとまった数の乗客が降り、宮津駅でも数人が下車して、気づいてみれば車内に残っているのは僕1人になっていた。
乗客が降りるたびに、交替運転手さんが足繁く客室を回って、空席になったシートの背もたれを戻し、キャノピーを上げ、毛布を畳んでいく。
せっかく丹後・但馬地方に夜行高速バスが登場したと言うのに、乗客の大半は、京都や福知山といった鳥羽口に当たる地域までの利用だったことになる。


宮津駅を発車した直後に、交替運転手さんが前方のステップに立ち、1人だけの客に向けて、

「この先の天橋立駅と豊岡駅に降りられるお客様がいらっしゃいませんので、城崎温泉に直行致します」

とわざわざアナウンスしたので、面映ゆい気持ちになりながらも、これはかなりの早着になるかと思っていると、道の駅宮津で、思案顔の運転手さんが最後部の僕の席に近づいて来た。

「実は城崎温泉駅に入れる時間が決まってまして、このままでは早く着き過ぎてしまいますので、ここで8時50分まで休憩しようと思ってるんですよ」

時計を見れば、まだ8時を過ぎたばかりである。
路線バス乗り場や自転車置き場ばかりで店1つ見当たらない、道の駅らしからぬ殺風景な駐車場に、バスは駐まっている。
このような場所でどうしろと言うのか、と思うが、

「大丈夫です。まあ、のんびり過ごしますよ」

と、愛想笑いを浮かべて答えるより他にない。

「このあたりにはコンビニもなくて、道の駅のお店もまだ開いていないんです。この先にマクドナルドがあるんですが、他に朝食を摂れる場所はないんですよね」
「了解しました。お気遣いありがとうございます」

席を立って乗降口を降りると、タイヤに車輪止めを挟んでいた相方の運転手さんも、

「すみませんねえ。マクドナルドならあちらにありますから」

と申し訳なさそうに声をかけてくれる。
マクドナルドばかりを強調した2人の運転手さんは、連れ立って姿を消し、バスの外に1人取り残された僕には、呆然たる静寂が訪れた。


宮津に来たのは初めてだったが、見回してみれば、潮の匂いを含んだ爽やかな風が吹き渡る、良い雰囲気の町である。
小型の路線バスが駐車場に入ってきて僅かな客を降ろし、運転手さんがじろりと僕を一瞥してから、トイレに駆け込んでいく。
隣りの宮津市民体育館では、「第34回 宮津・与謝ミニバスケットボール交流大会」「第15回 宮津与謝柔道連盟杯ジュニア大会」との看板が掲げられ、中から大勢の人の気配が感じられるけれども、外の通りは車が思い出したように行き交うだけで人の姿はなく、町並みは朝の陽の光を燦々と浴びながら静まり返っている。


これまで、この地に乗り入れる高速バスと言えば、丹後海陸交通バスが運行する天橋立や宮津から京都・大阪行きの高速バスだけであった。
時刻表を眺めながら、いつかは高速バスに乗って、松島、宮島と並び称される日本三景の1つ天橋立を訪れてみたいと願ったものだった。
まさか、東京からの夜行高速バスでこの地を踏むことになろうとは夢にも思っていなかったから、どこか現実感に乏しく、中途半端な心持ちである。

百人一首に、

大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立

という小式部内侍の和歌があったことを思い浮かべながら、休むならば隣り駅の天橋立の方が良かったのに、と思う。


気を取り直して、建物の合間に見えている海に向かって、ぶらぶらと歩いてみた。

マクドナルドの朝メニューは好きなのだが、折角の長時間休憩を店内に籠もって過ごすのも勿体ない気がして、出発間際に持ち帰って車内で食べればいいではないか、と考えた。
ハンバーガーの類いは、匂いを気にする乗客も少なくないので、高速バスに乗る際には控えるようにしているのだが、たった1人の客と成り果てたのだから気兼ねは不要であろう。

突き当たりは丹後海陸交通の桟橋が突き出した堤防になっていて、右手を栗田半島、左手を丹後半島に挟まれた宮津湾の穏やかな海原が、一面に広がっている。
傍らに観光地図を掲げた案内板が立っていたので、何気なく目をやった僕は、思わず目を見張った。
そこには宮津湾の全景が描かれていたのだが、宮津市街の西端から、地図で見覚えのある細長い砂洲が北に伸びているではないか。
慌てて左手に目を凝らすと、それまで丹後半島と思っていた山並みの手前に、生え揃った松林を乗せた砂州がひとすじの線を成している。


宮津湾内の海流によって流れた砂礫が、丹後半島から流れ出る野田川の流れとぶつかって堆積したのが天橋立の成り立ちと言われ、砂洲の内側となった野田川は内海の阿蘇海となっている。
似たような海流は他にもあるのだろうが、外海に面さない砂洲は天橋立が我が国唯一であり、改めて眺めてみれば、奇跡のような大自然の造形である。

北側の笠松公園から見下ろす「斜め一文字」、宮津市街の南にそびえる文殊山から眺める「飛龍観」、西側の大内峠からの「一字観」、東側の栗田半島からの「雪舟観」といった名高い景観を見なければ、天橋立の神髄を味わったことにはならないのかもしれない。
それでも、念願の名所を肉眼で見ることが出来ただけで、僕は大いに満足してしまい、意外と短く感じた休憩を終えて発車時刻の間際にバスの座席へ収まった時には、マクドナルドの朝メニューは念頭から消えていた。

ようやく終点に向けて動き出したバスは、宮津の市街地を抜け、与謝野町を貫く国道176号線を西にひた走る。
道沿いには観光ホテルや旅館が建ち並び、その合間から、断続的ではあるものの、8000本の松林が生えているという天橋立の白砂青松を間近に見ることも出来たのである。


なだらかで優しげな山々が折り重なる丹後半島のたもとを国道312号線で横断し、とろとろと1時間あまりを過ごしているうちに、バスは円山川の橋を渡って、賑やかな豊岡市街に入っていく。

なみなみと水を湛えた川沿いの堤を北上して、日本海に注ぐ河口付近に達すれば、終点の城崎温泉である。
国道を離れて、すれ違いに苦労する狭隘な路地に乗り入れると、枝垂れ柳が並ぶ大谿川沿いに旅館がひしめいている温泉街の佇まいに、まずは目を奪われた。
その先を左折すると、駅前通りには古風な造りの商店や飲食店が軒を並べ、しっとりと潤いのある雰囲気に惹き込まれる。


突き当たりの城崎温泉駅も和風建築になっていて、駅前のロータリーに到着したWILLER EXPRESS P6321便の華やかな外観は、平安時代に拓かれた1300年もの歴史を誇る温泉街には、そぐわない印象だった。
時計の針は10時35分を指しており、もどかしいほど小まめな時間調整の甲斐があって、定刻ぴったりの到着である。
682.3kmという運行距離にしては、13時間15分もの乗車時間は長過ぎると感じる人も少なくないであろうし、もう少し何とかならないものかと思うけれども、乗っているだけで天橋立をはじめとする途中経由地の観光まで出来たのだから、儲けものののんびりダイヤだったと思う。


コウノトリが湯浴みをしたという伝説が残る城崎温泉では、浴衣を着て下駄を履くのが正装とされ、殆どの旅館では寝間着用の浴衣とは別に、温泉街を散策するための浴衣も用意しているほどで、駅前通りにも浴衣姿の観光客が目立つ。
温泉街をぶらぶらしたり、駅前の足湯を楽しんだりするうちに時間が経ち、僕は12時ちょうどに発車する大阪行き高速バスに乗って帰路についた。


城崎温泉からは、全但バスが豊岡・和田山を経て大阪や神戸を結ぶ高速バス「かに王国」号を運行している。
JRには、播但線経由姫路・神戸・大阪行きの特急「はまかぜ」、福知山線経由大阪・新大阪行き特急「こうのとり」、山陰本線経由京都行き特急「きのさき」が運転されているが、高速バスに京都行きはない。
逆に、丹後海陸交通バスの営業エリアである宮津や天橋立には神戸行きの路線がなく、高速バスの運行系統上では、丹後と但馬は画然と区分けされている。


全但バスは浜坂・湯村温泉と大阪・神戸を結ぶ「夢千代」号も運行していて、神戸系統の「夢千代」号には、神戸から浜坂まで兵庫県を縦断する経路に惹かれて乗車したことがある。
一方、「かに王国」号神戸線は、昭和22年に運行が開始された伝統路線で、当時は日本最長の路線バスでもあった。
そちらにも乗ってみたかったのだが、城崎温泉の発車時刻が6時20分、10時15分、13時の3本で、WILLER EXPRESS P6321便が早着してくれれば10時20分の便に間に合うから、あれほど頻繁に途中休憩がなければ、とも思ったのだが、定時より遅れた訳ではないし、そのおかげで観光が出来たのだから、文句を言う筋合いではない。

12時発の大阪線と13時発の神戸線という2つの選択肢が残された訳であるけれど、神戸線は、養父市内で旧山陰道と合流する大屋橋停留所から先が「夢千代」号神戸線と全く同じ経路になるから、面白みに欠ける。
僕は、バスの終点から先を新幹線に乗り換えて東京へ戻る予定で、神戸線は三ノ宮に直行するため、新神戸駅に行く手間が煩わしい。
大阪線も、すぐ近くを通過するにも関わらず、新大阪駅に停まる便は最終便だけなのだが、終点の梅田阪急三番街高速バスターミナルはJR大阪駅に程近く、新大阪駅まで僅か1駅である。
僕にも、早く家族の元に着きたいという正常心くらいはある。


城崎温泉駅前を定刻12時に発車した大阪行き「かに王国」号の車内は、横4列シートでありながら、ワイドシートにパウダールームを備えた「ラグリア」と呼ばれる豪華なバスで、大阪までの169km、3時間13分の車中をゆったりとくつろぐことが出来た。

国道312号線から北近畿豊岡自動車道、舞鶴道、中国道へと走り込んでいくバスの車窓には、これといって特色がある訳でもなく、昭和22年に神戸行きのバスが走り始めた頃とあまり変わっていないのではないかと思わせる長閑さである。
悠然たる円山川の流れと、北近畿の山並みのまばゆい緑だけが記憶に残るバス旅だったが、休憩箇所の「道の駅青垣」では、「夢千代」号でも立ち寄った時の記憶が脳裏に蘇って、懐かしさに胸がつまる。

あの時と同じく、「かに王国」号の道中も、梅雨の狭間の晴天に恵まれて、強烈な陽射しに目が眩むような昼下がりだった。



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