8月&9月の韓旅(8/29~9/4)レポ
こちらの記事↓のつづきです。
9/3 8月&9月の韓旅⑭ 仁川編① 日本家屋探索と激安&激ウマ 炭火焼きカルビのランチ
新興(シヌン)市場の周辺に、かつて敷島遊郭(부도유곽)があった
エリアがあるということで、その痕跡を求めて歩きました。
桃源路(トウォンノ)~仁中路(インジュンノ)の路地裏に
여인숙(ヨインスッ 旅人宿)と言われる安宿が軒を連ねる一帯が。
(↓中区桃源路2-1)
店を閉めているところもありましたが、どうやらこの一帯が
元遊郭だったのではないかと推測しながら、
戸田さんと歩きました。
昼間なので人影がありませんでしたが、夜になると店の前に椅子を置き、
熱心に客引きをするアジュンマ(おばちゃん)の姿を見かけるはず。
(↓中区仁中路58-7)
この記事を書くにあたり調べてみたところ、1902年に形成され、
1961年まで現存していた敷島遊郭があった場所は、
新興市場の西側にありました。
情報源の仁川日報記事→ ★
記事によれば、1883年の仁川開港直後、干潟を埋め立てて作った
仙花洞(新興市場周辺の住所)は、新興洞とともに日本統治時代の
全国3大公娼地域だったそうです。
2階建て日本式建物の居酒屋は、酒場であるとともに遊郭でもあり、
主なお客は土木建築労働者や商人だったそうです。
↑仁川日報からお借りしました
大通りを渡り、新光交差点を南東方面へ進むと、通りの右手に
レンガ造りの巨大倉庫が見えてきました。
更に進み、水仁(スイン)線 崇義(スンギ)駅の手前を左折すると、
そこには窓を黄色くペンキで塗られた異様な建物が並んでいました。
実はここが、1962年に強制移転させられた敷島遊郭の移転先なのです。
日本からの解放後は、アメリカ人が主なお客だったとか。
1990年代末まで33軒の風俗店が営業していたそうですが、
2004年売春防止特別法の施行と2006年崇義洞都市住居環境整備
事業計画が樹立して以降減少。
それでも16軒あまりの風俗店が現役だそうです。
夜になると、この赤椅子に若いおねーさんが座り、客引きをするという・・・
かつて江景(カンギョン)や全州(チョンジュ)の遊郭に紛れ込んでしまい
目にしたことがあります(汗)
堂々とあけっぴろげられた店内には、談笑している
若いおねーさんとアジュンマ達がいました。
怖いので隠れるように写真を撮っては逃げる・・・
を繰り返す戸田さんと私(苦笑)
道路には「青少年通行禁止区域」の文字が。
周囲の道路沿いにも同様の表記がされています。
聯合ニュースによれば、仁川市弥雛忽区は、売春行為を行わないとの
誓約書を提出することを条件に、風俗店従業員の生活を支援するという条例を
9月にも制定する方針とのこと。
この地域の住宅組合が700世帯規模の共同住宅とオフィステルを
新築する案を推進しており、イエローハウスが姿を消す日が
近いのかもしれません。
イエローハウス(엘로하우스)
住所 仁川広域市弥雛忽区崇義洞383-14(인천광역시 미추홀구 승의동383-14) 一帯
道路名住所 仁川広域市弥雛忽区済物梁路6-1(인천광역시 미추홀구 제물량로6-1)
※2019-12-29追記
イエローハウスは既に撤去されたそうです。
その後、
カンちゃんラー麺にお邪魔したところ、
※カンちゃんラー麺は閉店したそうです(2019-12-29追記)
奥様のハナさんが、お店の近くに日本統治時代に建てられた府営住宅が
あることを教えてくださり、場所を案内してくださいました。
頂いた資料によれば、1920代に地方官庁が生活困窮者の生活を更生する目的で、
府営住宅が京城(現 ソウル)、釜山、大邱、順天などに建てられたそうです。
仁川では1930年後期に各種工場の流入と都市拡張により人口が急増し、
住宅不足が深刻化したため、府営住宅建設が始まりました。
崇義洞に現存している住宅3軒は、1942年に建てられたもの。
①こちらは合板の屋根に壁はセメントモルタル造。
②こちらの2軒の屋根はセメント瓦とのこと。
2軒ともかなり原型に近いコンディションで保存されていますね。
ハナさん、雨の中ご案内いただき、ありがとうございました~
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