「フリーター」ではない「Freeter」

「フリーター」ではない「Freeter」

「フリーター」としてではなく、経済的、精神的に自立し、真の実力を兼ね備えた誇り高き日本人。「Freeter」姿を描く。

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どうも、kuroです。

日本の悪い風習のひとつに皆と同じでなければならない。

というものがあります。


そして

奇抜な態度や言動は変人扱いされ

敬遠される傾向にあるのです。

日本では学校や会社を辞めようとすると、

良くも悪くも周囲から心配されます。

それがまるでこの世の終わりであるかのごとく

「お前大丈夫か?」とあなたのことを思い、

本気で心配されます。


ところがこれが米国だったらどうなるか。

その答えはズバリ「コングラッチュレーション」

と褒め称えられます。

日本では人とは違う道を歩んだり独立することに対して

ネガティブな感情が先行してしまいがちですが

米国では独立することが成功の証しとして

成立していたりするのです。


それはテスト形式を見てみると顕著に表れています。

テスト始めのチャイムに始まりチャイムに終わる時間内で

皆がやらないといけないことは誰よりもいい点数を叩き出すことであり、

そのひとつしかないゴールへ向って競争しなければならない

ということです。


そして

その目的を果たすためにテスト勉強という名において

類似している問題をひたすら解いてみたり、

頭の中にひたすら知識を詰め込む暗記という作業を行ったりします。


その一方で

米国のテスト形式とはいかなるものでしょうか。

その形式とは教科書や辞書を持ち込むことが許されています。

これが何を意味しているのかと言えば、

日本とのテスト形式を比較すれば分かることですが、

どれだけ沢山の知識を詰め込んだのかを問われる事とは違い、

要は知識だけでは答えを導き出す事が難しく、

そこに独創性が加味され、考える力が備わっていなければ

答えに辿り着く事ができないのです。

マラソンのように国民一人一人がランナーであり

ひとつしかないゴールの中でより上位を目指すように

仕向けられた日本。


かたや、

マラソンのゴールは一つでは無く、もはやそれを探すことが

ゴールとなっている米国。

国の風習や文化によって「独立」という言葉一つとっても

その解釈は全く異なってしまいます。


世界を見渡してみれば、

日本の常識は世界の非常識だし、逆もまた然りです。

何が正しくて何が間違いだなんて本当の正解など存在しないのです。

ネットビジネスだって人によって怪しいと捉えられれば怪しいものだし、

怪しくないと捉えられればあやしくありません。

いずれにしても周囲の意見や価値観に惑わされることなく、

自分の気持ちに正直に生きましょう。

皆と同じでなければならない理由など

そもそも存在しないのですから。


今回もありがとうございました。


今回もありがとうございました。



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