昨年、行った諏訪
諏訪湖間欠泉センターにて~
☝BLACK HAT&BLACK TIE
諏訪湖にはその東側に7つの温泉の吹き出し穴があると言われ、かつては
全面結氷しても7つの穴が開いて見えたことから七ツ釜と呼ばれてきました。
諏訪湖間欠泉センターでは約5mまで吹き上がる迫力の間欠泉や、七ツ釜
から引いた温泉を利用した温泉卵作りを楽しめます。また、隣接した足湯
では疲れた足を癒し、ゆっくりとした時間を過ごすことができます。
https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12568121759
人は、退屈をしてしまう生き物です。
毎日おなじ生活を繰り返していると
ふと、非日常の体験が欲しくなる。
そう感じているあなたへ
もし私がお役に立てるとしたら、
諏訪の国をご案内することでしょうか。
おなじ日本なのに
まるで違う国に迷い込んでしまった。
そう思えるほど謎に満ちた国、諏訪。
千年以上も続く巨木の祭り。
世界でいちばん危険な茶室。
霧の中で味わう朝食。ほかにも
想像を遥かに超える不思議な体験が
この地にはあふれています。
もし毎日にちょっと退屈していたら
ぜひ諏訪へ足を運ぶことをお勧めします。
ただし、この国を一度味わってしまうと
もとの生活で果たして満足できるか…
その保証はいたしかねますので、ご注意を。
https://nazonokuni.suwa-tourism.jp/
諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地を
もつ神社です。信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社
総本社であり、国内にある最も古い神社の一つとされております。
諏訪大社の歴史は大変古く古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対
して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には
持統天皇が勅使を派遣したと書かれています。
諏訪大社の特徴は、諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がありません。
代りに秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を
御神体として拝しております。
古代の神社には社殿がなかったとも言われています。つまり、諏訪大社
はその古くからの姿を残しております。
諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神と
して広く信仰され、現在は生命の根源・生活の源を守る神として御神徳は
広大無辺で、多くの方が参拝に訪れます。
所在地
上社本宮 長野県諏訪市中洲宮山1TEL:0266-52-1919
上社前宮 長野県茅野市宮川2030 TEL:0266-72-1606
下社春宮 長野県諏訪郡下諏訪町193 TEL:0266-27-8316
下社秋宮 長野県諏訪郡下諏訪町5828 TEL:0266-27-8035
1+2+3=6
1+9+3=13&5+8+2+8=23・・・23+13=36
6+36=42・・・4+2=6
信濃國一之宮 諏訪大社 上社本宮
我国最古の神社の一つであり、信濃國の国造りをなされたのち、日本国土
の守護神としてこの地にお鎮りになり、信濃國一之宮として皇室武門および
一般の信仰が厚く、全国一万有余の諏訪神社の総本社です。
幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式。
徳川家康が造営寄進したと言う四脚門など貴重な建造物が数多く残って
おります。六棟は国の重要文化財に指定。
境内のほぼ真中に東宝殿、西宝殿と言う二棟の茅葺の建物があります。
本宮で最も大切な御社殿で、寅年と申年毎に交互に建替がなされ遷座祭
が行われます。軒からはどんなに干天の日でも最低三粒は水滴が落ちる
といわれ、七不思議の一つに挙げられ、諏訪大神が水の守護神として
広く崇敬される根元にもなっております。
http://suwataisha.or.jp/honmiya.html
諏訪の七不思議
お神渡り(おみわたり)
元旦の蛙狩り(がんたんのかわずがり)(上社)
神野の耳裂け鹿(こうやのみみさけじか)(上社)
五穀の筒粥(ごこくのつつがゆ)(下社)
御作田の早稲(みさくだのわせ)(下社)
宝殿の点滴(ほうでんのてんてき)(上社)
葛井の清池(くずいのせいち)
http://www.suwaarea-examine.com/7strange.html
御神渡り出現に期待 長野・諏訪湖/「いま、会いにゆきます」/
諏訪の地は、聖書の地!?
https://ameblo.jp/894839/entry-12560651696.html
鏡餅/鏡開き/諏訪大社「真澄の鏡」/出雲と大和/卑弥呼の鏡は魔鏡
https://ameblo.jp/894839/entry-12567211611.html
【諏訪大社】人生の新たなスタート!日本屈指の聖域
サンクチュアリ パワースポットひとり旅#34 4K
https://www.youtube.com/watch?v=Te7KmUN4mPU
諏訪大社上社本宮の御柱
日本最大のパワースポットは諏訪大社上社本宮と言われる3つの理由とは
IN長野県
https://project311.jp/2624.html
絵馬を求めて神社や寺へ、有田焼から御柱祭まで
土地に息づく文化が浮き彫りに 中島克
カバーストーリー 2020/1/13付
日本経済新聞 朝刊
祈願のために、あるいは願いがかなった感謝を込めて、神社やお寺に
奉納する絵馬。初詣で願いごとを記した方も多いだろう。
絵馬は古代、生きた馬を神に献じた風習が起源とされる。次第に木馬
や土馬で代用されるようになり、やがて絵の馬を奉納するようになった。
絵馬の多くが横長の五角形なのは馬舎を表しているからだと聞く。
私が集めた絵馬のなかには、上部がはっきりと屋根のかたちをしている
ものが複数ある。
北海道から沖…
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO54262050Q0A110C2BC8000/
へぇーそうだったんだ! 絵馬の形に込められた秘密とは!?
https://kisetujyouhou.com/%e9%9b%91%e5%ad%a6%e3%83%bb%e9%9b%91%e8%a8%98/post-1471.html
神馬舎(シンメシャ)
●かつて神社に馬を奉納していた。神馬舎はその名残。
●昔は生きた馬が繋がれていたが、いつの間にか木製の馬に。
●厳島神社に奉納された馬は白くなるという伝承がある。
●日本書紀では白い動物が吉兆のしるしとして度々登場する。
●馬を奉納するのは大変なので、絵馬を奉納するようになった。
https://miya-jima.net/page/114.html
諏訪大社の絵馬
五間廊(ごけんろう)
1間・・・和室の柱と柱の間 1間×1間=1坪(約2畳)
豊臣秀吉時代(太閤検地)・・・1間=6尺3寸
(Wiki)
1891年(明治24年)の度量衡法で1間=6尺と定義され、計量法施行法
(昭和26年法律第208号)第 5条第 1号においても踏襲された。
同時に1尺=(10/33)メートルと定められたので、1間は約1.818 1818メートル
である。60間が町(丁)となる。。
五間廊から撮影~額堂(絵馬堂)全国の崇敬者から寄進された絵馬や額
駒形屋の絵馬 本宮境内 22.5.30
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/zatugaku/ema.htm
御柱祭とは
7年に一度の天下の大祭
樹齢150年を優に超えるモミの大木。山の中から、選ばれた16本のモミ
だけが御柱となり、 里に曳き出され、7年毎の寅と申の年に諏訪大社の
社殿の四隅に建てられます。 宝殿の造り替え、そして御柱を選び、山
から曳き、境内に建てる一連の行事を「御柱祭」と呼び、 諏訪地方の
6市町村の氏子たちがこぞって参加して行われます。
正式名称は「式年造営御柱大祭」です。
御柱祭という神事を司る諏訪大社は、全国各地の諏訪神社の総本社
であり、国内にある最 も古い神社の一つ。諏訪湖の周辺に4箇所の
境内地を持っています。まず上社と下社に分かれ、諏訪市に上社本宮、
茅野市に上社前宮があり、下諏訪町に下社春宮と下社秋宮があります。
ご祭神である諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。
また武勇の神として広く信仰され、東国第一の軍神として坂上田村麻呂
や源頼朝、武田信玄、徳川家康らの崇敬を集めました。
室町時代の『諏訪大明神画詞』という文献によれば、平安初期に桓武天皇
(781~ 806)の時代に「寅・申の干支に当社造営あり」と御柱祭についての
記録が残されてい ます。起源については諸説様々ありますが、縄文時代
の巨木信仰という説もあります。
御柱そのものは、長さ約17m、直径1m余り、重さ約10トンの巨木。柱を山
から里へ曳き出す「山出し」が4月に、神社までの道中を曳き、御柱を各社殿
四隅に建てる「里曳き」が5月に、上社・下社それぞれで行われます。
諏訪の人々は氏子として全精力を注いで16本(4社×4本)の柱を地区ごと
に担当します。御柱祭にかける氏子の情熱は、昔も今も変わりありません。
日本人の熱いエネルギーの高ぶり、神聖な熱狂にあふれた稀少な祭りと
いえるでしょう。
http://www.onbashira.jp/about/onbashira/
1+5+1+6+7+6+4=30
1+7+1+1+4+5=19
1+6=7
30+19+7=56・・・5+6=11
御柱祭!これが本当の木落しじゃぁ~!
https://www.youtube.com/watch?v=AN7A7CTewr0
平成四年の御柱祭・・・下社山出しです
諏訪大社の御柱祭!古代史に迫る
https://ischool.co.jp/2016-06-26/
長野歴史旅2019年 その5
https://suwasinco.exblog.jp/27714554/
{YAHOO!知恵袋}
moo********さん 2015/8/1400:00:07
秀行學さん 2015/8/1611:52:49
七十(謎)→八十(耶蘇、鳩=TEL便=松アブラ食む→翁)九十(ココゾの
究明)→十十(天の父に到達する)=殻と実作りの二期、廾の苦労に勝利
する=二波採りが朝の誕生を呼び込む、かしわ(鶏)手を打ち魂のパンを
得る。目(EYE,I、愛、天意)を開いて真(六→目、七八九→十)に生きる
光にI、愛がない商人根性の餓鬼性(七)に天意(あい)の開智(八)を
迎えて究明に生きて己を救命するものを天は救う、天国に掬い上げる。
真理に盲目で病む(86=広島)ものは焼く(89=長崎)ことになる。原爆
(腹の蝮、真無視=憂蛇野を曝す)を受けるであろう。
アブラハムはモリヤの山で一人子のイサク(意咲く=侍精神=魂を
差し出す)を神に奉げる誠意を見せた。
諏訪大社の本尊は裏山のモリヤ山で、御頭祭、御柱祭りは、鹿
(ディール=和す)の頭を神に奉げる、カミさんに勃起する、ウサマ、便、
螺鈿細工、神と人のシ(思仕視肢歯旨姿糸支矢示)合わせの祭り
(間をつり合わせる=法被=結婚、結魂)が行われている。
これが乗鞍で、観音の目(月読み→素戔嗚→天照大神)に合うことである。
漢字、地理、歴史、一切神の声、最後の学問「秀思學」のすすめ
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10149030470
(Wiki)
11月・・・神無月
伝承によれば、諏訪大社の祭神の諏訪明神が龍(蛇)の姿を取り出雲へ
行ったが、あまりにも巨大であったため、それに驚いた出雲に集まった
神々が、気遣って「諏訪明神に限っては、出雲にわざわざ出向かずとも
良い」ということになり、神無月にも諏訪大社に神が有ることから神在月
とされている。
稲佐の浜(いなさのはま)
この浜は旧暦10月10日に、全国の八百万の神々をお迎えする浜でも
あります。
https://ameblo.jp/894839/entry-12534824213.html?frm=theme
4K 映像 諏訪湖祭湖上花火大会 立石公園 1/3
Fireworks Japan 2018 SONY PXW-X70 & FDR-AX100 & FDR-AX700
https://www.youtube.com/watch?v=WQ95ygDaWjc
第70回 諏訪湖祭湖上花火大会 2018年8月15日
長野県諏訪市 立石公園から撮影 諏訪湖から諏訪盆地
の四方の山々に衝撃波とともに爆裂音が鳴り響きます。
宮大工が1年間の無事故を祈る チョンナ始め式
2020年1月6日 月曜 午後7:35
和歌山県那智勝浦町の熊野那智大社では、宮大工たちの仕事始め
の儀式「チョンナ始め式」が行われました。
熊野那智大社では、6日が仕事始めとなる、鳥帽子姿の宮大工らが、
仕事始めの儀式「チョンナ始め式」に臨みました。
チョンナとは、古くから伝わる大工道具のひとつで、丸太など大きな
木材を削るのに使われます。
宮大工らは、真新しいヒノキにのこぎりや、カンナなどを使うしぐさを
して、神殿に仕事始めの報告をしました。
【宮大工 嶌崎和真 棟梁】
「ことしは、干支の最初の年、ネズミです。初心の気持ちを忘れずに
仕事に取り組んでいきたいと思っています」
宮大工らは、真剣な表情で今年1年の無事故を祈りました。
https://www.fnn.jp/posts/2020010619345401KTV
立川 和四郎(たてかわ わしろう)
江戸時代中期から信濃国(現在の長野県)諏訪郡を本拠地に活動した
初代富棟が、工房で彫刻を大量に作成して軸部完成後に運搬して取り
付ける分業形態、施主の要望により彫刻をオプションとして付加する
随意付加形式、事前にカタログを提示して請負契約をまとめる発注形式
など、合理的に組織化された建築活動の基礎を構築し、短期間で多量
の建築工事を可能とした。
初代和四郎富棟
安永3年(1774年)の白岩観音堂(茅野市)を手始めに寺社建築と彫刻の
制作を開始する。同9年(1780年)諏訪大社下社秋宮の幣拝殿(重要文化財)
を建てて名声を高めると、寛政元年(1789年)に善光寺大勧進表門、享和2年
(1802年)から一門で30年にわたり静岡浅間神社の彫刻を手掛けた。
一門の得意とする竜彫刻の繋虹梁は享和元年(1801年)の伊那郡長岡神社
(箕輪町)以後に採用された。
二代目和四郎富昌
諏訪大社本宮幣殿や同拝殿(重要文化財)を手掛けたほか、信濃国内にとど
まらず、関東地方から近畿地方にかけて幅広く活動し、下総国千葉神社や
江戸小石川白山神社の建築、京都御所御門の彫刻などを担当した。彫刻では
「粟穂に鶉」「波に千鳥」「雛と親鳥」などを得意とし、欄間や置物の彫刻は富昌
の次男・三代目和四郎富種やその弟子達に受け継がれた。
中でも安曇野の立川豊八は諏訪立川流を受け継いだ著名な弟子のひとりである。
(Wiki)
守矢氏(もりやし)は、日本の氏族の一つ。信濃国諏訪郡(現在の
上社の神長官(じんちょうかん)を務めてきた社家。
丸に左十文字
本姓 | 神氏 物部氏? |
---|
「モリヤ」という名前から、物部守屋の後裔とされることもある。『系譜』
にも記録されている守矢氏と物部氏との関係をうかがわせる家伝が
あり、これによれば、物部守屋の次男である武麿が丁未の乱の後、
諏訪に逃亡して森山(守屋山)に籠り、後に守矢氏の神長の養子と
なって、やがて神職を受け継いだという。
神長官守矢史料館
神長官守矢家(じんちょうかんもりやけ)は、古代から明治時代の初めまで、
諏訪大社上社の神長官(じんちょうかん)という役職を勤めてきた家である。
大祝(おおほうり)諏訪(すわ)氏は、現代神(あらひとかみ)(生神)であって、
実際に神事を取り仕切っていたのが神長官(じんちょうかん)であった。
神長官(じんちょうかん)は諏訪大社の筆頭神官であり、神長守矢が代々
一子相伝の口伝により、歴史を伝えてきたと言われる。
http://suwaarea-examine.com/moriyamuseum.html
諏訪の守矢家と物部守屋の関係について
https://blog.goo.ne.jp/n_ishii517/e/c1f60192e2a698b130c19816fb6433d7?fm=entry_awp_sleep
諏訪大社・御頭祭の由来
https://blog.goo.ne.jp/n_ishii517/e/e4c98b43fae804cb9ac1b18814a1520b
御頭祭(酉の祭) (Ver 31.3.28)
http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sinji/ontou.htm