高架の線路上電車内から東京の街を見下ろしては、様々な電線が錯綜するのを見苦しいと思ったものだった。
こういうところには住みたくないと思って逃げ出した先でも同じようだった。
でも実際のところ、それらの電線や補助線があればこそのインフラだ。
都会では地下に埋める工事が進んでいるところもあるようだけれど、多くの電柱、鉄塔、電線は機能一辺倒のむき出しでそこら中にある。
そうして何かを撮ろうとすると、いつも邪魔するのがそれら。
この度の台風15号が大災害となっているのは、なんといっても断線による長期停電。
山奥の数軒しかない集落にだって電気は通っているけれど、そうして景色を邪魔している電柱電線があるけれど、無残に何箇所もズタズタになった様子がテレビに映る。
こういうシーンを見るにつけ、自家発電化あるいはインフラ自立化を目指したい、あるいはそのように目指す流れがなかなかやってこないのはなぜだろうというようなことを考える。
車のハイブリッドのような、でも、もっと多様な発電機が各戸にあれば良いのにと思う。
ガスカートリッジもガソリンも使える発電機はあるようだ。
ガス会社のエネファームという燃料電池システムの普及と低コスト化は進んでいるのだろうか。
私の田舎の生家では、常には人が住んでいないということでプロパンガスボンベは引き上げられてしまい、調理には卓上ガスコンロだけを使っている。
風呂は灯油ボイラー。
水道が止まったとしても井戸がある。
水洗トイレは浄化槽がついている。
もしもの時に電気だけは、今のところソーラーパネル設置もしていないので、止まったらどうにもならない。
でも奮発して10万円前後の発電機を用意しておけば、何とかなりそうだ。
ベランダから昨日の午後に観た景色を撮ってみて、電線がいつもながら邪魔だなと思い、またテレビで千葉県の台風被害映像などを見てこのようなことを思う。
玄関前に置いたガラス水槽がプリズムになった虹を撮ったのが2枚目。
メダカの子が左下に1匹しか写らなかったけれど、隔離した卵から10匹くらいが育っている。
千葉の台風がもう少し都内にズレていたら・・・
台風銀座の沖縄は自然の猛威と人的差別でいつも悩んでいます。
想像力で千葉を、沖縄を、広島も長崎も・・・福島も原発も。
我が身をツネって人の痛さを知る。
昨夜は失礼いたしました。
大学紛争中にクラスで討論会をしていたら、「大切なものは愛」だという男がいた。その男がボクの新婚旅行中のホテルの部屋で夜遅くまで居た。まんてつ五郎?萬よろず・鉄五郎の画集をもらったが彼はボクに何を言いたかったのか不思議でした。昨夜は彼が乗り移ったんでしょうか、失礼しました。
その想像力が、当の千葉県知事;青春の巨匠に不足していて後手後手に回っています。
そうして、東京電力の甘さに文句を言ったりしています。
昨年関西にやって来て大被害をもたらした台風25号と、今回の15号は同じ規模だと予想されていて、気象庁が注意喚起をしていたのに、前もっての準備不足や直後の迅速な対応を怠っていたのは明白なのに・・・
これじゃ隣国の大統領と変わらないですよね。