ここでこそこうして書いていますけども。

 

 

「それが介護なんですよ~…」

 

と心中では思っていながら実際には言えない事なんですが。(-ω-;)

 

それは…

 

思った通りになるんだったら介護って必要ない

 

って事でして。

 

つまり直に言ったら


思い通りにいかないのが介護


ってもんでして。


 

言う事をきく

 

とか

 

思ったようになる

 

とか

 

想定した範囲内

 

とか

 

 

…なんてことがあり得ないから「介護」なんだと思ってんですよ

 

 

思い通りに収まるんだったら断言しますが

 

「端っから介護がさして必要にならない」

 

し、

 

「介護がひどく問題になったりしない」

 

っしょ。

 

 

まー…日本は自然災害国であると今年も思い知らされている訳ですけれども、日本にいる以上必ず想定を上回るような災害はきっと起こりますでしょう?

 

介護もまた「そうしたものである」くらいの認識でいた方がいいと思っていたりします。

 

当然ナマでは言えませんが(。-`ω-)

 

 

勘違いされるとアレなんで、一応フォローを書き加えておきますが、「歳をとる」という事が直ちに想定外だと言っている訳ではありません。

 

人生ってそう言うもんだよねって事を包括的に申し上げているだけです。

 

想定通りの人生などそもそもあり得ません。

 

一寸先は闇であって、基本的にそんなはずじゃなかったの連続こそ醍醐味です。

 

 

その上で「そんなはずじゃなかった」「もはやどうしようもない」が畳みかけた時に初めて「介護」が介護として生じます。

 

そのどうしようもない状態からどうするかが問われるのが生き方を総合的に問われた「対応」って事になってきます。

 

 

制度上はサクッと「介護事故」という4文字で仕上げちゃってますけれども。

 

言葉的に認識を勘違いさせてしまうのが「事故」という表現。

 

事故ってのは処理して終わり的な感覚を持たせます

 

けれど、ほとんどの事故という事故は「被害の始まり」です。ACの広告じゃありませんが、事故は解決しても被害は解決しないのがフツー。

 

そうした意味で災害的な感覚でいた方が近い気がしています。復旧・復興して「ハイ、解決!」となるようなことはないもんなんです。

 

 

災害を比べることはナンセンスですよね?

 

災害はどれも避けがたく、されど避けたいもの。

 

新たな災害が起こるたびに過去の災害と上か下か比較したがる人はいるものですが、豪雨災害が酷いとか、地震が酷いとか、津波が酷いとか、意味がありませんでしょう?個々人の大変さは交換しようがないのです。

 

どっちが酷いって、どっちでも大抵の人生で抱えられるキャパ越えちゃう出来事なんですよ。

 

 

介護が極めて言葉になりようがない大変さであるのは…「人生は代替が効かない」からです。

 

本人が感じている大変さを全く同様に移植することは不可能で、それは介護される側も介護する側も周囲の側もどれ一つとして交換不能です。

 

一番厄介なのが「あなたを思ってやってやっているのに」「あなたの為にしてやってんのに」という優しさと拷問をセットにした会心の一撃。

 

 

いやいや、全く以てして正しいに違いないんです。その通りなんだと思います。

 

問題は、良かれでやってて、真心からやってて、優しさからの行為による

 

回避不能のありがた~い「好意の押し付け」ってのは

 

ほぼ拷問

 

ってことなんです。

 

してやってる、やってやってる、の時点で尊重なんて口だけで言ってるだけでしてないんですよ。

 

そんなのうまく行く訳ないじゃない。

 

 

で、そろそろふりだしに戻りますが…

 

その通りになるんだったらそりゃもう介護とは言えないんですよ。

 

どうにもならないもんをどうにか折り合いをつけていく難作業。

 

案外そういうもんなんスよ…

 

 

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