s-IMG_1827

 人がひとり居なくなると、一人分の「不在」が生じます。朝起きて「おはよう」と声をかけても、返事をする人がいません。どこへ行ったのかは、よく知っていますから、すぐに1階のその場所に行って声をかけます。「ごはんだよ」「○○さんが来たよ」なども同様です。棺の中にちゃんといるのですが、返事はしません。死んでしまった人は、それでいいのです。
 ふつうの人よりも先に「終活」を考えているように思っていたのは、大人の「ままごと」を空想していたようなものでした。どちらかが先に死んだら、通夜のときに「神田川」の曲と「カルピス」の詩の朗読を流すなどというのも、そんなことをしたら嫌味になるように思えて、実行する気には、とてもなりませんでした。MDに入れて用意しておいたのを一通りは探してみましたが、すぐには見つからないのをこれ幸いとして、早々と使用を断念しました。その種の「演出」は、複数の他人を招いた「葬儀」ならば非常に効果的に違いありません。でも、自分が当事者の「死別」だったら全然違うのです。
 妻の「生前」と「死後」とを決定的に分けているのは、「不在」です。それは何物をもってしても埋めることのできないものです。音楽や朗読の声が流れるなどは、その場を乱す以外の何物でもなかったでしょう。老父を心配して、出来るかぎりの知恵を尽して雑事を引き受け、進行してくれた娘たちの働きは、わが娘ながら、じつに見事なものでした。妻も見とれて喜んでいたに違いありません。
 そして夕方にかけて、妻は何組かの弔問を受けました。ご縁があって10年前に私たちの金婚式を、復活祭の祝宴として祝って下さったカリタス修道女会の櫻本シスターさんも、今は保育園の園長さんとして、副園長のシスターとともにお見えになりました。故人が引き合わせてくれた、旧知の人との再会でした。
 それでもどうしても残るのは、妻の「不在」でした。私は何か事があるたびに妻に声をかけたくなり、次の瞬間に、きょうはその妻の不在こそがメインテーマだということを思い出させられたのでした。
 毎日、大勢の人が生を終えて「鬼籍」入って行きます。だからこそ赤ん坊は安心して生れてくることができます。こうして私の妻は、とどこおりなく「死んだ人」になることができました。これで良い、めでたしの終りでした。