舛添氏「都知事なんかやらなきゃ良かった」厚労相時代の仕事ぶりを絶賛され
批判するがゆえに尊敬もしている存在。
政治家が良い職業か?と問われれば、それは極めて素晴らしい職業だと思います。国家を運営することは誰にもできることではありませんからね?
その一方で、政治家は常に批評の声にさらされ、その地位ですら恣意的な権力行使の防止のため極めて不安定にあります。あなたの仕事が4年ごとに首になるかどうか判断されるとなれば家のローンが組めますか?
さて、本ブログは、これまで政治家や有識者に対して、かなり辛辣な批判をしております。もっとも、批判をするからといって嫌っているという訳ではなく、あくまでも当該政治家等に対してはひとえに尊敬の念を抱きつつ批判をしているのです。安倍総理はもちろんのこと、鳩山元総理もそうですし、枝野代表も志位委員長も同様に。
その理由としては、やはり、すべての政治家に対する敬意があるとともに、人前に出て活動をしているためと言う点があるでしょう。
基本的には、日本国籍を有する日本国民であるならば誰もが日本の政治家にはなり得ます。しかし、実際にその権利(被参政権)を行使するためにかかる現実的ないし精神的な労力というものはバカになりません。時には3000円のカレーを食べただけで批判される存在ですし、やれ権力だの、やれ金だのは簡単には言えますが、そのスタートラインにすら私は立てない(カネがあってもやる気にはならない)のです。
もちろん、出来るからと言って出来ない人に対して批判をするな、ということは論外甚だしいものです。そもそも政治家はあくまでも国民を代理しているに過ぎませんからね?批判をされて当然の存在です。しかし、私が出来ない以上、出来る人には一定の敬意を示す必要があると考えています。出来るからと言って見下す低レベルな人間にはなりたくありませんし、出来ないことをさも当然のようにして無能さをさらけ出す恥ずべき行為もしたくありません。
そして、おのずと敬意を持っているのならば、その批評は論理的にならざるを得ません。敬意を有する相手に個人的な感情だけで批判はできないのです。私は、一応は誰に対しても論理的な批判をしているとは思っていますが、常に自問自答をしております。それを確認するための方法がこのブログであるのです。自分では分からないものの他者視点ならばわかる場合もありますしね?
ということで、政治家は良い職業か?と問われればハッキリ言って割に合わない職業だと思います。むしろ政治家になるくらいならば他の職業でも十分に活躍できる程度の知見や会話術はあるでしょう。実際に、政治家の多くは元の職業に居た方が収入面では多かった場合があります。何よりも私生活まで批評されませんからね?
こんな政治家ですが、これからも敬意を持ちつつ厳しく批評をしていくつもりです。
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舛添氏を持ち上げ続けた杉村氏だったが、最後に「僕は政治家・舛添要一のすごさをよく知ってるから、返す返す残念なのはひとえに人望がないんです。絶滅的に人望がない」と断言してオチをつけた。引用 livedoor
批判するがゆえに尊敬もしている存在。
政治家が良い職業か?と問われれば、それは極めて素晴らしい職業だと思います。国家を運営することは誰にもできることではありませんからね?
その一方で、政治家は常に批評の声にさらされ、その地位ですら恣意的な権力行使の防止のため極めて不安定にあります。あなたの仕事が4年ごとに首になるかどうか判断されるとなれば家のローンが組めますか?
さて、本ブログは、これまで政治家や有識者に対して、かなり辛辣な批判をしております。もっとも、批判をするからといって嫌っているという訳ではなく、あくまでも当該政治家等に対してはひとえに尊敬の念を抱きつつ批判をしているのです。安倍総理はもちろんのこと、鳩山元総理もそうですし、枝野代表も志位委員長も同様に。
その理由としては、やはり、すべての政治家に対する敬意があるとともに、人前に出て活動をしているためと言う点があるでしょう。
基本的には、日本国籍を有する日本国民であるならば誰もが日本の政治家にはなり得ます。しかし、実際にその権利(被参政権)を行使するためにかかる現実的ないし精神的な労力というものはバカになりません。時には3000円のカレーを食べただけで批判される存在ですし、やれ権力だの、やれ金だのは簡単には言えますが、そのスタートラインにすら私は立てない(カネがあってもやる気にはならない)のです。
もちろん、出来るからと言って出来ない人に対して批判をするな、ということは論外甚だしいものです。そもそも政治家はあくまでも国民を代理しているに過ぎませんからね?批判をされて当然の存在です。しかし、私が出来ない以上、出来る人には一定の敬意を示す必要があると考えています。出来るからと言って見下す低レベルな人間にはなりたくありませんし、出来ないことをさも当然のようにして無能さをさらけ出す恥ずべき行為もしたくありません。
そして、おのずと敬意を持っているのならば、その批評は論理的にならざるを得ません。敬意を有する相手に個人的な感情だけで批判はできないのです。私は、一応は誰に対しても論理的な批判をしているとは思っていますが、常に自問自答をしております。それを確認するための方法がこのブログであるのです。自分では分からないものの他者視点ならばわかる場合もありますしね?
ということで、政治家は良い職業か?と問われればハッキリ言って割に合わない職業だと思います。むしろ政治家になるくらいならば他の職業でも十分に活躍できる程度の知見や会話術はあるでしょう。実際に、政治家の多くは元の職業に居た方が収入面では多かった場合があります。何よりも私生活まで批評されませんからね?
こんな政治家ですが、これからも敬意を持ちつつ厳しく批評をしていくつもりです。
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コメント
コメント一覧 (2)
つまらぬ批評(茶々入れ)かもしれませんが、
>私は、一応は誰に対しても論理的な批判をしているとは思っていますが、常に自問自答をしております。
多分、そこに答えが有るとは限らないかもな。
個人的意見ですが、批判と非難の違いをその対象から区別して
批判:意見(や行為)を対象とするもの。
非難:意見者(行為者)を対象とするもの。
この違いは諍いの元だと思われます。
例えば、或る妻が洋服を買って帰って、夫に見せびらかして、
「この服、どう?」なんて批評を求めて聞く、
「服?、うーん」(女物の服なんて聞かれたって着た事無いしな~)
「一寸暗いかな」なんて批判的な言葉でも返すと
「何よ、高かったのよ。気に入ったのよ。似合わないって言うの。」
とか言い出したら気を付けましょう。
妻の言葉にならなかった想いを添削して
「この服を着た私は、どう?、綺麗?。」と愛情あるなら解釈しろと
妻の代弁しましょう。
夫は、「服は?」と聞かれたから「服は、」と返したつもりでも、
妻は、「服を着た私などどうでもいいのね、愛情が無いのね。」と
受け取るでしょう。
それは、諍いの始まり。
「何だよ、暗いと思ったから『暗い』と言っただけだ。」何て服の批評を言おうものなら熟年離婚覚悟した方が良いかも。
人は批判と非難の見境が無いと思う。一人自問自答しても、会話に正答は見出せないと思う。一人では完結しない問題だから。
でも、敬意を持つ、というのは良い方法かな。奥様には愛情持ちましょう。
まあ、私見です。チャンチャン。
返信が遅れまして申し訳ありません。
夫婦間の円滑な運営法有難うございます(笑)
私は家庭と仕事は完全分離タイプですので、家の中では結構ずぼらと言いますか適当です(笑)ちなみに、感性はどちらかといえば女性的と言われることが多いですね。
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